第39話 永禄の変と桶狭間合戦
039 永禄の変と桶狭間合戦
1560年(永禄3年)
畿内は騒然としていた、一時期、畿内の覇者であった三好家が、鈴木家に打ち破られた。それに続き、当主たる三好長慶が病没してしまう。
さらに、有力家臣だった松永弾正が鈴木家に屈するという事態に陥る。
それでも山城、播磨、淡路、阿波、讃岐を領していたが、淡路がまさかの陥落で、四国との連絡線を切断されてしまったのである。
三好家は窮地に陥ってしまったのだ。
それを喜んだのは、ほかでもない、13代将軍足利義輝であった。
足利義輝は六角氏などの支援を受け京都の町に返り咲いたのである。
しかし、我が鈴木家は、まったくそのようなことに関心はなく、ひたすらに大阪城(仮)の建築に精を出していた。
多聞山城や信貴山城の築城、改修に力を注いだ松永弾正と城づくりが趣味となった鈴木孫一が精をだす、その孫一は市姫との間に娘が誕生している。
俺も犬姫との間に男の子が生まれている。
結局、形は、四角形にさらに四角形を備える八方がとんがった形になった。(稜堡式城郭である)
外堀は幅50m以上とっている、火縄銃対策である。
城郭の方は、あまり高いものは立てる計画になっていない。
どちらかというと、地下に主要施設を置く、鉄砲、大砲対策のためである。
城郭はおとりである。
堀は、爆薬で吹き飛ばしながら掘っているので、堀だけは早くできるのだが、石垣は、石を淡路島などから輸入しているので時間がかかる、足らない部分はセメントを流し込んでいるのだが・・・。
築城中に三好家の兵が攻めてきたこともあるが、精鋭鉄砲隊の連続斉射が効果を発揮し、死屍累々の状態になる。
突撃隊の隊長を志願した前田慶次郎が騎馬突撃を進言したが却下した、馬がもったいない。
大宛の名馬の血統である、諏訪賀ががんばって増やしているが、そう簡単に増えるはずもない。
そんなころ、それは起こったのである。
京に復帰した将軍家に三好三人衆が
三好三人衆は、将軍家に、鈴木家討伐令を出すように迫っていたらしいのだが。
足利将軍は剣をふるって応戦したが、衆寡敵せず討ち死にしてしまう。
これが世に言う『永禄の変』である。
将軍の弟、興福寺一乗院門跡覚慶は寺を脱出し、六角氏を頼って近江国へと逃げ延びる事態となる。
「よかったのですか」と服部半蔵保長である、息子正成は淡路で訓練所にいる。
「よかったか?と聞かれてもな」
「始末してもよかったのでは」
「まあ、さすがに暗殺は・・・」
堺の屋敷の一画で話される内容はブラックであった。
大和興福寺は、傘下に入っているため、後の義秋を捕捉抹殺することは可能であったが、今回は見送ったのである。
「我々の目標ははっきりしている、岩見銀山奪取である」
特段に、征夷大将軍を目指しているわけではない。
自分たちが不利にならなければ、織田信長が天下をとってもかまわないのである。
不利になる場合はなんとしても、有利にするつもりだがな!
その年の歴史的イベントといえば、桶狭間合戦であるが・・・。
そして、5月今川軍2万が尾張侵攻を開始する。
清州城では、ハチの巣をつついた大騒ぎになる。
「鈴木九十九様がお見えになりました」
この忙しいときに何事か!織田家家臣はそう考えた。
「義兄上!この度は大変な時に失礼する」
「おお、義弟殿、このような時に来るとはな」
もちろん、この時を選んできているのだから始末に負えない。
「皆の者は、今日は帰れ、儂は義弟殿と杯を交わす」
「殿、今は御家存亡の時でござる」
「わかっておる、しかし、何か策があるのか?みなかえって考えておけ」
織田家の家臣のほとんどが、これで織田家は終わりだと思いながら、帰っていった。
家臣の中には、やはり上総介(信長)はダメだと思ったものが多くいたのは間違いない。
「で、義弟殿は何用か」近習以外のいなくなった部屋である。
「義兄殿の存亡の時でござれば、拙者も少しご助力するべく罷り越したのでござる」
「どのようにして?」
「まあ、それは伏せておきましょう、戦場で自ずとわかることでしょう」
「そうか、皆が見捨てる中、なかなかに義に暑い弟よ」
「一つだけ忠告します、決戦の場所は桶狭間山でござる」
「であるか」
「我々は、準備もござれば、先にいっておりますので、ご存分に」
「骨くらいは、拾ってくれ」
「承知
・・・・
時は移り、
織田軍は雨中の中猛進し、桶狭間において、今川本隊に
はげしい雨のために鉄砲は使えなかった。
今川方は、織田軍の鉄砲の存在だけが、懸念事項だったがそれが、天候によりクリアできたことに、少しの油断が生じていた。
「全軍突撃、全軍突撃!下がるな、討ち取れ!」信長自身も絶叫を上げて、突撃している。
場所はまさに、桶狭間山であった、雨中で、発見の遅れが織田軍に有利に働き、今川本隊への奇襲が成功していたのである。
だが、今川本隊はそれに対応しつつあった。
何度か目の突撃で、今川本隊の護衛の数が減っていたが、織田方もギリギリであった。
織田方の服部何某が義元に切りかかるが、義元左文字で切り裂かれる。
毛利何某が組み付く。
歴史的には、この毛利何某が義元を討ち取ることのなるのだが。
「下賤のものが無礼であろう!」
毛利何某は突き飛ばされ、とどめの一撃を食らいかける。
さすがは、東海一の弓取とよばれた武者である。
その時、落雷のような音がした。
義元は胸に熱い何かをつきこまれた感覚を覚えた。
そして、2町ほど離れた場所に、煙だけが立ち昇る場所があることに気付いた。
しかしそれが、彼の最後の知覚であった。
別方向からの実弾が彼の兜を打ち抜いた。
毛利何某の短刀が脇腹に突き刺さった。
「今川治部大輔(義元)!討ち取ったり!」
誰かが叫んだ!
すべてがこの瞬間に決まった。
大将が討たれた今川方は総崩れとなった。
「雨中に鉄砲が撃てるのか!」一人信長だけが、
最初の狙撃は、「公家顔の死神」と呼ばれる男、霜兵衛が迷彩ネットの中から発射したものであった。
2撃目は、別方面に潜伏していた「釘打ちの死神」と呼ばれる諏訪賀利一であった
他にも、数組が、この桶狭間山周辺に潜伏していたことを知る者は少ない。
戦勝の祝いの宴には、義弟は現れなかった。
かくして、尾張一国の支配を完全にし、主敵の一つ今川を打ち破った織田家であった。
・・・・・
一方、破れた今川家家臣たちの一、松平家。
「もはやこれまで」
「無念でござる」
数日後、三河岡崎某寺である。
住職は切腹の決意を固めた松平元康に「
「何とか、僧兵たちとで、残党狩りを切りぬけるのです」住職が言う。
この寺にも、僧兵が存在したのである。
もちろん、農民ですら武装しているであるから、寺ももちろん武装している。
残党狩り(落ち武者狩り)など所詮農民崩れである。
「住職、力を貸してくれるのか」
「もちろんです、南無阿弥陀仏」
寺の周囲に、農民兵?強盗?のような輩が集まっている。
松平元康を狙ってというか、獲物を探しているのである。
「散れ!武者狩りなどさせんぞ!」
僧兵数十人が門からでて大声で呼ばわる。
「残念ながら、からしてもらうぞ」明らかにただの農民ではない男がいた。
僧兵が薙刀を構えるも、一瞬で槍が突きこまれる。
「掛かれ、織田様から褒美をもらうのじゃ!」
「おお!」
激闘が始まる、僧兵は農民たちを簡単に切り殺せたのだが、数名だけ尋常でない腕前の農民が混じっている。
次々と僧兵がやられていく、残党狩りが寺内に侵入していく。
「無念、もはやこれまで」
元康は切腹した。
「御免」介錯役が、刀を振り下ろす。
「寺に、火をかけよ、殿をお渡してはならん」
某寺は炎に包まれて、元康の遺骸は落ち武者狩りには渡らなかったという。
「松平殿は切腹なされた由にござります」
情報担当の一人、藤林長門守が報告にやってくる。
伊賀・甲賀の忍びたちは、日本各地に散り、様々な組織を作り情報を集めてくる。
「うむ」
これらの情報により、米の売買などを通じ差益を生み出してもいるのである。
歴史がその時、確かに動いたのだ。
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