第33話 堺沖海戦

033 堺沖海戦


九鬼水軍の大型戦艦(南蛮船)4隻と関船10隻は、紀伊友が島より出港した。

南蛮船はいわゆるガレオン船を模倣もほうしたものであり、3本マストが特徴である。

甲板、舷側には、青銅砲が搭載されていた。

基本的には、船員と戦闘員は分けられていたが、今はその境があいまいになってきていた。

船員が戦闘に慣れてきていたこともある。

和船よりも高速であり、衝角で、体当たり攻撃もできる安心設計?である。


九鬼水軍の南蛮船4隻は雁行陣で淡路島に向かっている、敵の安宅水軍が堺に来るまでに決戦を行う腹積もりであった。

関船は堺港周辺の防御である、港湾には、砲台が築かれているが今回はそれを使う予定を立てていない。


安宅水軍を発見し、同行戦を挑む、青銅砲が連続して火を噴く。

舷側には4門しか積んでいない、甲板には、移動式で5門である。

いわば、配備後、初めての実戦であった。


「撃てー」九鬼澄隆の命令が響く。

ドドーン舷側の青銅砲が火を噴き、ババッババンと甲板上の鉄砲隊がさらに火を噴く。

相手は安宅船である。

板壁に次々と鉛玉が食い込む音がする。

貫通すれば、向こう側の兵士が倒れる。

マストの見張り台からは、諏訪賀と蓮国が長射程ライフルで次々と死をまき散らしている。


速度が速い分同行戦も長くは続かない。

追い抜くと、反転を行い一周して追いついてから再度の攻撃という形になる。

安宅船からは、弓矢が飛んでくるが、それ以外に有効な攻撃方法はなかった。


安宅船の横腹にいくつも、大砲による穴が穿たれる。


「よし、最後は、ラム戦だ!」

衝角による体当たり攻撃のことである。


マストを降ろし、風に乗って疾走する南蛮船が、安宅船の後尾を襲う。

安宅船の舵はとても大きい。


「衝撃警報!」ガンガンと鉦がなる。

南蛮船の乗組員、全員が身を伏せ、船の縁などをつかむ。

ガガガーーーン。


安宅船の後部と舵が砕かれる。


5隻の安宅船が瞬く間に同様に航行不能状態になり、最後は、青銅砲の標的鑑となり沈没していく。

このようにして、堺沖海戦は始まり終わった、この戦いで安宅冬康あたぎ ふゆやすが戦死した。


一方、堺の地上戦では、三好義興みよし よしおきが、戦傷から様態が悪化し、数日後に戦没している。

三好家の柱が一機に削られていく苦しみが、畿内の覇者、三好長慶みよし ながよしの寿命を削ってしまったのか、その半年後に、山城において病死することになる。


堺は完全に鈴木家に支配される道を選択した。

紅屋の人々は鎖でつながれて、紀伊方面に連れ去られた。

没収された財産は、2万貫以上はあったはずである。

会合衆筆頭であったのだから。


河内の戦い、堺の戦い(第二次)の影響は畿内に大きく及んだ。

鈴木家が強すぎる。

三好家はさんざんに打ち破られ、畠山家もまったく同じだった。

全く傷を負わなかったようだという噂が流れていた。


根来寺、粉河寺、高野山は必要兵力以外は武装解除の上、各5万石(粉河寺は2万石)を与えられ、共存の道を選択せざるを得なかった。

宗教戦争、強訴の禁止、和泉、河内、大和方面の出入口の防衛と交通路の整備が生き残る交換条件とされたという。


この時代の宗教勢力は本物の武力を持っており、強訴などは朝飯前だった。

5万石に見合う兵力はせいぜい2500名である。

その兵士(僧兵)に峠の警備をさせようというのである。

根来寺(根来寺の全盛期は80万石も領していたというが、戦国時代にはドンドン押領されていたため兵だけが多くなってしまった。)はもともと雑賀衆に近かった(交流があった)が、粉河寺、高野山はそうではなった。

しかし、あまりに強すぎる雑賀衆に手を上げる勇気をくだかれた格好であった。


1555年(弘治2年)

鈴木家筆頭家老に昇進していた九十九は、「今年は戦はしません」を宣言。

孫一重秀は岸和田城の改築にいそしむことになった。

だが、九十九家家臣は動いていた。


興福寺大乗院、一乗院、代々興福寺別当となる門跡である。

そこに、宝蔵院胤栄が訪れている、柳生新次郎が付き従っていた。


紀伊の酒蔵は、興福寺の杜氏たちを連れてきて作られた、今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの売れ行きである、特に、焼酎は爆発的に売れている。

それを取り持ったのが、胤栄である。宝蔵院も興福寺の末寺である。

「わが殿の申すには、興福寺は権力を放棄し、学侶がくりょに力を入れるべきであると」学侶とは、本当の仏門を修行する人のこと、お坊さんである。

一方、僧兵は、坊さんではなく、戦闘員である。


「そのような戯言ざれごと」と一乗院門跡の覚慶かくけい(のちの足利義昭?)。

「八咫烏大神の御加護をご存じないのか」と伊賀者。

「こちらは、仏道である」

「春日神社も神道でありましょう」と伊賀者。


興福寺は春日神社と神仏習合により同一勢力となっている。

「ふん、にしてもなぜ放棄せねばならぬ」覚慶、彼は強気だ。

門跡というのは、公家などの子息が入る寺であり、もともと一般とはかけ離れているところがある。

ゆえに、他人のいうことを素直に聞くことはない。


「覚慶様、本日はおめでとうございます」胤栄。

「何がじゃ、宝蔵院、貴様は、興福寺の御恩を忘れたのか」

「ここに、殿がおられれば、また血天井ができるところでござった」

「いかにもいかにも」柳生、伊賀者がうなずいている。


「では一乗院は反対と、では、大乗院はどうなさるのか」

「我らは、そうじゃの」坊主が首をひねる。

「今の筒井では、我らを止める力はござらぬぞ、それに興福寺も押領により、財源が苦しいのでは」

「東大寺はこの条件を飲みましたぞ」東大寺は興福寺よりも、もともと勢力がなかった。荘園が少なかったのである。


「今年は河内の内政に力を入れますが、整い次第、大和への侵攻を開始してもよいと殿が・・・」

「殿は、仏教の守護者なのです、紀伊では、根来、粉河、高野山が従いました、そして、手厚い保護を受けることになりましたぞ」と畳みかける。


「ちなみに、先の堺の戦いでは、三好兵5000に対して、我が方は500でしたが、三好は一方的に崩れて、2000名が討ち取られ、大将の義興殿も後に戦没されております」

「海戦では、安宅船5隻が沈み、大将の安宅冬康殿も討ち死になされたのです」


「そうです、わしの宝蔵院を滅ぼすわけにいきません、どうか、従ってくださいませ」

ごつい腕のこわもての胤栄がとどめを刺しに行く。


「河内の戦いについて、お話しましょう」

えんえんと脅しか、嘘か、事実かが語られる。


その後も協議は何日にも渡り続いた。

宝蔵院は、杜氏の引き抜き、柳生は、地元に残った親類縁者への働きかけを同時に行っていた。


そんな時、恐るべき情報が届く。

三好長慶没す。


「決して、わが配下の、伊賀、甲賀者が動いたわけではありません」と暗殺を否定する。

「ええ、絶対に、暗殺などは行いません、殿は正々堂々でないといかんといつもおっしゃります」

こうなると、本当のことを言われるほうが怖くなるというものである。

一乗院、大乗院の坊主たちは、真っ青な顔になった。

反対すれば、暗殺される可能性が無限大である。


一方、東大寺には、「大仏殿が焼け落ちる夢をみたと殿がおっしゃっております」などとのたまう鈴木家家臣が協議を行っていた。


・・・・

筒井城

「しかし、殿自らとは危険ではありませんか」

「虎穴に入らずんば虎子を得ずというではないか」

「ですが・・・」


「面をあげよ」

目の前には、子供がいる。

その横には、大人がいる。

子供が、言ったのである。


「は、」

「何用ぞ」

「本日は、ご挨拶に参りました」

「ほお、何にあいさつか」

「簡単に言えば、興福寺と東大寺は、降伏しましたので、筒井様も降伏されるのが良いと思いまして罷り越しました」

「何!」子供の隣にいる大人が真っ赤な顔になる。

子供は後の筒井順慶(藤正)、大人は筒井順正(叔父)である。


「某は、鈴木家家臣、鈴木九十九重當にござる」

「拙者は、九十九様の付き人、望月出雲守でござる」


「貴様が雑賀の鬼か」と順正。

「失礼、鬼は、槍、刀の方でござる、某は鉄砲使い故、死神を二つ名としたいのです」

冗談とも本気ともつかない発言である。

「殿は剣もやりますから、鬼でも問題ないかと」

「ここで、討ち取れば!」

「できればよいですが、失敗すれば、皆さん死にますがよろしいのですか?」

「そうですぞ、我らが無手だからとか、考えない方がよいと思います、私は人間ですが、殿は人外です、おそらく皆さん死にます」

「望月君それはひどい」


「私がお相手仕ろう」そういったのは小姓の少年だった。

「貴殿は?」

「島左近!」

「ほう」


こんなところで以外な人物が登場したのである。


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