幕間 教皇との約束


 ソフィアは帝都グランディアにある教皇殿に来ていた。

 ミュトス教皇クレメンティオ十五世に会って、地方の浮浪児たちへの支援拡充を頼むためだ。


 教皇殿を移動していると、教皇殿で働く信者たちがソフィアの方を向いて両手を組む。


(私に祈っても意味がないのに)


 ソフィアは聖属性魔法が使えて多少の奇跡は起こせるが、天の声を聞くことはできない。聖女の責任は自覚しているが、崇拝の対象になっていることは違和感を覚えてしまう。


 大きな扉の前に立つ護聖騎士サラクトスの二人がソフィアに気がついて跪く。


「お勤めありがとうございます。教皇様とお約束があります。扉を開けていただけますか?」

「承知致しました」


 大きな扉が開き、ソフィアは教皇の間へと入る。


 白髪でしわの深い男性が艶やかな長い顎髭を触りながら豪華な椅子に座っていた。

 クレメンティオ十五世は優しい笑みをソフィアに向けて言う。


「聖女よ、良く戻られました。疲れはありませんか?」

「ございません。教皇様、私のために時間を取っていただきありがとうございます」

「聖女のためなら、ない時間から無理矢理でも時間を作ってみせましょう。頼みたいことがあると聞きました、何でも言ってください」

「ありがとうございます。実は地方の子どもたちの保護が上手く進んでいません。支援の拡充をしていただけませんでしょうか?」

「支援の拡充ですか…… それは新たに資金を投入して欲しいと言っているのですか?」

「はい……」


 クレメンティオ十五世は考えるように自分の顎髭を触る。


(教皇様が渋るの分かっていた。子どもたちを保護するために教会は大金を使っている。でも、全然足りていない。私が頑張って説得しないと)


「どうかお願い致します、教皇様」

「そうですね、教会の資金にも限りがありますから」


 そう言われてしまうと、ソフィアにはどうしようもなくなってしまう。

 全ての決定権は教皇のクレメンティオ十五世にある。


「聖女よ、暗い顔をしないでください。方法がないわけではありませんから。浮浪児たちを保護した時の約束は覚えていますか?」

「はい、カイル殿下との婚約です」


 帝都がベスティアに襲われた際、上流街と平民街、貧民街は破壊され、親を失った大勢の浮浪児たちが生まれてしまった。

 ソフィアは浮浪児たちを救うためクレメンティオ十五世に願い出ると、保護する代わりに以前より提案されていたカイルとの婚約を承諾することになった。


「ですが、良いのでしょうか? カイル殿下はエイルハイド公爵家のアンジェリーナ様と既に婚約されています」


 クレメンティオ十五世は笑みを崩さずに言う。


「聖女、あなたが気にすることではありません。あなたはこの国の妃となるのです。聖女であるあなたが妃となれば、天の加護が広まり、民は幸せになります。あなたは頷くだけで良いのです」

「…… はい」

「それで良いのです。聖女の望みである浮浪児たちの保護は私から皇帝に申し上げましょう。国庫から直接支援をしてもらいます」

「ありがとうございます! 子どもたちが助かります」


 皇帝とクレメンティオ十五世の親交は深い。国からの支援があれば、子どもたちの保護は更に進む。


(子どもたちの命と帝国の人たちのために私は妃となる。私がカイル殿下の妃となれば、皆が幸せになる。だから、これで良いよね?)


 クレメンティオ十五世がソフィアに近寄って言う。


「髪が痛んでいますね。これから年が明けるまで地方での活動は許しません。浮浪児たちの保護活動は他の者に任せなさい。あなたにはするべきことがあります。年明けの婚約発表の準備です」

「年明け!? 急過ぎませんか? 私はカイル殿下とまだちゃんと話したことがありません」

「今から親交を深めれば良いだけです。カイル殿下はあなたの容姿が気に入ってます。何も問題ありません。後のことは私の部下たちに任せてあります。聖女よ、あなたは何もしなくて問題ありません。カイル殿下と親交を深めることだけに努めなさい」

「…… はい」

「では、下がりなさい。私は今から祈りの時間です」

「教皇様、ありがとうございました」


 ソフィアは頭を深く下げて退出した。



 ◇◇◇



「ふっふふふ、今からお祈りの時間ですか。私は出直しましょうか、教皇様?」


 クレメンティオ十五世は驚いた表情で壁の方を見る。

 仮面の女性が壁にもたれて立っていた。


「驚きました。テラム、いつ来たのですか?」

「聖女との会話中に。聖女はちゃんと従っているようですね」

「浮浪児たちを助けるためですよ。あなたがここに来たのは報告のためでしょう? 順調なのですか?」

「ふっふふふ、心配しなくても順調ですよ。婚約のことは少しずつ怪しまれない程度に広まっています。聖女が皇太子の妃になることは平民に好意的でしたよ。ふっふふふ、皇族の評判は悪いようですが」


 クレメンティオ十五世は満足そうな笑みを浮かべて言う。


「それは良い知らせです。聖女が皇太子の妃として民の人気を得れば、私たちの力は磐石のものとなります」

「そして、教皇様はこの国をミュトス教の国とするのですね?」

「誰もが天を崇め、天の教えに従う国。正しく美しい世界では、皆が必ず幸せになります。皆を幸せにするために、この国は天の国とならなければなりません。テラム、あなたも天に祈りを捧げませんか?」

「ふっふふふ、嬉しいお誘いですが、私は外からお手伝いをするだけです」

「そうですか、それは残念です。気持ちが変わったら教えてください。いつでも歓迎しますよ」

「ふっふふふ、ありがとうございます。教皇様、今は上手く進んでいますが、フレイヤ・フォン・ルーデンマイヤーには注意してください」

「フレイヤ・フォン・ルーデンマイヤー…… 帝都を救った少女剣士ですね。平民の信者からとても人気があると聞いています。それに、聖女はその少女と親しいようです。あなたの言う通り、気をつけましょう」

「私はあなたの信仰のお手伝いに戻るとしましょう。それでは失礼致します」


 テラムは小さく礼をして、堂々と扉から出て行った。

 扉の前には護聖騎士サラクトスが二人いるはずなのに何も騒ぎは起きない。


 テラムとの付き合いはクレメンティオ十五世が教皇になる前からだ。初めて会ったのは自分がまだ司教に成り立ての時。色んな汚いことを手伝ってもらっているが、今まで何かを要求されたことはない。

 彼女が何者で何の目的があるのか分からない、不気味で怖い存在でもある。しかし、クレメンティオ十五世が自らの信仰の極地に至るには必要な存在だ。


「危険ではありますが、全ては信仰のため。全ての不浄を呑み込んだ先に、私の願う天の国があるのです」


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