第103話 エルフ族の少女
体中に他人の血がベッタリとついている。
大勢の人たちを斬り殺してしまった。後悔はないけど、両手を上げて素直に喜べない。エルフ族と獣人族の奴隷たちはザックバークに従わされていただけだから。
「フレイヤ!」
パウラお姉様の声ではっとする。
「ザックバーク侯爵を討ち取ったのですね、お見事ですわ。フレイヤ、行きなさい。あなたの大切な人が走って来ています」
シオンがこちらに走って来ていた。私もシオンに向かって走り出す。
「シオン!」
「フレイヤ様!」
私とシオンはお互いに抱き締め合う。
「シオンの馬鹿! 勝手にいなくならいでよ!」
「申し訳ございません。私はフレイヤ様にご迷惑を掛けたくなくて。ですが、余計に迷惑を掛けてしまいました。申し訳ございません」
私は大きく息を吐いて言う。
「謝罪なんていらない。私が聞きたいのは別の言葉だよ。皆、シオンを助けるために協力してくれたんだからね」
「…… フレイヤ様、ありがとうございます」
「どういたしまして。協力してくれた人たちにもお礼を言わないといけないね」
「はい、感謝を申し上げに行きます」
離れるとシオンが転けそうになって私が支える。脚に力が入らないようだ。
シオンを改めて見ると、とても痩せてしまっている。
断られると思ったので、強引にシオンを背負う。
「私、歩けます」
「背負わせて。それとも、血だらけの私が嫌? ごめんね、血だらけで」
「そんな! 嫌じゃありません。謝らないでください。本当にありがとうございます」
パウラお姉様が私たちのもとに来て言う。
「二人とも良かったですわ」
「パウラ様、私を助けるために戦っていただきありがとうございました。このご恩生涯忘れません」
「いいえ、忘れて結構ですわ。フレイヤにとって大切な人であれば、
「はい、必ず」
馬車に向かって歩き出し、生き残ったエルフ族と獣人族たちを見る。
「パウラお姉様、この人たちはどうなるのでしょうか?」
「おそらくブリュノール王国に返されるでしょう。貴重な戦闘奴隷ですから」
「そうですか……」
馬車に着くと、パウラお姉様とは別れることになった。
魔獣討伐の傭兵として地方に向かうと説明された。地方では以前と変わらず帝国騎士の数が圧倒的に足りていない。
パウラお姉様を見送って、私とシオンは一緒に屋敷へ帰った。
◇◇◇
「フレイヤ! シオン!」
馬車から降りると、私たちはお母様に力強く抱き締められた。
「コルネリア様!?」
「着替えましたが、私たちまだ汚れています。お母様も汚れてしまいますよ」
「そんなことどうでもいいわ! 私がどれだけ心配していたか。二人とも帰って来てくれて本当に良かった」
驚いた、お母様が泣いている。
シオンを取り返すために決闘するって直ぐに決めたけど、お母様の気持ちを全然考えていなかった。
「お母様……」
お母様が涙を手で拭って言う。
「ごめんなさい、急に抱きついてしまって。シオンはお風呂に入れるかしら?」
「はい、入れます」
「そう、分かったわ。フレイヤも入りなさい。お風呂に上がったら食事を用意するわ。お腹空いていると思うけど、消化に良い料理を出してもらうから」
「ありがとうございます、コルネリア様」
屋敷に入り、シオンと一緒にお風呂場へ行く。
私はさっさと服を脱ぐけど、シオンは脱ごうとしない。
「シオン?」
「私はフレイヤ様の後から入ります」
どうしてなのか言わなくても分かる。
「一人で体を洗うのは辛いわ。私が洗ってあげる。眠たくなったら、眠っていいから。私に任せて」
服を脱がすと、
私は何も言わずにシオンの手を取ってお風呂場に入る。
「椅子に座って。私が洗ってあげる」
「フレイヤ様、それは……」
「私に任せて。命令だからね」
命令と言ったら、シオンは渋々の表情で前を向いた。
石鹸を使ってタオルを確りと泡立てる。泡立ったタオルでシオンの背中を優しく洗い、次に手足を洗う。
少しすると、シオンの首がかくかくと縦に揺れ始めた。
眠気と戦っているようだ。我慢しないで眠ったら良いのに。でも、眠たいのは屋敷に帰って安心したからだよね。
シオンの泡を流す前に私の体も洗う。
力を入れて洗わないと、この鉄の臭いは落ちないかもしれない。
泡立てたタオルで体を洗う。戦いの傷はもう塞がったので少し沁みただけだ。
塞がったのは良いけど、傷の治りがどんどん早くなっている気がする。これも剣聖フレイヤの力なのかな?
シオンの泡を先にお湯で流してから私も流す。お風呂場から出ると、シオンの体を拭いてあげる。
「いつもとは逆になってる。でも、元気になったら私の世話をしてね」
「お任せください。生涯を掛けて、フレイヤ様のお世話を致します」
冗談のつもりで言ったのに、シオンはその時だけ真剣な表情になって答えた。
服を着せると完全に眠ってしまい、私はシオンを起こさないように背負う。
「今日は食べれないけど、明日はちゃんと食べて、早く元気になってね。シオンがいないと私は何もできないから」
眠ったシオンをベッドに寝かせて、私はお母様のいる居間に向かった。
「お母様、ごめんなさい。シオンは眠ってしまいました」
「仕方ないわね。フレイヤは? 食べれるの?」
「私は食べます」
「食べたら、あなたも眠りなさい。元気そうにしているつもりだけど、疲れているのは分かるわ」
「ありがとうございます、そうします」
「これからのことはまた明日にでも話しましょう。さあ、早く食べなさい」
用意してくれた消化の良い食事を食べ終えて、お母様に挨拶をしてから私は自室に行く。
私は寝る用のゆったりとしたワンピースに着替えて、ベッドに倒れ込むと、気絶するみたいに暗闇の中に沈んでいった。
そして、何か大きな気配を感じて目を覚ます。ベッドから跳び上がり、その何かの方を向いて戦闘体勢を取る。
気配を感じるのは屋敷の外からだ。屋敷から音がしてこないので、誰もこの気配に気がついていない。
殺気は感じられないけど、明らかに異質。こんな気配は知らない。意識を向け続けると、呑まれてしまいそう。
じっとして様子を見ているわけにはいかない。もし敵だったら、皆が危険だ。
私はお父様の剣を持って、音を立てずに外へ出た。
ひんやりとして、目が覚める。暗闇の中にぼやっとした光。その光の中で真っ白なワンピースを着た少女が立っている。
尖った耳に腰まで伸びる緑の髪、私よりも背丈は小さい。さっき感じたあの大きな気配はなかった。
「エルフなの?」
エルフ族の少女が光の中から消えて、目の前に突然現れる。直ぐに距離を取ろうとするが、腕を掴まれて動けない。体が固まってしまったみたいだ。
「世の子どもたちを殺めたな?」
少女の瞳が七色に光り、あの大きな気配が放たれる。
格が違う、私たちと同じ存在とは思えない。
「…… あなたは何者ですか?」
「世には色んな名がある。神、大いなる母、アルボス、破壊の化身と呼ぶ者もいたな」
「私をどうする気ですか?」
「どうもしないさ。エルフは死んだら、森に返るだけだ。世がお前に思うことは何もないよ。しかし、人の娘よ、お前こそ何者だ?」
「私は…… 何? いや……」
体の奥をぐるぐるとかき混ぜられる感覚がして、クレアの記憶が勝手に浮かぶ。
アンジェリーナ様を守れなかった時の記憶やアンジェリーナ様と一緒に過ごした日々。
色んな記憶を強引に覗かれている。気持ち悪い、止めて!
「興味本位で来た甲斐があった。人の娘よ、面白いぞ。二つの魂が混ざっているのか、一つの魂は小さいな。主人格はお前か。驚いたぞ。まさか異世界ではなく、似て非なる平行世界の魂が入り込むとは!」
固まっていた体が緩み、急に疲労感がどっと押し寄せて来た。その場で膝をつき、息が乱れる。
「楽しませてくれた礼だ。お前にとって良いことを教えてやろう。この先、この国に大変なことが何度も起きる。いくつもの命が消えるぞ。クレアが知らないようなことだ。そして、お前は近いうちに大きな選択を迫られることになる」
「大きな選択?」
「ああ、それは…… ムッ、残念だ。もう時間か」
少女がぼやけて透明になっていく。
「この体は世の分身体でな、長くは形を保てんのだ。まあ、いずれ直接会うこともあるだろう。また会おう、剣聖フレイヤよ」
少女が完全に消えると、いつの間にか朝日が昇り始めていた。
私は呆然と呟く。
「一体、何だったの?」
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