第96話 どこに行ったの?


 ガタガタと馬車が揺れる。私は馬車に乗ってアンジェ様の屋敷へと向かっていた。

 社交界が本格的に始まる時期なので、アンジェ様は貴族街の屋敷にいる。


 前に座るシオンを見た。私の視線に気づいていない。いつもは直ぐ気がつくのに。

 最近シオンの様子が変だ。今もそうだけど、暗い表情をすることが多くなった。


「シオン、何か心配事?」

「…… どうしてでしょうか?」

「元気なさそうだから。疲れてる?」


 シオンが微笑んで言う。


「…… そうかもしれません」

「ごめんなさい、疲れてるなんて気づかなかったわ。私の世話の他にも色々とあるものね。お母様に言って、シオンの休みを数日いただくわ」

「そんなのいけません。私が休むわけには」

「疲れているんでしょ。休める時は休んで。マルティスに会いに行くのも構わないわ」

「…… 分かりました。ありがとうございます」


 馬車が止まり、シオンの手を取って降りた。


「フレイヤ!」


 ロゼがこちらに走って来て私を抱き締める。


「久しぶりですね。会いたかったです!」

「私もよ、ロゼ」


 私もロゼを抱き締め返して笑顔になった。

 思ったよりも長く抱き締められる。背中を優しく叩くと、ロゼは離れて私に微笑んだ。顔が赤い。恥ずかしがり屋で可愛いのはやっぱり変わらないね。


「屋敷に案内しますね。アンジェ様が客間でお待ちです」

「うん、お願い」


 久しぶりのロゼなのでもう少し仲良くしていたい。私はロゼと腕を組む。


「フレイヤ?」

「アンジェ様のもとまでエスコートしてね」

「今だけフレイヤのためにエスコートをしてあげます」

「ありがとう!」


 ロゼと腕を組みながら屋敷へ入る。

 ちらっとシオンを見た。私が調子に乗ると、いつも睨むのに下を向いたままだ。相当疲れているみたい、いつもごめんね。


 客間でアンジェ様が立って私を待ってくださっていた。

 アンジェ様の後ろにはカロン様が控えている。カロン様と目が合って会釈をされた。無事で良かった。


「アンジェ様……」


 抱き締めたい衝動を我慢して、私はドレスの裾を摘まんで挨拶をする。


「本日はご招待をいただきありがとうございます」

「来てくれて嬉しいわ」


 アンジェ様が目の前まで近寄って来た。

 何だろうと首を傾げつつ、改めて綺麗だなと思う。

 今日のアンジェ様は真っ赤なドレスを着ている。何を着てもお美しいけど、顔立ちに負けないくらいの華やかな色が似合う。体が成長されたからか、とても魅惑的だ。


 アンジェ様が急に私を抱き締めた。


「アンジェ様!?」

「私もロゼもフレイヤのことをとても心配したのよ。手紙で無事だとは分かっていたけど、あなたの元気な姿を見れて安心したの。しばらくこうさせなさい」


 アンジェ様もロゼも私をこんなに心配してくれた、その気持ちが凄く嬉しい。


「二人ともありがとうございます」


 アンジェ様が私から離れて言う。


「フレイヤ、ロゼ、座って。今からお菓子を用意させるわ」


 メイドが入室して、お菓子を用意すると、さっさと退出する。いつも手際が良い。

 色んなお菓子が並んでいる。アンジェ様の好きなアップルパイもあった。


「どうぞ召し上がって」


 色んなお菓子があるけど、私が気になったのはケーキのような生地で分厚い円形のお菓子だ。


「バウムを食べたいのね。そのナイフで切り分けて。エイルハイド領の料理人が新しく作ったの」


 ナイフで自分の食べる分を切って、お皿に置く。切断面の模様が木の年輪みたいで、表面に粒々した砂糖がまぶしてある。この砂糖は白双糖しろざらとうと言って、南大陸から輸入されたものだ。うん、これは絶対に美味しい。

 口に入れると、上品な甘味を感じ、生地は見た目と違ってふんわりとしている。表情が勝手に緩んでしまう。


「とても美味しいようですね。フレイヤ、嬉しそう」

「良かったら、持ち帰る?」


 私は口の中のバウムを食べ終えてから言う。


「良いんですか!?」

「もちろんよ。こんなに嬉しそうに食べてもらえると思わなかったわ」


 アンジェ様がカップを置き、ロゼもカップを置いたので、私は食べるのを止める。


「フレイヤ、帝都の民を救ってくれてありがとう。私とお父様は領地に手一杯で何もできなかったわ」

「アンジェ様も大変だったはずです。カロン様が無事で良かった」

「全部フレイヤのおかげよ。あなたに教えてもらっていたから事前に魔獣の対策ができたの」

「お役に立てて良かったです」

「あなたの力のこと、ロゼにも話してくれないかしら?」

「そうですね、分かりました」


 アンジェ様がシオンをちらっと見て言う。


「シオンはいて良いの?」

「はい」


 私はロゼを見つめて言う。


「実は私、特異魔力保持者で未来予知が使えるの」

「未来予知ですか?」

「不正確だけどね。アンジェ様には魔獣の件を前もって伝えていたわ」

「だから、アンジェ様は色んなことを予測できたんですね」

「あんまり驚いていないように見えるけど」

「今更驚きません。フレイヤは凄い人だって友だちになった時から分かっていますから」


 ロゼが可愛い笑顔で言った。


 その笑顔から少し目をそらす。

 前世の記憶があるっていつか言う時があるのかな?


「これでロゼと一緒にフレイヤの未来予知について聞けるわ。フレイヤ、他に予知したことはない?」


 予知はないけど、アンジェ様に言うべき重要な情報がある。


「アンジェ様、オムニア・プリムスという名前の組織をご存知ですか?」

「オムニア・プリムス? で万物の始まりという意味ね。その組織は何なの?」

「帝都を襲った黒幕で、ベスティアを操っていました。それに、あの時の魔物にも関係していました。不気味な存在です。私が会った女はテラムと名乗っていました」

「そんな組織が……」


 アンジェ様は黙って手で口を覆う。何か考えているようだ。

 アンジェ様ははっとした表情になって言う。


「ごめんなさい。重要な情報をありがとう、気をつけておくわ」


 アンジェ様が飲んでと手で合図をする。

 私はお茶を飲んで喉を潤した。


「そう言えば、舞踏会へ積極的に参加をしているらしいわね。とても綺麗になったからフレイヤは人気者でしょ?」

「私なんか二人ほどではありません。アンジェ様はとても綺麗になりましたし、ロゼは羨ましい可愛さです」


 私が言うと、アンジェ様とロゼは顔を見合わせて笑う。


「フレイヤは自分への評価が低過ぎです。知っていますか? 社交界でフレイヤは微笑みの麗嬢れいじょうと呼ばれているんですよ」

「その変な二つ名は何!?」

「微笑んでくれるけど、決して相手にしてくれない美しい令嬢という意味らしいです」


 恥ずかし過ぎる。お母様の言う通りに微笑んでいただけなのに。

 舞踏会と言えば、あの貴族のことを聞きたい。


「アンジェ様、貴族派の貴族のことで訊きたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「答えられないこともあるけど、何かしら?」

「ザックバーク侯爵はどんな方でしょうか?」


 アンジェ様が顔をしかめた。


「訊いては駄目でしたか?」

「そんなことないわ、私が嫌いなだけ。ザックバーク侯爵を一言で言うと、奴隷嗜虐糞野郎どれいしぎゃくくそやろうよ…… ごめんなさい。つい汚い言葉を使ってしまったわ。それで、その糞野郎がどうしたの?」


 アンジェ様がそんな汚い言葉を使うなんて。とても嫌っているのが良く伝わる。


「声を掛けられたので気になって。ベスティアとの取引があったと噂で聞いたので、私たちを恨んでいるのかもしれません」

「それはないと思うわ。ベスティアよりも懇意にしているのはブリュノールの奴隷商人みたいだから」

「奴隷商人?」

「ブリュノール王国は奴隷制が残っているのよ。私が言うのもおかしな話だけどね」


 アンジェ様たちエイルハイド公爵家はエルフ族の奴隷売買を行っている。正直、アンジェ様が今も奴隷売買を行っている意味が分からない。何か理由があると思うんだけど、訊いても良いのか迷う。


「取り敢えず、ザックバーク侯爵とは関わらない方が良いわ。ブリュノール王国の要人と関係が深いし、奴隷愛好貴族たちと懇意にしている。お父様と私にもっと力があれば、貴族派から追い出すのに」


 アンジェ様がそこまで言うなんて。ザックバーク侯爵は本当に力のある貴族のようだ。アンジェ様の忠告通り、関わらないでおこう。


「難しい話は終わりよ。お茶を入れ直して、お菓子を食べましょう。そうよ、あの話。ロゼのい人の話を聞いてあげて」

「もう止めてくださいよ、アンジェ様」


 と言いつつも、ロゼは嬉しそうに話し始めた。



 ◇◇◇



 私はベッドに腰掛けて言う。


「今日はとても楽しかったわ」

「そのようですね。戻られてからも、ずっと笑顔のままです」

「久しぶりにアンジェ様とロゼに会えたし。ねえ、シオン」

「何でしょうか?」

「未来予知のこと何も訊かないの?」

「訊く必要がありません。フレイヤ様はフレイヤ様ですから」

「あ、そう」


 その答えが嬉しくて表情が緩む。


「シオン、いつもありがとう」

「…… 気にしないでください」

「わあーぁ」


 大きなあくびが出てしまった。もう眠たい。


「シオン、私寝る」

「はい、お休みなさいませ」

「お休み」


 幸せな気分でぼんやりとする。誰かが私の手を優しく握っている気がした。シオンかな?


「私の可愛い可愛いご主人様、いつまでもお側にいます」


 う、眩しい。目を開けて、ゆっくりと起き上がる。

 もう朝だ。かなり時間が経っている。完全に日が昇っているし。


「シオンは?」


 いつも起こしてくれるのに。何だか急に不安になってきた。


 自室から出て、シオンを探す。屋敷を探し回るけど、どこにもいない。

 廊下にヘドリックがいた。


「ヘドリック! シオンはどこにいるの?」

「シオンでございますか? フレイヤ様を起こしに行ったのでは?」

「来てないよ! 屋敷のどこにもいないし」

「まさか……」


 私はヘドリックの腕を強く掴んで言う。


「まさかって何!? シオンはどこに行ったの?」



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