幕間 シオンの養父


たまにお転婆過ぎることもありますが、フレイヤ様は立派な淑女へと成長されました。シオンがいつもフレイヤ様の側にいてくれているからですよ」

「いえ、そんなことは、フレイヤ様が努力された結果です」

「そうですか。シオンならば、そう言うと思っていました……」

「ヘドリック様?」

「静かに。誰かが近づいて来ます。この足音、フレイヤ様ではありません」


 ヘドリックが剣を持ったので、シオンは外に意識を集中させて警戒する。


(貴族の方でしょうか? でしたら、フレイヤ様があの屋敷にいることは知っているはず……)


 足音が馬車の前で止まる。


「失礼、私はゴールズ・フォン・ザックバークです。ルーデンマイヤー家の使用人と話をしたい。開けてもらえませんか?」


 ヘドリックは不審に思いながら馬車のドアを開けて外に出た。ザックバークが侯爵だと知っていたからだ。


「私はルーデンマイヤー家の従者でヘドリックと申します。侯爵様が何用でしょうか? フレイヤ様は舞踏会の会場にいますが」

「知っています。フレイヤ嬢とは挨拶を済ませました。フレイヤ嬢のメイドをしているシオンに用があるのです。そこにいるのでしょう、出て来てください」


 シオンは震えていた。ザックバーク侯爵の声を聞いた瞬間、かつての恐怖が蘇ってきた。


(どうしてあいつがいるのですか? もう何もないと思っていたのに)


 馬車のドアが開き、シオンも外に出る。


「シオン、大丈夫ですか?」

「はい、少し寒くて」


 ザックバーク侯爵は嬉しそうに両手を広げて言う。


「ああ! やはりシオンでしたか! あなたをどれだけ探していたか」


 ザックバーク侯爵の声を間近で聞き、シオンは恐怖が増して思わず一歩下がる。


「ザックバーク侯爵様、失礼ですが、シオンとはどのような関係ですか?」


 ザックバーク侯爵が気味の悪い笑みを浮かべて言う。


「私はシオンの養父ですよ」


 シオンはブルブルと首を横に振った。


「違うと言っているように見えますが」

「もしかしたら、忘れてしまったのかもしれませんね。私がシオンの養父だったのは六歳から八歳の間でしたから。私の前から急に姿を消したので、ずっと探していたんですよ。お疑いになるのなら、証拠もあります」


 ザックバーク侯爵がヘドリックに見せたのは血判状だ。養父ザックバーク、養女シオンと記載されていた。


「ヘドリック殿、ご理解いただけましたか? 私とシオンの二人きりで話をさせて欲しい。親子水入らずで話をしたいのですよ」

「ですが」


 ザックバーク侯爵が声を上げる。


「早く離れろ! 子爵の従者ごときが私に逆らうのか!」

「…… 承知致しました」


 ヘドリックが離れて、シオンはザックバーク侯爵と二人きりになってしまった。



 ◇◇◇



「シオンに会いたかったですよ!」


 シオンはザックバーク侯爵に抱き締められる。離れようとするが、怖くて力が入らない。


「放して、放してください」

「シオン、黙って私の言うことを聞きなさい。私と離れている間に生意気になったようですね。小さい頃のあなたは従順で可愛かったのに。どうして私の前から消えたのですか、ねえ!?」


 ザックバーク侯爵がシオンの腹部を何度も殴る。シオンはゴホッゴホッと咳き込み、膝をつきそうになるが抱き止められた。


「あなたを可愛がるのは今度にしましょう。帰って来るまで待ちます」

「帰る?」

「そうですよ、シオンは私の養女なんですから」

「嫌です」

「は?」

「私はフレイヤ様の側から離れるつもりはありません」


 シオンはザックバーク侯爵をギッと睨む。


(そうです。私はフレイヤ様の側から離れません)


 ザックバーク侯爵がシオンを放して優しく微笑む。諦めてくれたと思って、シオンは少し気持ちが緩んだ。


「ルーデンマイヤー家の領地、何と言いましたか?」

「…… ラヒーノです」

「そう、ラヒーノ。小さな領地に酷い土地、しかも住民は少ない。潰しましょうか?」

「え?」

「あなたが私のもとに帰って来ないのなら、野盗でも雇ってラヒーノを襲わせますよ。バレないようにするのは簡単ですから、私は侯爵なので。ああ、誰かに言うのは駄目ですよ。見張りをつけるので、その動きを確認した時点で潰します。領民が死んだら、フレイヤ嬢は悲しむでしょうね。良く考えてください。そのまま残ってフレイヤ嬢の悲しむ姿を側で見るか、私のもとに帰って来るか。二つに一つですよ。また会いましょう、私の愛しい奴隷


 ザックバーク侯爵が去ると、シオンは力なく崩れた。


(どうして急にこんな…… 今まで何もなかったのに。あんな場所に戻りたくありません。ですが、戻らなければ、フレイヤ様が悲しむことになります…… 怖い)


 シオンの顔は蒼白し、手がガタガタと震えた。

 戻って来たヘドリックはシオンの震える姿を見て言う。


「シオン! どうしたのですか、体が震えています。ザックバーク侯爵と何があったのですか?」

「…… 何もありません」

「嘘を言わないでください! こんなにも体が震えているじゃないですか」

「寒いからです。ヘドリック様、私は本当に大丈夫なんです」

「…… 本当ですか?」

「はい」


 シオンがヘドリックと言い合いをしていると、フレイヤが戻って来た。


「二人とも寒いのに。中で待っててって言ったでしょ。それで、二人は何の話をしていたの?」


 シオンはヘドリックよりも先に返答する。


「何でもありません。フレイヤ様、お帰りなさいませ」

「そう、何でもないなら良いけど。これ、お土産。お菓子が色々と入っているから皆で食べましょう」

「ありがとうございます」


 先にシオンが馬車に乗って手をフレイヤへ差し出す。差し出した手がまだ震えていて、自分では震えを止めることができない。

 フレイヤはシオンの震える手を取って馬車に乗る。


「ほら、寒くて手が震えているわ。毛布はシオンが使って、命令だからね。ヘドリックも分かってる? あなたが一番寒いんだから。帰ったらお風呂に直行よ、一番先に入ってね」


 ヘドリックが御者台から馬車の壁越しに言う。


「かしこまりました。ありがとうございます」


 馬車が走り出し、フレイヤは舞踏会の内容をシオンに語り始めた。シオンは何度も頷き、時々質問をしながらフレイヤの話を聞く。

 いつもと同じことが今のシオンにはとても幸せに感じた。


(フレイヤ様、私はあなたの悲しむ姿を見たくありません。だから、私は――)



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