幕間 レオンハルトは遭遇する


 レオンハルトはマティウスと共に平民街を歩いていた。


「レオ、本当に行くのか? やっぱり止めようぜ」


 レオンハルトの目的地は貧民街カジュアラ。

 最も大きい貧民街で、無法者が多い一番危険な貧民街だ。


「平民街を歩き回って、他の貧民街にも行ったり、挙げ句の果てにはカジュアラだ。お前は何がしたいんだ?」

「さあな、俺も分からん」

「またそれかよ」


 マティウスは溜め息をついて言った。


 すると、薄汚れた服を着ている少年がレオンハルトにぶつかった。

 ごめんなさいと言って少年が去ろうとする。

 レオンハルトはその少年の手を掴んだ。


「何? お兄さん? 僕、急いでいるんだけど」

「盗んだ物を返せ」


 少年は逃げられないと理解したのか、素直に財布を返す。

 掴んだ手から少年の震えがレオンハルトに伝わった。

 スリを失敗した浮浪児がどうなるか。貧民街で売られても文句は言えないし、最悪の場合、殺されるかもしれない。浮浪児の常識だ。


(俺はそんなつもりないんだがな)


 レオンハルトは財布を開いていくらか渡す。


「早く行け。次は捕まるな」


 少年は何も言わずに走り去った。


「おい、レオ」

「分かっている。こんなのは偽善だ」


 上流街から離れた平民街では浮浪児がどんどん増えている。

 親に捨てられた子どもや親が死んだ子ども、理由は様々だ。

 平民街で生きることが難しくなれば、貧民街に行って、もっと危険な仕事をする。

 重税を払えなくなった大人も貧民街に行く。貧民街の住人は重税を払う必要がない。

 その代わり、貧民街で誰が死のうが売られようが、国は無関心だ。

 無駄な労力を使わずにを集めることができる。


(俺たち貴族は何をしているんだろうな。守るべき民を見捨てるなんて)


「いつも俺を連れ出しているけどな、俺だってやることがあるんだぜ。カリナって女のことを調べないとならないし」

「カリナ?」

「ああ、フレイヤ様が教会に預けた女だ。ボロボロのドレスを着たフレイヤ様がカリナを背負って教会に来た。気になったから、その日、何があったのか調べたんだよ。変な魔獣が上流街に出て、ドレスを着た銀髪の令嬢が戦っていたそうだ」

「銀髪の令嬢、フレイヤのことだな」

「ああ。フレイヤ様には聞けなかったけど、カリナや上流街の奴らから聞いたら、現れた魔獣は人型だったらしい」

「人型? そんなの聞いたことがないぞ」

「俺もだよ」


 帝都周辺で魔獣の被害が増えていることをレオンハルトは知っていた。


(もしかしたら、何か関係があるのかもしれないな)


「この先がカジュアラだぞ」

「そうか、行くぞ」

「何かあったら、俺を守れよ」


 カジュアラに入って直ぐ、レオンハルトは視線を感じた。


「気にすんな。九番地区でもあっただろ」

「ああ、分かった。カジュアラも九番地区と殆んど変わらないんだな」

「同じ貧民街だからな」


 カジュアラも九番地区と同様に暗く、嫌な臭いがしている。

 道端には生き倒れて動かない人もいた。


 細い路地が見える。

 レオンハルトは気になって、そこへ行こうとした。


「路地には入んな」

「何かあるのか?」

「じゃあ、覗いてみろ」


 細い路地にはどこを見ているか分からない表情の人々が何かを吸って座り込んでいた。

 よだれを垂らし、全裸の者までいる。


(たばこを吸っているのか?)


 レオンハルトが近づこうとしたら、マルティスに腕を掴まれて強く引っ張られる。


「馬鹿、行くな。お前も吸ってしまうぞ」

「マルティス、あれは何だ? たばこではないな」

「麻薬だよ。あれを吸うと、気持ち良くなるんだ。その代わり、ここが死ぬ」


 マルティスが頭を指差して言った。


「どうしてこんなものが?」

「知らねぇよ。情報屋の俺でも簡単に分かんねぇってことは知らない方が良いってことだ。ほら、行くぞ」


 しばらく歩いていると、視線がなくなったのをレオンハルトは感じた。


「視線が消えたな」

「何もないって分かったんだろうよ。このままカジュアラを見るのか?」

「ああ」


 レオンハルトが平民街や貧民街を見て回っていたのは民の生活を知るためだ。

 数年前から民の生活に興味を持ち、初めて貧民街を訪れた時にマルティスと出会った。


(年々、民の暮らしが苦しくなっているのが分かる。父上が統治するノワールは交易関係で潤っているから苦しむ民は少ない)


 ヴェルナフロ領ノワールはロヴィリアに最も近い。

 ウォーレ自由都市国家と貿易を行っている中心都市がロヴィリアで、ノワールにはその貿易品が大量に流れる。

 そのため、ノワールには多くの行商人が訪れ宿泊業が盛んだ。また、他領への運搬業務などを行っている。


(父上や家臣たちがノワールを上手く統治している。だが、自領民を省みない貴族も多い。その貴族たちのせいで、他領で苦しむ民たちがいる。当然、他領のことは介入できない。皇帝ゴットハルトの住む帝都であれば、尚更だ)


 民がどうして苦しい生活を強いられているのか、レオンハルトはその理由を分かっていた。


(腐敗した貴族はいらない。民のために尽くす貴族が必要だ。それを実現するには力がいる。貴族をまとめるための絶対的な力が……)


「おい、レオ。レオンハルト!」

「すまん、考えごとをしていた」

「しっかりしろよな。遅くなると危険だ、帰るぞ」

「ああ」


 カジュアラを出る前に、レオンハルトはこの貧民街についてマルティスから説明を受けた。


 カジュアラには多くの犯罪組織が存在し、ギリギリの均衡を保ちながら共存している。

 中でも最も勢いのあるのが、ベスティアと呼ばれる組織だ。

 主な収入源が奴隷売買であり、九番地区にいた奴隷商人フラドもその一員になった。

 今は起きていないが、犯罪組織同士の抗争が起きることもある。


(貴族の派閥争いと同じだな。ん? あいつは何者だ?)


 路地に入って行く男が目に入った。

 その男は帯剣しており、その剣が妙だ。レオンハルトも帯剣しているが、変装のため安価な剣を準備した。

 しかし、その男の剣は鞘に装飾をあしらった貴族が好みそうな高価な剣だ。


「マルティス、あいつをつけるぞ」

「は? どうして?」

「気になるからだ」

「分かったよ。危険だと思ったら、直ぐに引き返すぞ」


 レオンハルトたちは距離を空けながら男をつける。

 全く人のいない路地から細い路地へと入った。何度か路地を曲がり、男の足音がようやく止まる。

 誰かと話を始めた。相手も男のようだ。

 レオンハルトたちは建物の角から聞き耳を立てる。

 途切れ途切れだが、男たちの話し声が聞こえてきた。


「これを…… 飲…… 金が入る……」

「そう…… 飲め」


 レオンハルトとマルティスは顔を見合わせる。

 お互いに首を横に振った。


(マルティスもはっきりと聞こえないか。飲むとは何だ?)


 レオンハルトは気になって角から少し顔を出す。


 その時、帯剣している男が剣を抜き、もう一人の男を突き刺した。


「グアァッ!!」


 刺された男は苦しむ声を上げてその場に倒れる。

 帯剣していた男はレオンハルトたちに気がつき、反対方向へと走り去ってしまった。


 レオンハルトたちは刺された男に近寄る。

 絶命していた。心臓を一突きされている。


「良く分からねぇけど、もう帰るぞ。このおっさんも死んでるみたいだし、いても無駄だ」

「そうだな」


 悔しいが、マルティスの言う通りだった。


「グヴガアァァーー!!」


 死んだはずの男が叫び出した。

 レオンハルトたちは咄嗟に下がる。


 そして、死んだはずの男はゆっくりと立ち上がり、ニヤリと笑う。

 男の目は真っ赤になり、肌の色は真っ青になっていた。


(フレイヤが戦った人型の魔獣か?)


 レオンハルトは剣を抜き、魔力操作を行う。


「マルティス、逃げろ。早く行け!」


 魔獣のような男はまたニヤリと笑って、建物の屋根へと跳んだ。


「グヴガアァァーー!!」


 唸り声を上げて、別の建物へと跳び、去って行った。


「助かったようだな」


 レオンハルトは剣を鞘に戻す。


「マルティス、どうして逃げなかった?」

「は? 馬鹿か? お前みたいなガキを置いて逃げるわけねぇだろ」


 強がりではなく、本心のようだ。

 レオンハルトは素直に嬉しかった。

 年齢と身分は異なるが、マルティスはレオンハルトにとって親友と呼べるような存在だ。


「じゃあ、帰るぞ」

「お前が言うな。俺の案内がないと帰れねぇだろ」


 マルティスが九番地区に、レオンハルトは貴族街へと帰った。

































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