第79話 前世の私を育てた大切な人


「止めて!」


 御者が馬車を止めて、私は外に出る。


「助けてーー!!」


 また悲鳴が聞こえた。

 助けなきゃ、この近くだ。


 私は走りにくいヒールを脱ぎ捨て、ドレスの裾を引きちぎった。魔力操作で身体を強化して走り出す。


 オイルランプに照らされ、月も出ているので、今日はいつもより道が明るい。

 悲鳴を聞いて建物から顔を出している人も何人かいた。


 若い女性が道の真ん中で座り込みながら悲鳴を上げている。今にも男に襲われそうになっていた。

 私は若い女性を庇うように立つ。


 異常な男だ。目は真っ赤に染まり、口からよだれを垂らしている。手をぶらぶらさせて唸り声を上げていた。まるで獣のようだ。


 私は後ろの若い女性に言う。


「早く逃げて」

「で、でも」

「いいから!」


 若い女性が走り出した時、男が動く。

 男の行手を阻み、右足の蹴りを放つ。

 男が左に跳んで躱した。

 素人の動きじゃない、速い!


 男は四つん這いになると、私に向かって突進して来る。

 躱してしまうと、あの若い女性の方に行ってしまいそうだ。

 私は先読みして、男と直撃する前に右へ回り込んで、男を蹴り飛ばす。

 男は吹き飛んだけど、人を蹴った嫌な感覚が残る。


 男がゆっくりと立ち上がった。私を見て、ニヤリと笑う。

 痛みを全く感じていないようだ。男の体は硬く、人の感触じゃなかった。


 間合いの離れた場所から男が右腕を大きく横に振る。

 魔力感知で鋭利な物体を捉える。高速で私を襲う爪が見えた。

 後ろに下がって爪を躱す。


「腕が伸びた? まさか魔獣なの?」


 人型の魔獣なんて聞いたことがない。

 すると、月明かりが男を照らした。

 男の伸びた腕は元の大きさに戻っていたが、爪が鋭く伸びていた。肌は真っ青に変色して、口からは牙が生えている。


 しばらく睨み合いを続けると、魔獣のような男は建物の屋根へと高く跳ぶ。

 もう一度私を見て、別の建物へと跳び、その先は暗くて姿が見えなくなった。


「何なのあれは?」


 魔獣のような男が去った方向を見て、私はしばらく呆然としていた。

 そうだ、あの若い女性は? 逃げたかな?


 後ろを向くと、若い女性が少し離れた場所で足を触りながらうずくまっていた。逃げる時に足を痛めたようだ。


 私は若い女性に近寄って話し掛ける。


「あの、大丈夫ですか?」

「…… はい」


 私のことを警戒しているようだ。


 少し温かくなり始めたけど、まだ肌寒く、今は夜なので寒い。私はドレスを引きちぎったことを後悔している。

 この女性は寒いのに露出が多い。派手な服装で、特に胸元を強調してる。大人の女性かなと思ったけど、化粧で歳を誤魔化している。

 私よりも少し歳上なだけ……

 明るい茶髪に猫目、唇の下に小さなほくろがある。

 待って、この人を知ってる。前世の私の小さい頃の記憶だ。どうして忘れていたの?

 アンジェリーナ様に拾われたのは八歳の時、その前だ。四歳で糞親くそおやに捨てられて、この人と七歳まで一緒に生活をした。

 


「カリナ?」

「どうして私の名前を知って、イタッ!」


 カリナが自分の足を押さえた。見たら、かなり腫れている。

 私はカリナに背を向けてその場にしゃがむ。


「背負いますから乗ってください」

「いいです。私はここに住んでいませんから」

「構いません。一緒に行くから」


 カリナは首を横に振る。


「私が住んでいるのは貧民街ですので」

「そうですか、構いませんよ。貧民街のどこ?」


 カリナが目を見開く。驚いている間に問答無用で背負った。


「ちょ、ちょっと」

「ここから近いのは九番地区よね。そこで間違っていませんか?」

「…… そうです」


 カリナは観念したみたいで何も言わなくなった。


 上流街から出て平民街を歩く。オイルランプがないので、とても暗い。月明かりだけが頼りだ。


 ずっと黙っていたカリナが口を開く。


「あなたの名前は?」


 口調が素になっている。警戒が解けたのかな? そうだと、嬉しい。


「私の名前はフレイヤ・フォン・ルーデンマイヤーです」

「やっぱり貴族。様をつけた方が良い?」

「必要ない。フレイヤと呼んでください」

「じゃあ、フレイヤ。もうここまでで良いよ。貴族の令嬢が九番地区に入るべきじゃない。汚いし、臭いよ」

「心配してくれているのね、知りませんか? 私、九番地区では顔が利くんですよ」

「は? 言ったからね。どうなっても知らないよ?」


 九番地区に入り、ますます暗くなる。

 月明かりが建物に遮られて、道までちゃんと光が入って来ない。足元に気をつけて歩く。


 遅い時間なのに、道の真ん中でたむろっている男たちがいた。何をしているのか分からないけど、私は男たちの間を通って先へ進む。


「何で襲われないの!?」


 カリナが驚いたので、私は小さく笑う。

 私を襲う勇気のある奴は九番地区にいない。


「九番地区を救った少女の話を知りませんか?」

「何か聞いたことあるかも。確か、魔獣から九番地区を救った少女が二人いるって…… もしかして、その一人があんたなの!?」

「はい、私です!」


 また驚いている。カリナに自慢できて嬉しい。


「カリナさん、怪我しているから教会に行きましょう。司祭が知り合いなので手当てくらいならしてくれると思います」

「カリナで良いわよ」

「え?」

「それに、敬語もいらない。あんた、敬語が苦手なんでしょ。時々、敬語で喋れてないから」


 カリナだから、敬語が自然と抜けていたのかも。


「じゃあ、敬語なしで。本当は苦手なの」

「だと思った。フレイヤ、あれが教会?」

「うん」


 夜なので眠っているかもしれない。

 教会の庭に入ると、マルティスが姿を現した。


「こんな夜中に教会へ入って来るから誰かと思いました。フレイヤ様だったんですね」

「ごめんなさい、突然。怪我人がいて。トール様は?」

「眠ってるよ。待っててください、起こして来ますから」


 少しすると、トール様と一緒に教会から出て来た。


「トール様、夜分に申し訳ございません。こちらの女性が怪我をしまして。手当てをしていただけませんか?」

「ええ、構いません」

「できれば、そのまま休ませてあげて欲しいのです」

「もちろん。さあ、中に入ってください」


 教会の椅子にカリナを座らせる。


「フレイヤ、ありがとうね。助かった」

「ううん、これくらい。しばらくお仕事は休まなきゃ駄目だよ」

「…… そうする」


 私はもう一度トール様にお願いをして教会を出た。


「フレイヤ様」


 教会の庭でマルティスに呼び止められた。


「この服を着てください。寒いですよ」

「うん、寒い。助かるよ」


 着ると、大きくてブカブカ。でも、暖かいから良いか。


「マルティス、カリナを見てあげて欲しい」

「あの女ですか? 別に良いですけど、理由を聞いても?」


 私は前世の記憶を思い出しながら言う。


「誰かに襲われるかもしれない」

「…… なるほど、そうですか。分かりましたよ。あの女のことを調べておきますよ」

「ごめん、ありがとう」


 マルティスと別れて、来た道を戻る。


 私はカリナの顔を見るまで、カリナのことを忘れていた。

 最低、本当に最低だ。

 前世の私は糞親くそおやに捨てられて、その後は浮浪児の仲間と一緒にいた。いつの間にか仲間がいなくなって、気づいたら、カリナと一緒にいた。どうして一緒にいるようになったのかは覚えていない。

 カリナは上流街や平民街の男に体を売る仕事をしていて、そのお金で私を育ててくれた。今日もその帰りだったんだろう。

 明るくて優しい人だった。今のカリナと話したけど、同じように感じた。

 前世の私が七歳の時に、カリナは死んだ。大きな剣の傷が二つあって、誰かに殺されたと分かった。

 今世のカリナは死んでいないけど、どうなるか分からない。何事もなく、今世は幸せに生きて欲しい。

 カリナも私の大切な人だ。何かあれば、絶対に守ってみせる。


 来た道を戻って、上流街まで来たんだけど。


「馬車がない」


 もう明るくなってきた。辻馬車が待ってくれているはずがない。

 ヒールは残っていたから、もう一度履いた。
















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