幕間 アンジェリーナの本音


 アンジェリーナは自室で各地にいる密偵からの報告書を読んでいた。

 密偵からの報告書はエイルハイド公爵が読んだ後にアンジェリーナへ届けられる。


(ヴィスト帝国の皇帝フェルディナント四世が死んで、このヴィルヘルムという男が新しい皇帝。腐敗した貴族を徹底的に粛清してる。賢帝けんていなら、私たちにとって脅威ね)


 アンジェリーナは将来皇帝となる自分の婚約者のことを思い出して顔を顰めた。

 アンジェリーナはカイルと上手くいっていない。カイルが酷く自分を嫌っている。

 そのせいでカイルの周りにいる皇帝派保守勢力からはアンジェリーナとの婚約を廃し、聖女ソフィアとの婚約を画策する動きもある。

 皇帝派筆頭のクウィンディー公爵はその動きに反応していない。


(フレイヤの言っていたことが本当になってしまいそうね。カイル殿下と聖女ソフィアが会わないように動いているけど、もし、クウィンディー公爵が乗り気になったら……)


 アンジェリーナが皇后となってロギオニアス帝国を改革することができなくなってしまう。

 皇后になれたとしても、貴族派に皇帝派と匹敵するような力がなければ同じことだ。


(貴族派の底上げとカイル殿下との関係構築…… 何か良い話はないかしら?)


 アンジェリーナが大きく溜め息をつくと、ドアがコンコンと鳴る。


「カロンです。入っても構わないでしょうか?」

「え、カロン? 少し待って!」


 アンジェリーナは急いでボサッとなっていた髪を直した。


「入っても構わないわ」

「失礼致します」


 自室に入って来たカロンに澄ました顔で訊く。


「どうしたの? 急ぎかしら?」

「密偵からフレイヤ様の模擬戦闘の結果が届きました」

「フレイヤの!?」


 アンジェリーナはカロンから報告書を受け取って読み始める。


(勝ったのね。フレイヤ、凄いわ! …… 何も協力できなくてごめんなさい)


 申し訳なさそうな表情を直ぐに元に戻して報告書を閉じる。


「報告書には何と書いてあったのでしょうか?」

「フレイヤが模擬戦闘に勝ったと書いてあるわ。帝国騎士を四人も倒したらしいの。多分、フレイヤからも手紙が届くわね」

「それは良かったですね。アンジェリーナ様、一つご質問してもよろしいでしょうか?」

「良いわよ。何かしら?」

「フレイヤ様をエイルハイド公爵家の騎士にされるおつもりはないのでしょうか?」

「ないわ」

「どうしてですか?」


 カロンがまた質問をした。


(珍しいわ、カロンがここまで気にするなんて。フレイヤと打ち解けてから急に好意的になったわね)


 アンジェリーナが怪訝な表情で訊く。


「どうしてフレイヤのことを気にするの?」

「フレイヤ様が優秀な騎士になると思うからです。おそらく私を超える騎士になります。当初の条件通りであれば、ルーデンマイヤー家の爵位は子爵へと降爵こうしゃくするはずです。エイルハイド公爵家として召し抱えるべきではないでしょうか?」


 アンジェリーナは驚いた。

 カロンが進言することは滅多にない。しかも、ここまで積極的な進言をされるとは思わなかった。


(フレイヤにそこまで可能性を感じているのね。それは私も同じよ)


 アンジェリーナは首を横に振って言う。


「今のフレイヤを召し抱えることは不可能だわ。フレイヤ自身に自覚があるか分からないけど、フレイヤの後ろには皇后陛下とカルバーン侯爵がついている。フレイヤを召し抱えようとしたら、カルバーン侯爵と更に対立することになってしまうわ」


 エルフの奴隷売買に参入したことでエイルハイド公爵家はカルバーン侯爵が率いる急進勢力と対立している。

 フレイヤを召し抱えるためにこれ以上急進勢力と対立することは現実的ではない。


「政治的な理由は色々あるけど、本音を言うとね、友だちを家臣にしたくないの。フレイヤが私の家臣になったら、きっと何でも言うことを聞くわ。あの子、自分より私の命を優先してしまう気がする。私、嫌なの。誰かが私のために死ぬのは。…… 公爵家に仕える沢山の密偵がいるわ。全員命を懸けてくれているけど、私はその人たちの名前を知らないのよ」

「ですが、それは」

「知っているわよ、私やお父様に負担を掛けさせないためだって。名前を知って、その人を知ったら、きっと指示を出せなくなる。だからね、名前を知っていて、性格も知っている、私の大切な友だちのフレイヤが私のために命を懸けるなんて堪えられないの。フレイヤがいくら望んでも家臣にしてあげないわ」


 アンジェリーナは悲し気に微笑んで言った。


「アンジェリーナ様……」


 カロンがひざまずいて頭を下げる。


「申し訳ございません。アンジェリーナ様のお気持ちを考えずに出過ぎたことを申しました」

「私はカロンが進言してくれて嬉しかったわよ。また何かあったら言ってね」

「ありがとうございます」

「さあ、立って。今から『隠れ森』に行くわよ。ロゼも一緒に行くから護衛を頼むわね」

「承知致しました」


 カロンは右手を胸に当てて深々と頭を下げた。



 ◇◇◇



「アンジェ様、アンジェ様、もう直ぐ着きますよ」

「ああ、ごめんなさい。私、眠ってしまったのね。ロゼ、起こしてくれてありがとう」


 アンジェリーナたちが馬車で向かっているのはエイルハイド公爵領南方の森。深い森で人は寄りつかない。何かを隠しておくにはうってつけの場所だ。


 森が開き始め、馬車を止める。

 アンジェリーナたちが乗る馬車以外にもう一台馬車があった。

 アンジェリーナがその馬車の扉を開けると、虚ろな表情で座る少女がいた。

 緑の髪に金の瞳。とても痩せており、身体中にあざがある。奴隷となったエルフの少女だ。


「あなたがエーファ・ベルギ・オルスね」


 エーファが横目でアンジェリーナを見て言う。


「お前、誰?」

「私はアンジェリーナ・フォン・エイルハイドよ」

「エイルハイド? エイルハイド、エイルハイド…… 私を売り飛ばした奴! ワァァァーーー!!」


 エーファがアンジェリーナに飛び掛かってきた。

 カロンがエーファを倒して地面に押さえ込む。


「アンジェ様、この方の痣……」


 ロゼリーアが悲しそうに言った。


「ええ、見つけるのが遅かったの。酷いことをされた後だと聞いたわ」


 エーファはアンジェリーナを睨んでずっと唸っている。


(覚悟していたことよ。この恨みから目を背けては駄目)


「アンジェ様、私がこの方を落ち着かせます」

「任せるわ」


 ロゼリーアがエーファに手を翳して言う。


「リトゥー、ウォー、ルクーム」


 白い光がエーファを覆い、エーファの表情が落ち着きを取り戻したように見える。


 エーファが落ち着いた声でロゼリーアに訊く。


「それは妖精魔法。お前もエルフ?」

「私もエルフですが、人族との混血です。ロゼリーアと言います」

「そう、お前も私と同じで大変。私はまた売られる?」

「いいえ、エーファさんにはここで暮らしてもらいます」

「ここはどこ?」

「エイルハイド公爵領南方の森です。他にも同族の方々が沢山住んでいます」

「意味が分からない……」


 エーファは困惑していた。


「カロン、エーファを離して」

「承知致しました」


 カロンに解放されて、エーファがゆっくりと立つ。


「私があなたを買い戻したの。あなたはここで暮らしなさい」

「お前は私たちを売っているのではないのか?」

「ええ、売っているわ。でも、その後に全員買い戻している。グラストレーム男爵たちにバレないようにね」

「どうしてそんなことをする?」

「あなたたちを売る理由がないからよ」


 エーファが首を傾げた。

 すると、森の奥から二人のエルフがこちらに来る。


「ロゼ、エーファを頼めるかしら? 私たちはここで待っているから」

「分かりました」


 ロゼは迎えに来たエルフ二人と共にエーファを連れて森の奥へ入って行った。


 この奴隷売買に参入した目的は急進勢力とグラストレーム男爵たちの内戦を防ぐためだった。

 本当はしたくない。だから、アンジェリーナはエイルハイド公爵の許可を受けてエルフの買い戻しを行っている。

 奴隷売買を潰したいが、グラストレーム男爵たちを操るのはクゥインディー公爵。

 潰したくても潰せない、力不足だ。


(グラストレーム男爵たちを倒せば、エルフの奴隷売買はなくなる。内戦になるから、民が沢山死ぬ。いっそ、暗殺は? 無理ね、腕利きの護衛がついている。今は我慢の時なのかしら?)


 しかし、時間は限られている。

 エルフを買い戻すことによるエイルハイド公爵家の財政負担。余裕はあるが、際限なく買い戻すことはできない。

 そして、エルフ族の不穏な動き。余程のことがない限り、まだ反乱は起きないはず。それでも、どうにかして早急に対処しなければならない。

 エルフ族の問題に気を取られ過ぎると、他の問題への対処が疎かになってしまう。


(魔獣の活発化、それによる不作。凶作になってしまうかもしれない。そして、物価上昇。他にも問題は山積み。いっそ、逃げてしまいたい。来てと言ったら、カロンも来てくれるかしら?)


「アンジェリーナ様、ロゼリーア様が戻って参りました」


 カロンの声にアンジェリーナは現実へと引き戻される。


「分かったわ。エイルリーナへ戻りましょう」


 アンジェリーナはいつもの凛とした表情で言った。












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