幕間 ケイトの笑顔


 ケイトは上流街で人を待っていた。

 ギャザーのある胸元までの黒い服にフリルのついたキュロットスカート。ケイトにとってはいつもと変わらない露出の多い服装だが、男性の目を集めている。

 待ち人が来ると、ケイトは手を上げる。


「オスカーの旦那、遅いぜ。あたしを待たせてる。こんなイイ女を待たせるなんて良くねぇぞ」

「いいえ、ケイトが約束の時間よりも早いのです。それにしても、またそんな服装なのですか? 長めの上着を持って来て良かった。来てください」

「いいよ、別に。変じゃないだろ?」

「変ではありませんが、困ります」

「あ、そう。オスカーの旦那が困るのなら仕方ないな。着るよ」


 オスカーの反応にケイトは嬉しくなる。


(黒騎士って異名があるのに、オスカーの旦那は初心うぶだからな)


「いつもの場所へ行きましょうか」

「ああ」


 オスカーは魔獣の情報を聞くためにケイトと定期的に会っている。この時間をケイトがいつも楽しみにしていることをオスカーは気がついていない。


(あたしの気持ちに気がつかないんだよな)


 情報提供の際はコーヒーハウスを利用している。

 五十年ほど前、南大陸のギルザーレ大公国からコーヒーがロギオニアス帝国に輸入された。貴族の間では流行しなかったが、独特な苦味と香りが好まれて平民の間では大流行した。上流街や平民街にコーヒーハウスが開業し、多くの人がコーヒーを楽しむために利用している。コーヒーハウスはコーヒーを楽しむだけではなく、世間話や商談、政治談義まで行う場となっている。


 オスカーとケイトは店主に挨拶をして個室に入った。二人がいつも利用しているコーヒーハウスは個室も完備されている。


 机にコーヒーが運ばれると、ケイトはコーヒーカップを鼻に寄せた。


(やっぱり良い香りだ。あたしはこの香りが好きなんだよな)


 オスカーもケイトと同じようなことをしている。二人とも貴族の中では少ないコーヒー愛好家だ。


 コーヒーを一口啜って、オスカーが先に口を開く。


「言い忘れていましたが、久しぶりですね。元気でしたか?」

「この通り元気さ。オスカーの旦那は大丈夫だったか?」

「私は大丈夫です。この通り生きてます」

「うん、良かったよ。本当に」

「ありがとうございます」


 ケイトはオスカーの無事な姿を見れて嬉しい。


(前より痩せたし、白髪がちょっと増えてる)


 前線が大変だったことがケイトにも伝わる。


「ケイト、帝都に来たのはいつぶりですか?」

「三ヶ月ぶりかな? オスカーの旦那は二年ぶりだろ。フレイヤには会ったのか?」

「まだなんです。早くフレイヤに会いたいですね!」


 ケイトはその言葉に少しムッとする。


(フレイヤが大切なのは知ってたけどさ、何だよ、その嬉しそうな顔。あたしにもしろよ)


「黒騎士は愛弟子が一番好きだよな」

「ええ、そうですね。フレイヤの成長は私の楽しみの一つです。いつか私やマルクス団長を超えてくれることでしょう。いやー、楽しみだ」

「はいはい、師匠バカだな。オスカーの旦那が戻って来たってことは、前線からどのくらいの帝国騎士が引き上げたんだ?」

「珍しいですね。ケイトがそんなことを訊くなんて」


 ケイトは難しい顔をして言う。


「地方の魔獣被害がどんどん増えてんだよ。この戦争で帝国騎士の地方派遣が更に少なくなった上に魔獣の出現率も上がってる。あたしたちも頑張ってるけど、全然足りねぇんだ」

「そうですか。失礼なことを言ってしまいましたね、許してください」

「別に怒ってない。それで、どうなんだ?」

「約半数が引き上げました」

「は!? 半数だと!! おいおい、そんなに引き上げて良いのかよ。敵を甘く見てないか?」

「いえ、先に前線から軍を引き上げたのはアノーク王国側です。相手も半数を残したので我々も同じようにしたわけです」


 ケイトはなるほどなと思った。

 休戦しても国境では睨み合いが続いている。お互いに緊張した極限の状態。何かちょっとしたことでもあれば、戦いに発展するかもしれない。相手方が兵の数を減らしたなら、こちらも減らして緊張の緩和を行うべきだ。


(もう直ぐ講和をするかもしれないな)


「ケイト、耳を貸してください」

「耳?」


 オスカーが身を乗り出して、ケイトに顔を近づける。


「捕虜から聞いた話ですが、ヴィスト帝国で何か起きたようなんです。何が起きたのかは捕虜も知りませんでした。本当かどうかは分かりませんが、その何かが今回の軍引き上げと関係があるのかもしれない」


 アノーク王国の東はヴィスト帝国と接しており、軍事力を背景に昔から圧力を掛け続けられている。今回の侵攻もヴィスト帝国の圧力があったと推測できるわけなのだが、そんな余裕はケイトにはなかった。


(オスカーの旦那の顔が近けぇ。ちょっと首を動かしたら、唇と唇がぶつかる事故が起きるかも…… 行けー!)


 ケイトは思い立つと直ぐに首を動かしたが、唇と唇がぶつかる事故は起きなかった。オスカーは既に元の姿勢に戻っている。


「その表情は何ですか? 驚くのは分かりますが、その表情は人前でしない方がいいです」


 企みが失敗したケイトの顔は真っ赤になってしまう。


「悪かったな、変な顔で」

「変な顔だとは言っていませんよ」

「じゃあ、あたしの顔はオスカーの旦那から見てどうなんだよ?」

「質問の意図が分からないのですが」

「意図なんてどうでもいいから答えろよ」


 オスカーが自分のことをどう思っているのか知りたい、これがケイトの質問の意図だ。片想いをして数年になるが、気持ちは一度も伝えたことがない。

 可愛い、綺麗って答えてくれたら、勢いで自分の気持ちをちゃんと言えるかもしれない。


(オスカーの旦那はあたしのことをどう思ってんだ?)


 胸を鼓動させながら待つ。


「私は人を顔で判断しません」


 ケイトはちょっとだけ肩を落とす。そんな答えを聞きたかったわけではない。


(けど、オスカーの旦那らしいか。そういうとこに惚れたし)


「ですが、ケイトはとても魅力的な女性ですよ」

「本当か!?」

「ええ、本心です」


 落ちた肩が上がり過ぎて、そのまま体から飛んで行きそうだ。こんなに嬉しいことはない。大好きな相手から魅力的だと言われたのだ。

 ケイトは机の下で隠れるように何度も拳を握る。


(…… あたし、可能性ある!?)


「何を笑っているんですか? 本来の話に戻りましょう。ケイトが知り得たこの二年間の魔獣の情報を詳細に教えてください」

「はいはい、分かりましたよ」


 ケイトは嫌そうに言いながらも、表情は幸せ一杯の笑顔だ。


(オスカーの旦那と一緒にいれるこの時間がとても好きだ)
















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