第42話 貧民街の変化


 五月に入って暖かくなってきた。とても過ごしやすい。

 お母様が着ているドレスは涼しげで良く似合っている。


「じゃあ、行ってくるわね」

「はい。お母様、楽しんで来てください」

「ありがとう」


 お母様を乗せた馬車が出発した。


 暖かくなったからか最近のお母様は風邪をひいていない。元気になったお母様はお茶会などで忙しくなった。

 今日のお茶会は気軽なものらしく、お母様の表情は朗らかだった。


 私は自室に戻り、今日届いたばかりのアンジェ様の手紙を読む。

 内容は先月に行われたデビュタントのことだ。このデビュタントに聖女ソフィアは現れなかった。

 何かしらの裏工作を行ったと文面にはある。詳細は書かれていないけど。


「変わったんじゃないの?」


 前世とは異なり、カイルがソフィアに恋することはなかった。

 これからどうなるんだろう? 不安な気持ちはあるけど、できることは色々とあるはずだ。


 机に置いてある別の手紙に視線を移した。先日、ロゼから届いた手紙だ。

 三月にデビュタントを終えて、元気にしていると書いてあったけど。何とかして会えないかな? アンジェ様から聞いた話もあるし、心配だ。


 敷地の方から馬車の音が聞こえた。

 私を迎えに来た辻馬車だ。今から貧民街へ行く。



 ◇◇◇



 私を乗せて辻馬車が出発した。馬車の中にはシオンもいる。


「私一人で大丈夫だよ? 自分の身は守れるし」

「駄目です。フレイヤ様が外出される時に私が一緒にいないことはあり得ません。平民の服を用意しているのは私ですし、スケジュール調整をしているのも私です。同行する権利くらいはあると思います」

「それは感謝しているけど」


 シオンが一緒にいると貧民街を自由に歩けない。私が貧民街に行くのはちゃんと理由があって、魔獣がいないかどうか見回っている。


 前世のフレイヤが活躍した出来事の中に帝都魔獣集団発生事件がある。事件が発生したのは帝国暦一〇五九年のことで、今から二年後のことだ。

 その事件が終息してから少しして、カロン様が魔獣に襲われて亡くなる。

 カロン様は大丈夫だと思う。事前の対応策は準備してくれるはず。心配なのは私の方だ。


 帝都魔獣集団発生事件では小さな魔獣から巨大な魔獣まで現れた。犬型魔獣が特に多かったらしい。

 巨大な魔獣が一番最初に現れたのは貧民街の九番地区だった。今の私の実力なら小さい魔獣は倒せると思う。だけど、三年前に戦ったような魔獣、その魔獣が変化した魔物を倒すことはできない。二年後の私がどこまで強くなるのかも不明だ。

 だから、今のうちに解決の糸口を見つけたいと思って行動している。もしかしたら、九番地区に何か手がかりがあるかもしれない。


「フレイヤ様、降りますよ」

「あ、うん」


 私たちは馬車から降りて、貧民街九番地区へと入った。



 ◇◇◇



 相変わらず九番地区は崩れそうな建物が多く、異臭も漂っている。嫌な目線を向ける奴らも多い。

 でも、一つ変わったことがある。フラドを始めとする奴隷商人が九番地区から姿を消した。理由は分からないけど、別の貧民街に移動しただけだと思う。


 教会に着いた。庭では子どもたちが元気良く遊んでいる。

 子どもの一人が私を見つけて叫ぶ。


「フレイヤお姉ちゃんだ!」


 子どもたちが周りに集まってきた。

 ワーワーと全員が喋るので、何を言っているのか分からない。


「静かにしないとあげないよ」


 一瞬で静かになる。


「シオン、出してあげて」

「はい」


 シオンが持っていた紙箱を開けると、箱の中から甘い香りが広がる。

 中身は焼きたてのお菓子だ。子どもたちのために大量に買ってきた。


「ちゃんと皆で分けてね」

「はーい!!」


 子どもたちが元気良く返事をした。


 すると、トール様が教会から出て来た。


「フレイヤ様、シオン様、いつも子どもたちにありがとうございます。どうぞ中に入ってください」


 トール様と一緒に教会へ入る。

 少し歩くと、床から軋むような音が聞こえた。


「最近、一段とボロくなったんです。気をつけて歩いてくださいね」

「はい」


 トール様は更に痩せたように見える。

 顔色が青白いのは変わらないが、頬は痩け過ぎてゲッソリとしている。子どもたちのために無理をしているんだと思う。


 横椅子に座っているマルティスがいた。


「マルティス、久しぶりね」

「お久しぶりです。子どもたちにお菓子をあげてくれたんですね。いつもありがとうございます」

「トール様にも言われたよ。私はこんなことしかできないから」


 私はお礼を言われるほどのことはしていない。本当はもっと何かできれば良いんだけど。


「今日も魔獣の情報ですよね?」

「そうよ。新しいことは何かある?」


 私一人では情報不足なので、マルティスにも魔獣のことは調べてもらっている。


「帝都から離れた地方が変わらず多いですね。騎士が足りないんで傭兵が活躍しているみたいです」

「帝都では?」

「帝都で魔獣が現れた話は聞いていません。三年前に現れただけです。それ以上のことは分からないです」

「そっか、ありがとう。シオン、マルティスにお金を渡してくれる?」


 マルティスが首を横に振って言う。


「いつも言ってるでしょ。お金は受け取れないって。子どもたちにいつも色んなものを買ってくれるじゃないですか。それに、魔獣の情報は勝手に入ってくるんで苦労してないですし」

「なるほど。マルティスはフレイヤ様の依頼に対して真剣に向き合っていないということですね」


 シオンが私の後ろから冷たい声で言った。


「人聞きの悪いことを言うな。言葉の綾みたいなもんだよ」

「それは意味を知って言ってるのですか? 言葉の綾とは巧みな言葉の言い回しのことです。今のマルティスの言葉のどこに巧みな言い回しがあったのでしょうか?」


 シオンとマルティスが言い合いを始めた。

 ここに来ると、こんな場面をいつも見せられている気がする。二人が仲良しな証拠だと思う。


 言い合いを放っておいて、トール様に話し掛ける。


「トール様、お体は大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ、とは言えませんね。元々体は弱い方ですから」

「無理はなさらないでくださいね。微力ですけど、お力になりたいんです。何かあれば、仰ってください」

「もう助けになっていますよ。子どもたちがいつも言うのです。フレイヤ様はまだか まだかと。まだお時間があるのでしたら、子どもたちと遊んであげてくれませんか?」

「もちろんです!」


 後で九番地区を見て回りたかったけど、トール様のお願いが優先だ。


「シオン、いつまでも楽しくお話をしてないで外に行くよ」

「た、楽しくなんかしてません」

「ふーん、そう。じゃあ、そういうことにしておくね」


 外に出ると、子どもたちが集まって騒いでいる。楽しくお喋りしているようには見えない。


 子どもたちが私たちに気づいて一斉に言う。


「大変! 魔獣が出たんだって! 大人が言ってた!」

「魔獣!? どこに出たの?」

「あっちの方だって」


 子どもたちが指を差す。私たちが通った道の方だ。


「トール様、子どもたちを教会の中に入れ

 てください」

「そうですね。早くしましょう」


 私は木の棒がないか探す。教会の補修用に積まれた木材があった。丁度良さそうな木の棒を見つける。うん! 振れる!


「フレイヤ様、まさか行くつもりですか?」


 シオンが不安そうな表情で訊いてきた。


「行くよ。誰か襲われてるかもしれないでしょ」

「危険です! どうしても行くなら私を連れて行ってください」


 私のことが心配なのは分かる。悪いけど、シオンがいたら足手まといだ。


 私は子どもたちと一緒にいるマルティスの方を見て言う。


「マルティス、悪いけど、シオンのことをお願い」

「は? フレイヤ様はどうするんですか?」

「私は魔獣を倒しに行く」


 制止する声が聞こえたけど、私は無視して教会を飛び出した。








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