幕間 シオンの幸せ


「そう、分かったわ。じゃあ、私たち遠くで見ているから。怪我だけは気をつけてね」


 シオンはアンジェリーナと共にこの場を離れた。念のため遠めに距離を取る。


 シオンはアンジェリーナから一歩下がり、フレイヤを心配そうに見つめていた。

 今からフレイヤとカロンの手合わせが始まる。

 手合わせが決まってフレイヤの表情は嬉しそうだった。

 心配ではあるが、嬉しそうな主の表情を見ることができてシオンも嬉しい気持ちになる。


(フレイヤ様、頑張ってください)


 ただ、カロンに少し不気味さを感じていた。


(もし、万が一、何かあれば私が……)


 シオンがフレイヤに言ったことは本当だ。大切な主のためであれば、いつでも自分の身を犠牲にする覚悟がある。


 シオンはアンジェリーナをちらっと見た。


(この方がアンジェリーナ様。綺麗ですが、フレイヤ様ほどではないですね。フレイヤ様はどうしてこの方にご執心なのでしょうか?)


 視線に気づいたアンジェリーナがシオンの方を見て言う。


「フレイヤとカロンはまだ何か話しているわね。暇だから私たちもお話をしましょうか。あなたの名前はシオンだったわね?」


 シオンは少し驚く。

 他家のメイドである自分に話し掛けるとは思わなかった。


(私の名前も知っているんですね)


 シオンは直ぐに答える。


「左様でございます。私はシオンと申します」

「フレイヤに仕えて長いのよね。フレイヤが手紙で嬉しそうに語っていたわ。随分仲が良いのね」

「フレイヤ様には良くしていただいております」


 シオンの頬が少し緩む。仲が良いと言われて嬉しかった。


「シオン、あなたに少し訊きたいことがあるんだけど良いかしら?」

「は、はい。もちろんでございます」


 シオンは怪訝に思う。


(私に聞きたいこと? フレイヤ様のことでしょうか?)


「あなたは貧民街の出身よね?」

「…… はい」


 どうしてそのことをアンジェリーナが知っているのか疑問に思った。


(フレイヤ様から聞いたのでしょうか? いえ、フレイヤ様は知らないはずです。そもそも、フレイヤ様が私の出身を勝手に口外するわけがありません)


「安心して、調べたのよ。ルーデンマイヤー家の従者全員をね。あなたなら知っていると思うけど、三年前のお茶会の日にフレイヤが私に仕えたいと言ったの。その日から長い時間を掛けて調べさせてもらったわ。マルクス伯爵は一応皇帝派に属しているから」


 アンジェリーナに仕えたい話をフレイヤから直接されたことはないが、シオンは薄々気づいていた。

 しかし、どうして調べたことをシオンに態々わざわざ打ち明けるのか。

 シオンは嫌な予感がする。


「殆んどの従者の身元は簡単に調べることができたわ。でも、一人だけ不明瞭な人物がいたの。それがシオン、あなた。六歳までは調べることができたわ。フレイヤの従者になるまでの二年間、どこにいたのかってことになるんだけど。貧民街の常識で考えたら、貴族か富裕層の奴隷にされていたんじゃないかしら?」


 貧民街から子どもが消えるのは良くあること。そんな時は奴隷として人身売買の商品となった時か、死んだ時だ。貧民街の住人なら誰でも知っている。


「貧民街のことを良くご存知ですね」

「あの場所をどうにかしたいと思っているから、色んなことを勉強しているの。当然、知らないことも多いけど。あなたにどんな過去があっても、私にはどうでも良いことなの。これだけは教えて。後々、フレイヤが困ることにはならないわよね?」


 シオンは笑顔を作って答える。


「なりません。もし、なるとしても、フレイヤ様には迷惑を掛けません」

「そう、それなら良いわ。…… あ! フレイヤとカロンの手合わせがそろそろ始まるみたい」


 シオンはアンジェリーナと一緒に今から手合わせを始める二人に目を向けた。



 ◇◇◇



 フレイヤとカロンの手合わせが始まって少しが経った。


 アンジェリーナが心配そうに呟く。


「激し過ぎるわ」


 シオンも同じことを思っているが、フレイヤの真剣な表情に目を奪われていた。


(フレイヤ様、とても素敵です)


 三年前、フレイヤは急に倒れた。その時から強くなることに熱心だ。稽古をしているフレイヤの姿はとても真剣で、何か大きなものを背負っているみたいにシオンからは見えた。


 すると、カロンがフレイヤを一方的に攻め始めた。

 容赦のなさが素人から見ても良く分かる。危険だと思った。


(ですが、フレイヤ様の目。あんなキラキラした目を見たことがありません)


 フレイヤの真剣な表情からは楽しさも感じ取れた。

 フレイヤの専属メイドを長年してきたシオンだからこそ感じ取れる。


(無我夢中なんですね)


 アンジェリーナが少し慌てた声で言う。


「カロンを止めないと。フレイヤに怪我をさせてしまうかもしれないわ」


 アンジェリーナが二人の戦いを止めに行こうとしたので、シオンは立ち塞がる。


「まさか止めない気?」

「まだ止めないでください。フレイヤ様は頑張っています。フレイヤ様の邪魔をしないでください」

「止めないとフレイヤが危険よ。怪我をするわ」

「分かってます。ですが、アンジェリーナ様の騎士であれば、それくらいの加減はできるでしょう。アンジェリーナ様もそのように命令をされていたではありませんか。ご自分の騎士を信じれないんですか?」


 アンジェリーナが引きつった笑みを浮かべて言う。


「へー、言うわね、シオンの言う通りだわ。自分の騎士を信じられないなんて駄目ね。悪かったわ、ここで大人しく見てる」

「…… ありがとうございます」


 シオンは再びフレイヤの手合わせをじっと見る。


 二人の剣技の応酬。

 フレイヤが少しずつ後ろに下がっていた。

 二人にはかなりの実力差があるのだろう。それでも果敢にフレイヤが攻める。


 シオンはフレイヤの努力を常に陰ながら見守ってきた。だから、フレイヤの強くなりたい気持ちを誰よりも分かっているつもりだ。


(フレイヤ様、頑張ってください)


 シオンは思わず祈るように両手を強く組む。


 そして、両者の木剣が交差。

 フレイヤの木剣が真っ二つとなって宙を舞い、地面に落ちる。

 負けたのはフレイヤだ。


 地面に座り込んだフレイヤのもとにシオンは早足で向かう。


「フレイヤ様、大丈夫ですか!?」

「私は大丈夫。シオンこそどうしたの? 辛いことでもあった?」

「辛いことなんて何もありません。いつも通りです」


 シオンはいつも無表情だが、今はとてもフレイヤのことを心配していた。

 他の人には分からないが、シオンと同じく、長年一緒にいるフレイヤだからこそ分かる。


「フレイヤ、申し訳ございません。こんなはずじゃなかったのに」


 少し遅れて来たアンジェリーナはフレイヤに謝った。


「大丈夫です。私が望んだことですから。それに、カロン様には信用されるようになりましたし。だから、カロン様を罰したりするのは止めてくださいね」

「フレイヤがそう言うのなら……」


 フレイヤがシオンに手を伸ばす。


「立たせてくれる? 疲れて立てないの」

「分かりました」


 シオンはフレイヤの腕を持って体を支える。

 昔に比べて重さを感じたので、つい感慨深い気持ちになった。


(こんなにも大きくなられたのですね。もう少ししたら私の背を超えますね)


 体を支えて歩きながらシオンはフレイヤに訊く。


「楽しめましたか?」

「楽しめるような手合わせじゃなかったよ。真剣だったんだから」

「でも、フレイヤ様の目はキラキラしていましたよ」

「キラキラって、そんなこと…… でも、今思うと、楽しかったかもしれない」


 満足そうにフレイヤが笑った。


(フレイヤ様の笑顔が私の幸せです)


 シオンは自分の緩んだ顔を隠すように俯いた。









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