幕間 公爵令嬢は一人で泣く


「また値段が上がってるわ」


 アンジェリーナはエイルリーナの市場で売られている野菜を見て呟いた。


 値段が上がっていない野菜も中にはあるが、全体的に上昇している。

 ロギオニアス帝国全域で魔獣の被害が増えていて、それが原因で農作物の流通量が減っていた。


「カロン、行きましょう」

「承知致しました」


 アンジェリーナはカロンと共にエイルリーナの町を散策していた。

 勉強や立ち振舞いの訓練、お茶会などで普段は色々と忙しくしているが、今日は久しぶりの休日だ。

 一月中旬で外は寒いが、アンジェリーナはカロンと一緒に外出した。


(久しぶりにカロンと一緒に出掛けられる)


 カロンはアンジェリーナの護衛なので常に一緒にいる。だが、外へ二人で出掛けるとなると、やはり気分が違う。


(これってデートよね?)


 嬉しい気持ちで一杯のアンジェリーナだが、エイルリーナの町中をただ歩いているわけではない。アンジェリーナは屋台や雑貨屋、色んな店を見て回り、売り物の値段を確認する。


「野菜だけじゃないわね。雑貨まで値段が高くなってる。それに、いつもより行商人が少ない気がする」


 それでも、エイルリーナは帝都グランディアの上流街を超えるほどの賑わいを見せている。

 他領に比べて税を優遇しているため、エイルリーナに並ぶ店の商品は帝都に比べて非常に安価だ。商品は生活必需品から高級品まで様々なものがあった。

 アンジェリーナと変わらない歳の子どもたちが自由に買い物ができる。エイルリーナは貧富の差が最も少ない笑顔の溢れた町だ。


(エイルリーナだけじゃ駄目よ。公爵領の他の町でも同じようにならないと)


 アンジェリーナは少し後ろを歩くカロンに話し掛ける。


「公爵領でも魔獣の被害は増えてるのよね?」

「はい、そのように感じます。特に騎士のいない地域からは最も被害報告が多いです」

「そう、怖いわね。帝国全域で魔獣被害が増えてるなんて。カロン、あなたも気をつけなさい」


 アンジェリーナはフレイヤの未来予知を思い出して言った。


「承知致しました。ご心配、ありがとうございます」


 気のせいか、カロンが一瞬顔をしかめたように見えた。


「あなたの気に障るようなことを言ったかしら?」

「とんでもございません。アンジェリーナ様のお言葉が気に障るなど、有り得ません」


 カロンが少し慌てて言ったので、アンジェリーナは小さく笑う。

 でも、どうして顔を顰めたのか。アンジェリーナは直ぐに検討がついた。


「フレイヤ様」


 カロンの眉がピクッと動く。


「カロンはフレイヤ様のことを良く思ってないのね」


 フレイヤは未来予知ができ、魔物を倒す信じられない力を持っている。

 それをカロンは危険だとアンジェリーナに進言していた。


(カロンは考え過ぎよ。あのフレイヤ様が危険? だって、あのフレイヤ様よ)


 アンジェリーナはフレイヤとの文通を思い出してクスッと笑う。

 フレイヤの手紙はいつも赤裸々に自分のことを書かれていて、それを読むとアンジェリーナは元気になる。直接会ったのは一度だけだが、手紙を通してフレイヤはアンジェリーナの気の許せる友人となった。


(祝賀パーティーの時は挨拶だけになるだろうから残念ね。お話を沢山したいのに)


「アンジェリーナ様、失礼します」

「キャァ!」


 急にカロンがアンジェリーナの腕を引っ張って抱き寄せた。

 二人の横を馬車が通り抜けて行く。


 カロンは直ぐにアンジェリーナを離した。


「申し訳ございません。何度かお呼びしたのですが。馬車が危なかったので、咄嗟に」

「大丈夫よ、ありがとう。気づかなかった私が悪いの」


 アンジェリーナは考え事をしていると、たまに不注意になってしまう時がある。今日はいつもと違って浮わついていたからかもしれない。


「そろそろ戻られますか?」

「え? 何か言った?」

「屋敷に戻られますかと聞いたのですが、どうされました? 顔がかなり赤いようですが。もしかして、体調を崩されましたか?」

「これは違うわ」


 アンジェリーナはドキドキして足の先から顔まで真っ赤になってしまった。それなのに、カロンは平気な様子でいる。

 カロンは今も単純にアンジェリーナを心配しているだけだ。


(どうしてカロンは平気なの。少しは意識してよ。…… 違うわね、私がそんなことを考えちゃ駄目)


「カロン、後ろを向いて」

「後ろをですか?」

「早くして!」

「あ、はい」


 カロンが後ろを向いたので、アンジェリーナは気持ちを落ち着かせる。


(私は皇太子と婚約する。この国の皇后になるの。浮わついた気持ちは捨てなさい。しっかりするの)


「元に戻っても良いわ。屋敷へ帰りましょう」


 アンジェリーナは浮わついた気持ちを捨て去り、凛とした雰囲気をかもし出していた。

 その雰囲気を感じとり、カロンが恭しく頭を下げる。


「承知致しました」


 カロンが頭を上げる前にアンジェリーナは屋敷へ歩き出した。

 アンジェリーナは屋敷へ着くまでカロンと一切話をしなかった。



 ◇◇◇



「お父様、お話ししても宜しいですか?」

「もちろん」


 食堂で夕食を終えると、アンジェリーナは父に話し掛けた。


 アンジェリーナの父、ミュラー・フォン・エイルハイドはアンジェリーナが最も尊敬する人物であり、唯一の肉親だ。

 ミュラーは威厳のある顔つきで、初対面だと畏縮いしゅくされることが多い。


 ミュラーは娘が真剣な話をしたいと察して、手を上げて給仕のメイドたちを食堂から下がらせる。


「お父様も気づいてらっしゃると思いますが、エイルリーナの物価が上昇しています。原因の一つは帝国全域の魔獣被害です、この公爵領内でも魔獣被害が増えていると聞きました。早急に手を打つべきです。公爵領内の騎士不在地域に騎士を派遣することはできないのでしょうか?」

「派遣したいのは山々なのだが、公爵領の騎士団にその余裕はない。イルガランが不穏な動きを見せていて、公爵領の騎士と傭兵で国境付近を監視させている」


 エイルハイド公爵領はロギオニアス帝国の東端まで広がっており、イルガラン聖王国と国境を接している。


(でも、国境には帝国騎士団が派遣されてるわよね。そんなにあやういのかしら?)


 アンジェリーナは不安そうに訊く。


「戦争になるのですか?」

「イルガランに潜ませた密偵からの情報を受けて警戒しているが、確かなことは分からない。どうも何かきな臭い。何もなければそれで良いんだ。備えるに越したことはない」

「お父様の仰る通りです」


 ミュラーが目を閉じて両腕を組んだ。

 これは何か悩んでいる時にするエドウィンの癖だ。娘のアンジェリーナには直ぐに分かる。


「何か悩み事ですか?」

「アンジェには誤魔化せないな。お前に伝えるか少し迷っただけだ。話というのは、ヴィスト帝国の情報についてだ」


 神聖ヴィスト帝国は中央大陸で一番の大国だが、ロギオニアス帝国とは国境を接しておらず、直接的な関係はない。


「密偵からの情報が二つある。ヴィスト帝国内で強力な新武器が開発されたらしい」

「新武器ですか、どんな武器なのですか?」


 ミュラーは首を横に振る。


「分からない。どんな武器なのか探ろうにも完璧な情報封鎖がされている。しかも、新武器を開発した情報は、ヴィスト帝国が流しているようだ」

「普通は新武器の情報も隠すべきではありませんか? 」

「普通はそうだ。理由は分からないが、もしかしたら、ヴィスト帝国内で何か起きるのかもしれないな。あの国もこの国と同じように貴族のせいで腐りつつあると聞く」

「どこも同じなのですね」


 貴族の自分たちが貴族批判をしているなんて滑稽こっけいだなとアンジェリーナは思った。


「お父様、もう一つの情報は何ですか?」

「ヴィスト帝国がシュリトラン王国に戦争を仕掛けるらしい。これは確かな情報だ。ヴィスト帝国のが国境付近にどんどん集まっているようだ」


 ミュラーの話を聞いて、アンジェリーナはロギオニアス帝国の現状を考えてしまう。


(世界は動いているのに、この国はくだらない派閥争いで時を止めている。民が犠牲になるばかりだ。だから、私は皇后にならないといけない)


 急にミュラーが俯いて黙った。


「お父様?」

「アンジェ、すまない。私にもっと力があれば、自由にさせてやることができるのに」


 ミュラーは苦しそうに顔を歪ませて言った。


「何を仰ってるのですか? 政略結婚は貴族に生まれた女子の義務です。だから、そんな辛い顔をなさらないでください」

「だが、お前が本当に好いてるのは――」


 アンジェリーナは人差し指を唇に当てる。


「お父様、これ以上は愚論ぐろんです。何度も話し合った結論ですよ。お父様は貴族派筆頭のエイルハイド公爵で、私はその娘です。貴族には貴族の責務がある、それを放棄するのは貴族でない、と教えてくださったのはお父様でしょう」

「そうだったな。すまなかった、もう何も言わない」

「私、先に失礼しますね。自分の部屋に戻ります」

「ああ」


 食堂を出ると、アンジェリーナは廊下で控えていたカロンと目が合った。


「アンジェリーナ様、これを」


 カロンがハンカチを差し出してきた。

 どうしてハンカチを自分に渡すのかと思ったが、アンジェリーナは目の前にいるカロンの姿がぼやけて気がついた。


(私、泣いていたのね。お父様を心配させたかもしれない)


 アンジェリーナはハンカチを受け取らずに深呼吸をする。


「いらないわ。一人で大丈夫、ついて来ないで」


 アンジェリーナは自分の部屋に足早で戻った。自分の部屋に入ると、涙が止まらなくなってしまう。

 父や好きな人の前では強がっていたが、アンジェリーナはまだ十一歳の少女。

 一人になって、本心を吐露してしまう。


「婚約なんて嫌。私はカロンが好きなの」


 アンジェリーナは泣き声が部屋の外に漏れないように声を押し殺して泣き続けた。

















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る