第5話 黒騎士先生


 お父様に剣術のことを頼んでから一週間が過ぎた。

 今日、私に剣術を教える先生が来ることになっている。名前を訊くことはできなかったけど、五十代後半の男性でお父様の部下らしい。

 どんな人なのかな?


 私はその人物を今か今かと待っていた。


 屋敷の前で馬車が停まり、黒い騎士服を着た男性が降りた。

 近づくにつれて容貌がはっきりとする。

 白髪混じりの茶髪だけど、年相応の皺は少なく凛々しい顔つきをしている。引き締まった体つきで、とても六十代間近の男性とは思えない。


 私はお辞儀をしてその男性にあいさつをする。


「初めまして、マルクスの娘、フレイヤと申します。これからご指導よろしくお願い致します」

「フレイヤ様ですね、お会いできて光栄です。私はオスカー・フォン・エルガーバーウェンと申します。騎士団では若い騎士たちの教育役を勤めています」


 私はオスカー先生の名前に聞き覚えがあるような気がして小首を傾げた。

 その名前って、えぇっと……

 オスカー・フォン・エルガーバーウェン、オスカー、オスカー……


「黒騎士オスカー!!」


 思わず叫んでしまった。

 大声に驚いたのか、オスカー先生は目を大きく見開いた。


「オスカー先生、申し訳ございません。大声を出してしまいました」

「私の二つ名を知っていたことに驚きました。黒騎士の二つ名は久しく呼ばれていませんでしたから。マルクス団長から聞かれたのですか?」


 その二つ名を知ったのは前世の私だ。活躍した騎士を調べるのが好きで、オスカー先生の活躍も調べたから良く憶えている。

 今から三十年ほど前、ロギオニアス帝国の南西、パルキア地方で少数民族エルフ族の反乱が勃発した。エルフ族の反乱を鎮圧するために帝国騎士が派遣されたけど、十分な数ではなかった。

 しかも、エルフ族の特殊な魔法に苦しめられて反乱は鎮まらず長期化していた。

 その反乱を鎮圧するためにパルキア地方周辺の貴族たちは独自で傭兵団を雇う。傭兵団は平民の寄せ集めではあったけど、エルフ族の数十倍以上の傭兵が集まった。

 圧倒的な数を利用して、少しずつ戦果を上げ始めた。その中で一際活躍したのがオスカー先生だ。

 オスカー先生は黒塗りの鎧を身に纏い、黒馬に乗って、多くのエルフ族を倒した。

 その姿から『黒騎士オスカー』と呼ばれるようになった。

 恩賞として準男爵の地位を得たけど、その活躍が気に食わなかった貴族たちのせいで辺境の土地に左遷させられてしまったらしい。

 でも、まさか『黒騎士オスカー』がお父様の部下だったなんて。


「いえ、本で読んだんです」


 本当のことは言えないので、私は適当に誤魔化した。


「そうですか。フレイヤ様が私を知っていたのはとても嬉しいことです。ちなみに、本には黒塗りの鎧に話は書かれていましたか?」

「…… いえ、何も。黒塗りの鎧としか書かれていませんでした」

「では、黒騎士オスカー本人しか知らない秘密をフレイヤ様にだけお教えします。あれは鎧を黒く塗ったのではなく、実は鎧のサビなのです」

「え、そうなのですか?」

「はい、皆は知らないですから秘密ですよ」


 と言って、オスカー先生はお茶目な顔で笑った。


 理由を訊くと、オスカー先生は傭兵になったが、鎧を新たに買う資金がなかった。

 曾祖父が傭兵として使っていたサビだらけの鎧が家に保管されていたので、オスカー先生は鎧なら何でも良いとそれを身に着けた。それを周りが黒塗りの鎧と勝手に勘違いしたらしい。

 近くにいた仲間は異臭でオスカー先生から距離を取り、敵と接近して戦うと顔をしかめて嫌がられたそうだ。

 本人しか知らない話を聞けてとても嬉しい。

 お父様は凄い人を私の先生にしてくれた。ありがとうございます!


 軽く笑い話をした後、オスカー先生を屋敷へ招き入れて、お母様の元に案内した。


「オスカー、お久しぶりです。娘のことをよろしくお願いしますね。勉強も見てくださると主人から聞きましたわ」

「え!?」

「役に立てるよう、精一杯頑張らさせていただきます」

「娘のこと、よろしくお願い致します」

「ちょっと待って、えーー!?」


 勉強も教えてもらうなんて聞いていない。オスカー先生は剣術の先生だけだと思っていたのに……

 私、勉強は嫌。つまらないし、眠たい。

 口を尖らせながら不満を伝えたけど、お母様たちには無視をされた。


「さて、フレイヤ様。運動のできる服に着替えて敷地に来てください。先に外で待っています」

「はい」


 私は服を着替えると、駆け足で外に向かった。



 ◇◇◇



「フレイヤ、木剣を持ってみてください」

「はい」


 正式に私の先生となったので、オスカー先生は私をフレイヤと呼ぶようになった。


 木剣を持つ、とても重い。切っ先が震えてしまう。

 腕に筋肉がついていないことは分かっていたけど、木剣を持つだけでこんなにも大変だとは思わなかった。

 今までの私は馬鹿だ。もっと運動をしておけば良かった。


「どうですか?」

「…… とても重いです」

「フレイヤは剣術以前に筋力をつける必要がありますね。私が来ない日は、その木剣を百回ずつ振ってください。振れるようになったら、十回ずつ増やしていきましょう。そうすれば、筋力はつくし、体力も勝手につく」

「分かりました」

「では、思うように木剣を構えてみてください」

「はい」


 体の中心に木剣を構えて、切っ先は前方に向ける。


「腕は震えているが、意外と様になっていますね。良い構えです」


 前世の私は剣の構えを何度も練習した。型は綺麗だと周りに褒められたっけ。

 今の私にもその構え方の感覚が確りと残っていたみたい。


「しかし、それでは肩に力が入りすぎですね。もう少し力を抜いてみてください」


 私はぶんぶんと首を横に振った。


「力を緩めると、木剣を落としてしまいます」


 オスカー先生は腹を抱えて大声で笑った。


「ハッハハハハ、それは失礼しました。では、力を入れていてください。決して木剣は落とさぬように。ゆっくりで良いので、木剣を振ってみてください」

「はい」


 木剣を頭上まで持ち上げて地面に落とさないように振る。木剣を振る度に体がぐらついたが、何度も木剣を振った。


「痛っ」


 木剣を下ろして手の平を見ると、マメができて、もう潰れて血が滲んでいた。


「マメができて潰れてしまいましたね。手の皮が薄いとそうなりやすいです。剣術の稽古はこれくらいにしましょう。屋敷に戻ったら、傷の手当てを忘れずに。そして、その後は勉強ですね」

「勉強するくらいなら、このまま剣術でも……」

「それは駄目です。マメが潰れましたし、マルクス団長とコルネリア夫人からも勉強のことはくれぐれもと頼まれています」

「…… 分かりました」


 潰れたマメを見ながら不安になってしまう。手は震えているし、木剣を振るだけで体がこんなに疲れてしまう。

 私、大丈夫なの?

 アンジェリーナ様を守るために早く強くならないといけないのに。

 十年が短いように思えて不安になってきた。

 強くなれるように頑張るしかない!











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