4章
4-1
それから暫く出店を回り、太陽が水平線に近付いた頃。
二人は道外れの砂浜にひっそりと並んだベンチで足を休めていた。
気の抜けたラムネを飲み干すと、
熱を持った体にじんわりと水分が染み渡るのが心地よかった。
「どうだ。祭りは堪能してるか。」
宣言通り商店街の出店を全て制覇しようとしていたシリカは、最後に残った焼きそばを一口運んで顔を上げる。
「はい。想像していたよりも良いものですね。毎日が祭りでも良いです。」
通りをあれだけ右往左往してあれだけの食料を腹に詰め込んでいると観てるこっちのほうが胸やけしてきそうなものだが、それが義体というものである。
ちなみに結局保科が食べたのは今空にしたラムネが一つと、カキ氷のスイが一つだけだった。
「毎日そんなに食ったら流石に太るぞ。」
「安心してください。この義体にそんな機能ありませんから。私のスタイルは常に完璧です。」
「成長しないとも言う。」
シリカは手にした箸の先を保科に向け、ムッと唇を尖らせる。
「博士、約束のこと忘れてませんよね?」
「約束……? ああ、射的屋の。」
たった数時間前のことなのに既に記憶が思い出じみているのは、この数時間の過酷な行軍のせいだろう。普段遊びと無縁な保科にとっては、実に一年分の娯楽を消費したような気分だった。
「本当に忘れてるじゃないですか。」
「さあ。君の銃声に驚いて吹き飛んでたいたのかもしれないな。」
「それはまぁ忘れておきまして、早速ですがお願いを一つ聞いて頂いても宜しいですか。」
話の流れが変わりだしたのを察して、んんッとわざとらしく咳払いをする。
「約束は約束だからな。なんでもござれだ。」
「ありがとうございます。では、これを付けて頂けますか。」
シリカは持ち歩いていたビニールの袋から手のひらサイズの桐箱を一つ取り出す。
一瞬なにか分からなかったが、すぐに先程の射的で自分が落としたものだと気付いた。
「そんなものもあったな。――で、これ中身は何なんだ。」
「私も気になってさっき少し開けてみました。どうやら
箱の中には確かに銀塗りの一本刺しが横たえられている。
本体の造りはシンプルで、頭に青い花の装飾が付いているだけのデザインだ。
「付けてくれって、そんな大したものはできないぞ。」
「なんでもいいですよ。逆に何ができるんですか。」
「ポニーテールなら。」
「良いじゃないですか。簪にポニーテール、乙だと思います。」
「了解。変になっても文句言うなよ。」
保科はシリカの座る椅子の後ろに回り込んで、たおやかな銀糸の髪を掌にとった。
そのまま傷付けないようゆっくりと結い上げてゆく。
「手慣れてますね。」
「練習したからな。手癖でもできる。」
「また妹さんの話ですか。」
「悪いな。」
「いえ、別に。何だかんだ面倒見良いですよね、博士。なんだか母親のようです。」
一瞬、指先に緊張が走る。
それは本人すらも認知できない程の時間だったが、シリカは髪を通してそれを鋭敏に感じ取ったらしい。
「……失言でした。申し訳ありません。」
「構わないよ。そうか。君にはそう見えるか。」
その矮躯が羞恥に縮こまると腕の中にすっぽり収まるサイズになった。
こうしてみると、本当に無垢な少女のようにすら思えてしまう。
「君も祭りで気が浮かれてるのか。」
「――そうなのかもしれません。」
何でもないように冗談で流したが、内心は穏やかではなかった。
――うっかりだなんて、あり得るはずがないのに。
「それにしても、残念です。」
「何がだ。」
「浴衣ですよ。これでは折角の簪も白衣と一緒では輝けないというものでしょう。」
確かに、白衣と浴衣では雰囲気が全然違ってくるだろう。
「もう少し時間があれば浴衣も用意したのですが……」
シリカは髪を弄ばれながら、今しがた目の前を擦れ違った義体の少女の、細かな花の意匠が鏤められた絽の浴衣がそよ風に揺れるのを見送る。シリカが同じ浴衣を身に着けているのを想像して、なるほど確かにそれはとても似合うだろうと思った。
かつてはあのような浴衣も職人の手作りで、庶民には手が出せないような価格のものであったと聞く。
娯楽は急速に飽和した。
何しろ生存に必要な工程が極限にまで縮小したこの街では、物質的な価値はほとんど無いようなものである。加えて生存に最低限必要なものは、生体情報を保管するための電気代のみで、それすら子どもの小遣いで十分に足る程でしかなかった。
今この街に残っている最後の絶対的な価値といえば、この時間そのもの位しかなかった。それこそが人々がこの祭りに参加している理由なのだ。
かつて栄華を極めたローマの都では、人々は食べるために胃のものを吐き出すということをしたそうだ。やり方は幾らか清潔であれ、この街がやっていることにしたって殆どそれと変わらないだろう。
月並みの快楽ならば無条件に満たしてくれる理想郷。
一方でそれは幸福を容易に陳腐化させる呪いでもあることに、きっと誰も気づいていない。
「……博士。」
「なんだ? どうかしたのか。」
視線を戻すと、シリカがぐるりと首を返し、流麗な瞳を詰るように細めてこちらを見つめている。
「デート中に他の女に目移りする人がありますか。」
「酷いトラップだな……」
本当は君のことを考えていた、なんてセリフは事実だったとしても口にしたくなかった。
少女漫画でもあるまいし。
「それにしても珍しい。君は外見には執心しないタイプじゃなかったか。」
「今日はたった一度のお祭ですから、最大限楽しまねば損でしょう。」
「随分気合い入ってるようだが、別に来年だって祭はあるぞ。」
それを聞いた瞬間、目を丸くして猫のように瞳孔を開く。
一瞬何かおかしなことを言っただろうかと思ったが、すぐに彼女は普通に戻って、今日何度も見たあの微笑を頬に湛えた。
「ええ。確かにその通りですね。」
「もしや、そんなに浴衣を着たかったのか。あまり機会がない衣装なのは事実だが。」
「そういうわけでは無いのですが……来年、楽しみにしておきますね。」
シリカはその整った貌を手で隠して、フフと笑い返したのだった。
気付かぬうちに髪は結び終わっていて、ひょこんと立ち上がったかと思うと、そのばでクルリとターンを決める。月光を映した川のように流れる銀髪に、青の花が浮き沈みするのが綺麗だった。
「どうです。似合っているでしょうか。」
「そうだな。似合ってるんじゃないか。」
「なんですかその鸚鵡返しは。」とまたしても変にむくれるシリカ――、しかし今は楽しみが優ったのか、懐から小鏡を取り出して自分でも様々な角度から髪の様子を確かめ始める。
こうして無邪気に喜んでいる彼女の姿は、まるで舞踏会を夢見るお姫様のようだ。遠巻きに彼女を眺める観光客たちも、ある者はその美貌に見惚れ、ある者は微笑ましいものを見るように自然と相好を崩している。
しかし、生まれた時から彼女を知っている保科にとって、その様子は酷く奇妙に映った。
異常と言ってもいい。
何故なら、彼女にはそんな質問の答えなんて最初から分かりきっているはずなのだから。
それはつまり、アストラルプレーン執政部の特別研究員シリカとしての肩書ではなく、どれだけ役を演じようと切っても切り離せない保科の知る本来の彼女の姿ではの話である。
――アストラルプレーン最高管理AIシステム・シリカ。
マザーコンピュータの末端であり、人類の叡智の到達点の一つと呼ぶべき、人を越えた人。完全無欠の量子計算機とダイレクトに結びついた彼女の思考回路は疑似的な未来予知すら可能にし、古今東西あらゆる歴史を刻み込んだ記憶領域は生きる人類史そのものだ。
息をするように未来を読み、情報の海を泳ぐ。
なのに、髪飾り一つで何をいまさら喜んでいるのだろう――、
或いは、何が彼女をそうさせているのだろう。
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