2章
2-1
一通り用意を終えて、早速二人は街へと繰り出した。
「それにしても、全く今日は良い天気だな。」
保科は頭上の太陽を睨みつけ、火照った頬を手うちわで煽ぐ。
部屋の中からもう分かっていたことだが、実際に青空の下に出ると改めてその酷暑ぶりが身に染みる。一歩日向に出ただけでも、たちまち汗が肌に滲んできて先が思いやられる。
「少し良過ぎる位です。博士は熱中症にお気を付けください。」
こんな猛烈な熱気の支配する中でも、シリカはいつも通りすずしげな顔をしている。下手をすれば蒸し焼きにでもなりかねない服装――彼女は時候を問わず常に白衣を着るこだわりがあった――だったが、彼女が身に纏うと、風に棚引く白雪の布が冷感を惹起させるファッションに様変わりするのだから不思議である。まるで彼女の周りだけ温度が十度ほど下がっているのではないかと錯覚してしまう。
「君だって同じだ。熱に当たり過ぎるのは良い事じゃない。」
「承知しました。気を付けます。」
巨人が切り分けたウェディングケーキのような形の研究所を後にした二人は、そのまま通りを突っ切って向かいの駅に向かった。自動ドアに区切られた境界を越えて室内へ入ると、忽ちエアコンの効いた空気が二人を出迎えた。
こういう時職場が駅に近くて心底良かったと思う。
横目に見ると心なしかシリカもほっとしたような表情を見せていた。
外出のピークはとうに過ぎたようだが、駅のホームにはまだ二人以外にも一般の客が疎らに居て、お祭のために拵えた衣装なのだろう、皆それぞれ個性あふれる義体を服や化粧で飾っている。
クリスタルの片脚を持つ男。
碧と金のオッドアイの女。
ふわふわの猫耳を生やした少女。
――ヒトを構成する生体データを完全に電子情報化する方法が確立したのは、今から二十年ほど前のことだった。今でこそ一般的に普及した技術である身体の情報化だが、当時は情報体として生きる道を選ぶ人間は一部の科学者か金持ちの変人くらいのものだった。それはひとえに、当時はまだ肉体が一度失えば替えの効かない存在であったためである。
状況が変わりだしたのは、完全な義体を作成する技術が見つかってからだ。もともとは事故や病気で肉体を失った人向けに開発された技術だったが、これが意図せず肉体の持っていた絶対的な価値を崩壊させることに繋がったのだ。以降病気知らずでカスタム可能な義体を求めて人々は寧ろ喜んで肉体を捨て始めるようになっていった。
更に流れを決定づけたのは約一年前の、ある科学者による汎用AIの開発だった。これを以てマザーコンピュータを利用した情報世界のネットワークの理論が完成し、しまいには民衆の大半が完全に電子の海へと引きこもってしまったのである。今では保科のように義体を持たない人間の方が変人扱いされる程にまで、義体技術は浸透している。
「――博士。電車が来ました。」
見れば、プラットホームを横に貫通する直径五メートル程の透明なチューブ――これはぐるりと街をぐるりと一周し、列車のレールの役割を果たしている――の向こうに、カプセル型の真空列車が走ってくるのが見えた。列車が音もなくプラットホームに滑り込んで停止すると、側面に人間大の穴が横開きに空いて乗客達を出迎える。
入ってすぐ対面式の四人掛けシートに空きを見つけ、シリカにふっと目くばせをすると、彼女は特に返事をするでもなく窓際の席に腰を降ろした。それから保科はその向かいに座った。
同時にARグラスの視界の隅に湧いてくるポップアップ広告を一つ一つ閉じていると、慣性の無い滑らかな動きで列車は加速し始める。
子どもが悪戯書きした迷路のように入り組んだ街を、真空列車は中枢から末端へと下ってゆく。車体を包む透明なチューブの向こうに展開される、蒼穹を穿つビル群と、立体的に錯綜する歩行者回廊の為す一代芸術は、まるで重力を知らない空中ブランコの絶技を思わせる街並みだった。
一見無秩序に開発された街道は、全てマザーコンピュータを利用した緻密な計算に基づいて設計されている。例えば、どの区画のどの通り、どの建築物に居ても、生活をするには十分な自然光を採ることができるようになっていた。更に一定の間隔で公園を設置することで、都市部でも窮屈な感覚も得ることが無いようにも気をつかっている。完全すぎる美貌はかえって不気味さを与えるというが、ここまで徹底されるとほとんど人間の理解を越えて驚嘆の域に達していた。
「それにしてもどうしたんだ。突然デートだなんて。」
発車後のアナウンスも終わって、車内の空気も少し落ち着いた頃に保科はずっと抱いていた疑問を投げかける。
外の景色を眺めていたシリカは、その問いにふっと視線をこちらに向けてきた。
対面席の密着した距離感の中に改めて見つめ合う格好になって、氷柱の彫刻のような睫毛の思いがけず長いのに視線が引き寄せられる。保科は無意識に両腕を前で組み直して、シリカの言葉を待った。
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