観る側のマナー


 「将棋を観る」と言った時、対局しているのがプロかアマかで大きく状況が変わってくる。アマの対局の場合、わざわざそれを会場まで観に来る人は少ない。もちろん全くないわけではなく、たとえばこども大会で保護者がトラブルを起こすこともある。そういう場合も含めて、一貫して「対局者に迷惑をかけない」ということが求められるだろう。

 助言などはもってのほかだが、ないわけではない。私も被害に遭ったことがある。観戦者も大会参加者や指導者などある程度将棋ができる人であることが多く、局面を前にしてつい思ったことや読み筋を言ってしまうのである。これは勝負結果に直接影響することで、あってはならない。しかし中には、影響することが分かっていて声にする人もいる。子供同士の対局などでは、無邪気に助言をする様子などが見られる。

 勝負における第三者の介入は一方的な悪だと思うのだが、それ以上に「見えている最善を実現させない方が悪である」と考える人がいる。例えばゲーム実況動画では、ゲームプレイヤーが最善の選択をしないときに助言を越えて説教のようなコメントをする人がよく表れる。私は以前、ロールプレイングゲームをしているときに「なぜ裏技を使わないんだ」と突然説教されたことがあった。見えているよりも、より良い選択が選ばれないことにより、イライラが収まらなくなるタイプの人がおり、それにもかかわらずそういう人が観戦好きな場合があるのだ。そして指摘はゲーム内のルールを守る範囲に限定されず、裏技や盤外戦術にまで及ぶこともある。

 観戦者のマナーに関しては、厳しくルール化していくのが難しい。なぜならば、敗北というペナルティを与えられないからである。例えば一番困るのが、第三者の指摘による反則負けが認められていないルール化で、観戦者によって反則が指摘された場合だ。そこで即反則負けとはならないが、対局者は反則に気が付くことになる。そこで反則を指摘した場合、どのような判定を下せばいいのか。そして最初の指摘者に対して、どのような注意をすればいいのか。

 もちろん、プロサッカーの試合で下されるペナルティのように、悪質な観戦者は入場禁止とするのが良いのかもしれない。しかし将棋がプレイされる場においては、「特定の人間に観戦禁止の裁定を下す」のは大変困難に思われる。罰が重いならばルールが厳格化されねばならず、ルールが厳格化されるには何が悪なのかがはっきりされていなければならない。だが、将棋においてはプレイヤーと観戦者、運営者がそれほど明確に分かれていないことがほとんどであろう。このような人間関係の中では、「あくまで改善すべきマナーとして」処理されることが多いと推測される。実際私の場合も、対戦相手の指導者が助言していたが、証拠がないため注意されるだけで終わったことがある。おそらくあの指導者は、その後も同様のことを繰り返したことであろう。

 対局後にも、周囲の対応が不快感を生むことがある。将棋には感想戦というものがあるが、これは対局者が対局内容を振り返るものである。そこに第三者が加わるのは珍しくないが、「自分の見えていた手」を主張したいだけの人がいることがある。特に初心者の対局に対しての場合など、自分の強さをアピールしたいだけだったり、最善手を見逃すことを説教する様子だったりという指摘も見ることがある。このようなことが嫌で一般大会に出なくなる人もいる。

 これらの問題を解決するには、対局者と観戦者を明確に線引きし、対局者への介入を悪とすることを徹底して明確にしていくしかないだろう。このとき、「プロの対局で駄目なことはアマの対局でも駄目」と言うことは現状では効果的かもしれない。どうしても将棋は「ゲーム」としての性質から、対局が「楽しむ場」ととらえられ、第三者の介入を容易にしている面がある。しかしあくまで将棋は「競技」であるという側面から、勝負を左右するようなことは全て禁止だという前提が、マナーを守ってもらうためには重要なのではないだろうか。



 では、プロに対して求められる観戦者のマナーとはどういうものだろうか。この点に関しては、将棋特有の事情がある。まず、将棋の対局はほとんどが無観客である。そのため観戦に関するマナーが求められることはあまりない。しかし、公開対局では静かに観戦することが求められ、撮影に関するルールも決められているはずである。新型コロナ流行以前のスポーツ観戦においては、観客は声を出し、楽器を奏でるのが一般的だった。しかし将棋の観戦においてはそのようなことはあり得ない。よりプレイヤーのメンタルが重視され、気が散るようなことは避けられるべきと考えられている。

 ではプロとアマの接点が少ない競技かと言われると、そんなことはない。その最たるものが、指導対局である。プロが直接対局しながら指導してくれるという機会が、かなり頻繁にある。例えばプロスポーツ選手と対戦する、直接レッスンを受ける機会がどれほどかと考えてみれば、その特殊性は明らかだろう。また、プロ棋士と交流するイベントなども多く、比較的安価で参加できる。プロ棋士は、実戦の場はなかなか観ることができないが、触れ合う機会は多いと言っていい。

 接することが多くなれば、ファンには当然より慎重な対応が求められる。一般的な常識的な対応が求められるのは当然だが、プロ相手にどのような対応が適切かということも考えていく必要がある。

 将棋に限らず、ファンにとってプロプレイヤーが憧れの対象であるのに対して、プレイヤーにとってファンはお客であるという関係がある。ファンが全くいなくなれば、その競技は収入源を失いプロとして成立しなくなる。では競技者はファンをお客としてどこまでも丁重に扱うべきかと言えばそうではない。

 川谷茂樹は、次のように述べている。「ファンという存在者の特徴を列挙すると、(1)一体性、(2)排他性、(3)無根拠性(非合理性)というのが挙げられます」(川谷『スポーツ倫理学講義』p.186)この中でも特に無根拠性について川谷は、恋に近いものだと説明している。ファンは何らかのきっかけで競技者に対して(たとえ非合理的でも)とにかく応援したい、活躍してほしいという気持ちになる。この気持ちは、「目に見えてお金をくれる人として扱われる」ことによって冷めてしまうかもしれない。「夢を提供する」と表現されることもあるが、恋するような気持の持続のためには、プレイヤーはプレイの場以外でも「私から離れた存在である」ことが求められ、ファンの方も「私から離れた存在として」接するべきかもしれないのである。

 では、直接接しない場面ではどうだろうか。将棋は観客席がない代わりに、棋譜や対局の様子がネット経由で中継されることが多い。これ自体は一方的な提供だが、動画のコメント欄やSNSで感想などを書き込むことができる。そしてこれらの書き込みは直接プレイヤーの目に触れることもあるし、当然他のファンの目にも触れる。誹謗中傷などがいけないのは当然だが、将棋には特徴的な面がいくつかある。

 そのうちの一つは、プロ棋士を「先生」として扱うという点である。特にSNSでは、プロ棋士の名前を呼び捨てにすることがあまり好意的にとらえられないことが多い。「そうすべきでないこと」としてわざわざ注意する人もいる。しかし一般的にはプロプレイヤーはファンに呼び捨てにされる存在である。

 この特殊な関係性は、将棋ファンの多くが競技者(指す将と呼ばれるようになってきた)であることに起因すると考えられる。前述のように直接指導してもらえる機会も多く、「先生」としてかかわる機会が多い存在であり、棋書などを通じても「教わる」対象である。だが、「観る将」が増えた最近でも、呼び捨てにするのが一般的になっているとは感じられない。これが元々の呼称がそのまま受け入れられているのか、指さない人にとっても「先生」と感じられる存在なのかまでは私にはわからない。また、コメント欄などによっては呼び捨てやあだ名が当たり前であり、結局のところ「いろいろなファンがいる」というだけのことであり、マナーとは言えないことなのかもしれない。しかし「先生と呼ぶべき」と考える人たちにとってはそう呼ぶことがマナーであり、呼び捨てにする人は不快に感じられ、対象となるプレイヤーに対しても失礼と考えていると推測される。

 私は詩の世界にも所属しているので、似たものを感じることがある。ご存命の詩人に対しては、たとえその場にその人がいなくても呼び捨てにすることが憚られることがある。そして詩の世界は、作る側と読む側が非常に重なっており、コンテストなどで審査する側とされる側の関係も近い。この元々「地続き」の関係は、身近であればこそ呼び捨てにすることがためらわれる。

 マナーとは決して、それが正しいと絶対的に決められるようなものではない。それゆえ、「ネット上での正しい応援の仕方」などというものが明確に決められるわけではない。多くの人が正しいと考える振る舞いに対して、同調圧力のように感じる人もいるだろう。私も本稿で、「これこそが正しいマナー」というものを決めたいわけではない。将棋特有の状況があること、それゆえ将棋以外とは求められることが異なる点があるということ。これらを明確にしたうえで、将棋を楽しむ場がより快適な状態になるには、何を軸として現状を改善していけばいいのか、それが問題となってくると考えている。




参照・引用文献

川谷茂樹(2005)『スポーツ倫理学講義』ナカニシヤ出版

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