将棋(対局)におけるマナーの強度

 「マナーを守るべき」と言うには、守るべきマナーが明確でなければならない。しかしマナーというのはどこかで書かれたものが正しいわけではなく、時と場合によって大きく異なる。「謎マナー」という言葉があるように、根拠もわからず言われているマナーもある。

 例えば私は学生の時、正座から足を崩すときに「失礼します」と言っていた。先輩から受け継いだ「正しい言葉がけ」と思ってやっているのだが、他校の人間は怪訝な顔をしていることが多く、「こっちも言わなあかんのかなあ」という感じであった。そもそも対局の時に正座でなければならない、という決まりもない。部内においてはマナーとして流通しているが、一歩外に出ると「決してマナーではない」ことであった。

 もし相手の駒の向きがバラバラだったら、「もう少しきちんと並べてほしい」と思うだろう。しかし「下の線に合わせて並べるのがマナーだ」などと言えば、相手は反発するかもしれない。駒を並べる場合も、アマチュアも伊藤琉や大橋流で並べるべきだろうか。そうする人はいるが、「そうすべき」と言えるだろうか。十年ほど前、「置いていきます」と宣言して、携帯電話を盤の前に置いてトイレに立った人がいた。携帯電話を使ってカンニングすることを防ぐためであろう。プロでは持ち込みが禁止されている電子機器も、アマにおいてはルール化されていない場合も多い。携帯電話を置いていくのはその人なりのマナーだったのかもしれない。ただ、持っているのが一台とは限らず、ルール的な視点から言えば「それでは足りない」となるだろう。

 プロかアマか。大会か道場か。仲間内かどうか。時と場合によって、求められるマナーは異なってくるだろう。そのように考えると、「将棋のマナー」というものが非常にあいまいなことが分かってくる。ある場ではとてもマナーの良い人が、別の場ではそうではない、という事態も生じる。また前述の例のように、足を崩すときの言葉などをマナーだと思っている人々が現れると、他の人々にはプレッシャーになるかもしれない。たとえば自分以外の全員が下の線に合わせて駒を置いているのを見たら、自分だけ真ん中に置けるだろうか。マナーはときに同調圧力によって、別の場に浸透することも考えられる。

 あるところでは求められることが、別の場では推奨されない、ということもある。その最たる例が「王手」であろう。王将が取れるので取ると、「王手と言わなかった」というクレームを言われることがある。「王手と言わなければならない」というルールはどこにも明文化されていないはずだが、このローカルなマナーは脈々と残り続けている。「言わなければならない」で反則負けという主張はあまりないので、やはり「言ってから取るべきだ」というマナーの問題と受け取るべきと考えるがどうだろうか。

 「待ち駒は卑怯だ」などと言う主張もあり、将棋に関して「相手が気が付かないうちに勝利手順に入るのはよくない」「追いかける駒に対して逃げるというのが一般的で、逃げきれなくなったら負けという流れが良い」とする考えが背景にあるように感じる。武士の作法なども影響していそうだが、歴史的検証はここでは行わない。

 問題は、このようなローカルなマナーは家族間などでは有効であるという点である。私も指導将棋のときにはできるだけ王手放置で勝たないようにしており、「王手だよ」と局面を戻したりする。そう考えれば、王手を宣言するというのは初心者と将棋を楽しむ、成長を導くという点では有効かもしれないのである。しかしローカルな場を出てもそれが普通だと思っていると、困惑することになる。あくまで「家族で楽しむ」「成長を促す」という目的あってのマナーなので、目的が異なる場では全く不必要になってしまうのである。

 ネット将棋においても、サイトやアプリによって求められるマナーは異なる。チャット欄があるところでは、定型文の挨拶から対局を始めることがほとんどである。しかし「わざわざ」挨拶をしない人がいる。終局後も同様である。これはあえてやっていると思われる。将棋においてはほとんどの場では挨拶が重要視されており、ネット上であってもわざわざそれを省く人は相手に不快感を与えることを意図的に行っていると考えられる。

 だが、将棋ウォーズはそもそも挨拶の機能はなく、知らない人から「もう手遅れじゃ」など、およそ対局中に投げかけるべきでない言葉が発せらる。普通の将棋とは別のゲームと考えるのが妥当だろう。接続切りや放置などの「マナー違反」は可能だが、一般的な将棋の場とは求められるマナーも異なると言えるだろう。

 将棋のルールも棋戦や大会によって異なるが、マナーも場によってそれぞれであると言える。しかもマナーは、その場で求められるものがどこにも明文化されていない。「最も強度の強いマナーならばどこでも通じる」のかどうかは疑わしい。相手にとってのプレッシャーになったり、慇懃無礼になったりということもあるだろう。「将棋のマナーを守る」とは、「その場で求められるマナーの強度を感じって守る」ことでもあるのだ。

 さらにこれが実現されるためには、やはりマナーが明確化されていることが望ましい。その場における責任者が望まれるマナーについてはっきりと説明しておき、それについてきちんと質問もでき、望まれるマナーが合わないと感じたときにはその場を選ばないことができる。そういう状態であればこそ、その場の人々が「積極的にマナーを守る」ことができるだろう。

 さて、将棋に関わるマナーの問題に関しては、対局以外にも「ファンとして」楽しむ場合においても考えていかねばならない。公開対局や解説会、指導対局などのプロと関わる場合や、SNSや動画サイトへのコメントなど、「書き込み」などで、ファンに求められるマナーも多い。これについては次項で考察していく。

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