マナーと倫理
挑発的行為の是非
将棋において、もっとも倫理的問題が浮き彫りになるのはマナーに関してではないだろうか。ルール的にはセーフでも、相手に不快感を与える行為は将棋を楽しむ場においてはマイナスの効果を生む。しかしどうしてもマナーの悪い人はいるし、中には何らかの目的によって意図的にマナーの悪い行為を選択する人もいる。
対局中に喋る、対局前に「駒を落としてもらわなければなあ」とうそぶく、詰みがないのに「詰んでしまった」などと言う、圧勝の局面で詰まさずに全駒を目指すのは、明らかにやめた方がいい行為である。とはいえ、全くないわけではない。これらの行為は自然としてしまう人もいるが、おそらくわざとやっているであろう姿を何度も目撃している。いわゆる「盤外戦術」である。勝利のためには反則にならない限りなんでもする人というのは存在するのである。
勝利に結びつく可能性がある以上、盤外戦術も当事者にとっては「最善の行為」ととらえられているかもしれない。例えば持ち駒を見えなくするような行為は、マナー的にだけでなく、ルール的にも取り締まられる行為である。それは直接相手に不利益を与えるからである。しかし相手に不快感を与える喋りかけは、相手に不利益を与えているだろうに明確にルール違反とすることは難しい。
時折議論になるものに、「角不成」もある。角交換する場合、「万が一取らなかったときに」角より馬の方が強いため、成る方がよいに決まっている。しかしほぼ取る一手な場合、角を成らない人がいる。これは最善手とは言えないが、その後の展開が変わることはめったにない。いちおう、裏返す手間を省ける、という理由は存在する。しかし、ネット将棋でも角不成をする人は多数存在する。「成る/成らない」はどちらもワンクリックであり、手間が変わらないにもかかわらずである。このようにわざわざ角不成を選ぶ人は、相手が少しでも不快感を抱くことを「期待している」と言える。
ネット将棋においては、相手を挑発するような指し方は幾種類もある。序盤から明らかな悪手ばかり指す。勝ちの局面でわざと詰まさない。負けの局面で放置する。負けになるとわざと玉が取られるような指し手をする。チャットが可能なサイトでは、明らかに不快になるような言葉を投げかけてくる人もいる。これらは積み重なるとアカウント停止になることもあり、マナー違反がルール化の対象になっていると言える。しかし対面式の将棋では、マナー違反によってペナルティを与えるのは難しい。マナー違反を指摘する、審判が認定するなどの手間が生じるし、マナー違反に対してどれほどのペナルティが妥当かを判断するのも難しい。
やめた方がいい行為を、ルール違反とせずに改善を促すにはどうすればいいだろうか。「マナーを守りましょう」ということは簡単だが、それによってマナーが良くなることは稀だろう。何が良い行為かを知らない人には良い行為を教えればいいが、「角不成」の類の行為をする人は、マナー的に悪いとわかったうえでやっているのである。
マナー問題の難しさは、マナーを重視しない人にとってマナーを守ることにメリットがない点にある。勝負にこだわる人や嫌がらせを好む人は、その目的のために将棋を指している。そしてネット対局や大会では、相手のマナーの悪さによって対局を拒否するのは難しい。もちろんすべての人々のマナーが悪ければそういう場自体が成立せず、目的が達成されることはない。しかし実際には多くの人々はマナーに問題がなく、そういう人たち同士が対局を期待してゲームに参加する。つまり、マナーの良い人たちがいること、マナー問題が啓蒙されることは、マナーを守る気のない人たちにとっては目的を果たすために好都合なのである。
マナーの良い人たちの存在によって、マナーの悪い人たちは将棋を楽しむことができる。いわばマナーの悪い人々は、マナーの良い人々の努力に「ただ乗り」しているのである。しかしマナーの悪い人々の存在によって、将棋から身を遠ざける人もいる。結果的に将棋に関わる人々が減ればマナーの悪い人も損をすることになるが、「全く誰もいなくなる状態」にでもならない限り、マナーの悪い人々はそれを実感することはないだろう。
将棋における挑発的行為は、それによって失う信頼や好感度を気にしない人たちにとっては、いつまで続けても問題ないことだと捉えられる。むしろとてもマナーの良い人に対してこそ、挑発の快楽は得られるだろう。
マナーの問題があるとなれば、運営者や審判から注意されることになる。しかし全ての対局を注視するわけにはいかないし、注意されても全く悪びれない人もいる。また、注意するにはなぜそれがマナーとして駄目なのかが説明できなければならない。特に「角不成」のような合法的な手、その後の展開に影響しない手をやめさせるだけの明確な説得はとても困難に思える。
ネット将棋においては、チャットがない場合はそもそも言葉による挑発的行為は不可能である。そして時によって、通報できるマナー違反が設定されている。しかし通報されれば即罰則が加えられるわけではない。虚偽の申告もあり得るからである。そのため結局のところ、通報されたものが罰に値するかの判断を誰かがしなければならないのである。
マナーの問題のみならず、「相手が不快だからしてはいけない」と諭すことは、それほど効果を持たないことがある。相手を不快にすることも目的の内に含まれるからである。マナーの悪い人はすでに「マナーの悪い人間だ」と思われているのに慣れている可能性があり、目的を達成するために評判を落とすのは「軽い対価だ」と考えているかもしれない。
また、そこまで意識的ではなくても、日常的に相手を不快にする言動をとる人間がいる。そのような人は自らの行為が「相手を不快にすることから快楽を得ている」と気が付いていない以上、行為の質を修正するのは困難なのである。このような人にはどの行為が相手を不快にしているのか、一つ一つ説明できなければならない。
やはり挑発的行為をなくしていくには、それ自体が悪であることを明確にし、「対局の権利が奪われる」という警告をしていくしかないと思われる。そのためには権利を奪うに値する行為をはっきりさせねばならないが、それこそが難問だと思われる。
参照
「「角不成」とは何か」https://kakuyomu.jp/works/1177354054917496276/episodes/1177354055061712300
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