8-2 Figure it Out
十二年前の冬の終わり、光山功のクローン個体HI-02「ヒデアキ」は完成した。当時のCeRMSでは若手研究員が大きな裁量を持って独自研究を行える予算枠があり、光山は原賢治とチームを組んで人工臓器の完全体外培養のためのプロジェクトを進行させていた。その過程で、人間一個体そのものを体細胞から作出する技術の道筋がたち、秘密裏に光山が自身のクローンを作り出したのだ。
「原は反対したよ。もちろんそれはわかっていたから、わざと全工程を隠してあった。結局最後には折れてね、二人でこのプロジェクトを正式にCeRMSの基幹研究に組み込むことになったんだ」
「そう……、僕は身元を隠して都路大の修士課程に入学して、博士までとったあとすぐCeRMSへ入った。大学院以前の記憶がないわけだよ」
新田は遠くを眺めるようにして言う。手元のカップから熱い紅茶の湯気が立ってめがねがうっすら曇る。
ダイニングでテーブルについた新田と光山、そして向かい合うヒカリとアカリの四人は、並ぶものどうしが同じ顔をしている奇妙な取り合わせだった。新田は自分を少しだけ年負わせた光山の姿を、今では不思議な懐かしさで眺められるようになっていた。最初期の記憶が戻ってきたのだ。
「原がヒデアキの上司としてずっとついていたのは、おまえを守るためだよ。所内でも本当の出自を知っているのはプロジェクト関係者の数人だけだった。研究者として育てて僕の後任とし、いずれプロジェクトが公表できる時期がきたらすべてを明らかにする予定だったんだ。でも僕にはCeRMSでの居場所はなくなった」
「どうして?」
ヒカリが焼き菓子をつまみながら無邪気に聞く。マドレーヌかなにかで、手作りらしく包装されていないままいくつも皿へ盛ってある。ヒカリがうれしそうに頬張ると、アカリがまったく同じ微笑みでヒカリのカップに紅茶を注ぎ足した。
「原と意見が合わなかったから。原が各省庁の官僚と交渉して最終的に定めたクローンの利用目的は、若い子宮、一次産業労働者、そして兵士の三種になったんだ。そうしなければとても国家に守ってもらえる研究としての認可がおりなかったのは僕にもわかるけれど、僕が当初ヒデアキを作った時の目的からは大きく外れてしまった。僕はヒデアキを原の元に残して、しばらくスイスの大学に籠ってた」
「そこで完成したのが私なの。私は試験的に小さな子供の姿につくられて、そこからイサオ先生の手でここまで育てられました。私たちが十年ぶりに日本に戻ってきたのは、ヒデアキさんが基礎研究チームのリーダーになったと聞いたから。心配だったの、あなたの身になにかあるのではと」
新田は目を見開いて光山とアカリの話に聞き入る。それでは自分自身のこのHICALIプロジェクトにおける研究は、ヒカリの作成はいったいなんだったのだろう。あらかじめ秘密のうちに成功していた光山の研究、アカリの作成を、そうと知らぬまま後追いでなぞっていたのだ。
「……それ以来ここに?」
質問したいことが多すぎて、新田はそれだけ聞くのがやっとだった。
「そうだよ。僕らはここで遺伝子組換えで花の品種改良をしたり、学術論文の覆面レビュアーをしたりして生活してる。CeRMSとはずっとコンタクトをとってきた。内通者がいるんだ」
「そんな……」
「彼に会わせてあげよう。聞きたいことがまだあるだろう? ついておいで」
新田が通されたのは光山の仕事部屋だった。八畳ほどの書斎で、片方の壁が作りつけの書架になっている。明るく光の入る窓へさげた薄いカーテンを背にしたデスクには、ディスプレイを二つ並べた周りにタブレット端末や書類、ふせんだらけの本やメモ書きが散らばっていた。
「ちょうどいい時間だ、ミーティングの予定だったんだ」
光山はリモート通話をセッティングして新田を自分の横に座らせる。カメラとマイクを確認していると、相手からの映像が画面に表示された。
「原さん」
新田は思わず声をあげる。ディスプレイの中の、ネクタイをきっちり締めて髪をオールバックにまとめた男の無表情が、一瞬だけ揺らぐ。原賢治は数秒の沈黙を挟んでこちらへ話しかけた。
「新田か。ああ、そうか、着いたんだな」
初めて見る原のかすかな笑顔に、新田は動揺しつつも不思議と納得していた。なぜこんなに簡単に新田と出水でヒカリを持ち出すことができたのか、その後も追われつつここまで逃げてくることができたのか、それでわかった気がしたのだ。
「原さんは最初から協力してくれていたんですね。僕らがここへ着けるように」
原はしばらく黙ったあと、いつもの無表情で淡々と言った。
「新田なら、光山の研究をもう一度再現して新しいクローンを作れることはわかっていた。その時がきたら、おまえがその個体を連れて逃げるだろうことも。ここまで国家機密として進んでしまったHICALIプロジェクトが止められない以上は、クローンの非人道的な利用も避けられない。すべてを終わらせるために、おまえたちが光山の元へ自発的に行けるように手引きするのが私の役目だ」
光山はそれを聞いて笑顔で頷いた。
「これで僕も安心したよ。そろそろアカリもアルプスが恋しいっていうんだ。僕らはまた向こうで隠れて暮らす」
「新田とヒカリはどうする」
原の問いかけに、光山は新田に向き直る。
「いいかい、ヒデアキ。これからはここでヒカリと暮らすんだ。僕のオフィスとラボはそのまま譲るよ。ここが君たちの『
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます