5-2 Outflow

 深夜、いつまでも寝返りを繰り返す新田の枕元でスマートフォンが振動する。出水からの着信だ。明るいディスプレイが灯火のように新田の顔を照らし、目の下に濃い影を作った。

「はい」

「分生研から連絡あった? このあいだの動物愛護団体を名乗ってたやつ、やっぱりこっちから原さんが仕掛けてたっぽくて。多村さんのとこに逃げるの無理かもしんない」

「だろうね。かと言ってここで長居するのもな」

「いっそ国外に出しちゃうか。許くんのツテとかあるだろ」

 早口に言う出水の様子はいつもと変わらない。出水が新田に協力していることは所内で知られていないのだろうか。

「原さんがうちのチームのメンバー使って内密に新田がいそうな研究室を調べてる。俺もやらされてるけど。今のところ統合研はまだマークされてない。このまま統合研は俺が担当することにして、うまくはぐらかせるといいけど」

「ありがとう、頼むよ」

「ヒカリは?」

「……元気だよ。職員寮で寝起きさせてるんだ」

 新田が言い淀んだ一瞬の間を出水は聞き逃さなかったらしい。声の速度をやや落として、

「ヒカリとなにかあったな」

「うん……、ちょっとね」

「なんだ、言えよ」

 と少し笑って言う。新田は大きくため息をついて自分も苦笑いした。

「うん、まあ、僕の問題なんだ。ヒカリに思い入れがありすぎる。適切な距離をとった関係性が構築できない」

「そりゃヒカリはおまえ自身だからな。精神的にも同化しやすいのはしょうがないだろ」

「そうなる予想はしてたけど、実際あの姿で抱きつかれたりしてみろよ。どうするのが正解なんだ」

 出水は一瞬黙って、はは……、と笑いだす。新田はぶつぶつと低く続けた。

「笑いごとじゃないだろう。クローンとその『親』がそんな関係になっていいわけないんだ。僕らは同一人物なんだから。あの子をここまで作ってしまったのも、勝手に逃がしてきたのも僕の罪だ。それは背負う。でも、ヒカリの気持ちはどうしたらいい。あの子の望むようにしてやったらいいのか? 僕はヒカリまで汚したくない」

 フム、と唸ってまじめな声色になった出水が応える。

「それはどうかな。おまえとヒカリの置かれた立場には前例がない。べつに違法ってわけでもない。現状で対応する法律なんてないからな。まあ、生理的な嫌悪感はあるかもしんないし、倫理や道義にもとるといったらそうだけど」

「……うーん」

「ヒカリを幸せにするためにここまでしてるんだろ。それならヒカリの意思を最大限尊重してやれよ」

 新田は長く息をついた。ヒカリの意思はこちらが怖気付くほどはっきり示されている。だが、ヒカリの幸せとはなんだろう。今の新田には判断がつかない。

 いつの間にか部屋にはパラパラと雨が外壁を叩く音が静かに響いている。出水との通話を終えたあとも、新田の心はいつまでも落ち着かなかった。


 研究室のスタッフ居室、パーティションで仕切られた個人用のデスクで、音葉はこの一ヶ月余りで収集したヒカリのデータをまとめていた。普段は大規模な解析は専門の部署や外部の業者に任せることが多いが、今回は機密上そういうわけにいかない。佐原、瀧本にも協力してもらい、なんとか形になったというところだった。

「HI-44のデータですが、気になることがあるんです」

「ほう」

 音葉のうしろで、許が組んだ腕を解いてサイドディスプレイに顔を近づける。

「NGSゲノムシーケンス解析にかけたんですが、この個体にはY染色体があるんです。Y染色体から、性決定因子SRT-Tを人為的に切り出している。なぜこんなゲノム編集をしているのか、背景はわかりませんが」

「HI-44のベースになった個体がある、それが男性だということですね。この子は遺伝的に処置を施された特殊な実験用のヒト個体だとは聞いていますし、私は新田にそれ以上の説明を求めていませんが、彼がすべてを話しているわけではないのは理解しています」

 許が穏やかにそう言うと、音葉は厳しい表情で反駁する。

「人間にここまでの遺伝的な操作をほどこす実験なんて、通常では考えられません。新田さんはこの個体が人道的な処遇を得られるよう保護を求めて連れてきたと言っていますが、そもそもこんな実験をしていたCeRMSはどうなっているんです? チームリーダーは新田さん自身のはずでしょう」

「……この解析の話、新田には」

「伏せています。脳科学と精神医学的な研究だけを行うことになっていますから。遺伝子解析にかけたのは私の一存です」

「どうしてそんなことを」

 音葉はかるく首を振って髪を払うと、目を伏せて言葉を継いだ。

「……知りたかったんです。どうして新田さんがHI-44にあんなに執着するのか。必ずなにか見えないところに秘密があるはずだと……。すみません、勝手なことをして」

 そううなだれる音葉を無言で見つめる許の背後から、大きな足音をたてて白衣姿の佐原が駆け込んでくる。

「音葉! 新田さんいる? ヒカリは?」

「どうしたの」

「とりあえず二人とも隠して! CeRMSから人が来ちゃったんだよ」

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