第七話:浄滅部隊


 夜明けも過ぎ、すっかり日も昇るころ。ビル街を抜けて町の中心部にやって来たススムが見上げる先に、ようやく目的地の病院が見えて来た。


「あれか」


 建物の規模は橋向こうの排他的だった病院と同程度だが、割と見栄えの良かった向こうと比べて、スス汚れの目立つ外観は随分と年季が入っている――というか、ぶっちゃけボロッっちぃ。

 しかし、屋上で大量の洗濯物がヒラヒラしている光景は、そこに大勢の生命の存在を感じられて、少し安心する。

 そんな生活感にあふれる病院施設の周囲には、建物をぐるっと囲むように様々な形のフェンスでバリケードが組まれている。全体的に低めで視界が開けているせいか、あまり物々しさは感じない。


 出入り口の前までやって来ると、開閉出来そうなフェンスの向こう側に、落ち葉の掃除をしている白衣の老人が居たので声を掛ける。


「すみません。病院に届け物があるんですけど、ここ通れますか?」

「あぁん?」


 箒とチリトリを手に振り返る白衣の老人。

 ニット帽とマスクで顔を隠し、血の痕が黒く染みつくヨレヨレのコートを纏う男が、死屍累々な血塗れの男達をリアカーに乗せてやって来た、という光景に目を丸くしている。


「そりゃ~、お前さんがやったのかね?」

「ええ、まあ」


「ほぅー?、また派手にやったもんだ」


 ほっほっと笑った白衣の老人は、病院の正面玄関を護るフェンスの鎖を解いて、ススムと怪我人を招き入れた。



 玄関前に設けられたテント張りの診察室にて、ふむふむと怪我人の容態を診る白衣の老人。里羽田さとはたと名乗った彼は、この病院の院長であった。


「まあ全治一ヵ月から半年というところかの」

「そうですか」


「して、彼等の治療費はどうするね?」

「知りません」


 本気で言っているのか、冗談で言っているのかは分からないが、今のススムは戯れ言に付き合えるほどの気力も沸かない心境にあった。

 自身の倫理観に著しく反する行為を目の当たりにし、憤りに任せて力を振るった結果である。


 暴力に頼った事を、悪いとは思っていない。あの場面では、殴り倒す以外の選択肢は無かったとススムは考える。

 しかし、圧倒的な力で悪漢を叩き伏せたとしても、それは本質の解決にはならず、決して気持ちの良いものでも無かった。被害者が救われる訳でもない。

 解放した彼女達の、まるで死人のような虚ろな目と、恐怖の交じった表情で「ありがとうございました」と謝意を呟かれた時の、何とも言えない居た堪れなさに、ススムは少々へこんでいた。


「なーんじゃ、若いのに擦れとるなぁ」

「怪我人はついでに運んで来ただけで、本来の用件はこれを届ける事ですから。治療費が必要なら、本人達か『神衰懐』の事務所にでも請求してください」


 ススムは「ノリが悪いぞ」と文句を垂れている里羽田院長にそう言いながら、バックパックからアタッシュケースを取り出した。


「なんじゃ? そのシンセカイというのは」

「何かスピリチュアルなカルト集団みたいです」


 簡易寝台に寝かされた『神衰懐』の重症構成員が「ちげぇ……」とか呻いている。彼等の抗議をスルーしたススムは、適応者であったリーダー篠口の事も適当に説明しておいた。

 ちなみに、ススムは怪我人をリアカーに乗せる際、アジト前の道路まで吹き飛ばした篠口も探したのだが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。


「ふむ……まあ、それはさておき、本来の目的とな?」

「ええ、Atlas科学研究所っていうところで作られた、不死病に効く血清を預かって来ました」


「ほほう、あそこが作った血清か。それはまた大層な物を運んで来なすったな」


 里羽田院長はそう言って目を細める。飄々とした医者のお爺さんという印象だったが、その仕草には何だか古強者的なオーラを感じた気がした。


(やっぱ病院関係者には知る人ぞ知る、みたいな組織なのかな?)


 ススムは、一番最初に地元の病院に届けた時、年配の医師がアタッシュケースに埋め込まれたAtlas科学研究所の刻印に反応していた事を思い出した。


「うむ。まあ入りなされ、中身は部屋で確かめよう」

「あ、でも俺、感染してるんで……」


 橋向こうの病院での出来事もあってか、施設内に入るのを遠慮しようとするススムに、里羽田院長は適切な処置を取っていれば感染の危険は無いと言って入館を促した。


「それだけしっかり厚着で固めておれば問題無いわ。今のところ、空気感染は認められんしな」


 裸で転げまわったり、そこらへんに体液を飛ばしたり、誰彼かまわずチューしまくったりしなければ大丈夫だそうな。

 色々酷い例えに、ススムは思わずツッコむ。


「変態ですかっ」


 しかし確かに、篠口は厚着もしておらず、人との接触にも気を使っていた様子は無かったのに、彼の部下達に感染者は出ていなかったように思う。

 近くにいるだけでは、そんなに簡単に感染しないのかもしれない。直接肌に触れ合わなければ、手袋とマスクでも十分感染を防げるようだ。


「お前さんのマスクも随分くたびれておるようだし、新しいのを用意しよう」

「ありがとうございます」


 ススムは里羽田院長の好意に甘える事にした。



 外観こそ煤けてくたびれてはいたが、廊下や病室は清掃も行き届いて清潔に保たれており、賑やかな院内は人々の表情も明るかった。平和な空気に気持ちが和む。

 自宅で目覚めてからここまでの道中、比較的に暗い顔ばかり見て来たススムは、少し癒された気分になった。


「ここは、何だか明るいですね」

「ああ、太陽光発電を取り入れておるからな、電気は使い放題だ」


「いや、そっちじゃなくて……」

「ほっほっほっ、人々の笑顔は良いもんじゃろ?」


 屈託のない笑みは人の心を癒し、環境を明るくする良い特効薬だと笑う里羽田院長に、ススムも同意した。


 院長室に設けられた応接間でアタッシュケースを受け渡す。ススムは中を見るのは初めてだったが、高級そうな布地に細長いアンプルがずらっと埋まっている。端の方に5本分ほど窪みがあった。


「最初に持って行った病院は、そこの設備で精製出来るって言ってました」

「ふむ、設備の整っておるところでなら可能だろうが、うちでは無理っぽいなぁ」


「それなら、その血清はここで全部納めて下さい」


 ススムが血清を届けて回っているのは、元々黒田に頼まれて届けた最初の病院で、他所の病院にも届けて欲しいと言われたからである。

 その事を相談するつもりだった黒田が死亡してしまった為、彼の意思を受け継ぐ形で、こうして遠くまで足を運んで来たのだ。


「地元の病院で増えた分もそのうち広まるでしょうし、黒田さん以外にも血清を届けてる人は居たと思いますしね」

「確かにの。恐らく政府関係者には真っ先に届いておるだろうな」


 日本に限らず、海外でも不死病対策は進められているはず。まずは身の回りの安全を確実にする事から、全体の復興に繋げられる。


「よし、分かった。この血清は責任を持ってうちが預かろう」


 少なくともこれで、ススムの地元とこの中洲地区からは不死病の脅威を拭いされるはずだ。橋向こうの病院にも、医療関係者のネットワークを通じて届けられるようになるだろう。


(あそこも設備はしっかりしてそうだったしな)


 今は世界中が音信不通の状態にあるが、その内きっと復興の兆しは見えて来るに違いない。

 環境次第で気の持ち様も変わるのか。ススムは、自分が適応者という感染者である事を差し引いても、世界の明るい未来を想像出来て、何だか希望が湧いてきた気がした。


 その時、院長室のドアがノックされ、看護婦さんらしき女性が来客を告げた。


「先生、外に機動隊の方々がお見えになってますけど」

「なんじゃ、今日は来客の多い日だな」


 里羽田院長はそう言ってアタッシュケースの蓋を閉じると、院長室の金庫に保管する。ふと気になったススムがおもむろに訊ねた。


「機動隊? この町って、警察が動いてるんですか?」

「うんにゃ、警察署あそこは署員が出払っとる隙に放火されて、焼けたまま放置されとる」


 複数のグループによる犯行らしく、火炎瓶やら手製の発火装置が投げ込まれ、消火に来た消防車も組織的に足止めされるなどしたらしい。結局、犯行グループの特定はされていない。


 当時は町の住人も自分達が生き延びる事に精一杯で、警察の管理誘導や状況把握の調査にあまり協力的ではなかった。

 独自に行動する自警団がいくつも結成され、警察の治安維持活動や援助要請にも応じないグループが増えていく中で、警察署の放火全焼。

 それでヘソを曲げたのか匙を投げたのか、この地区周辺で警察関係者の姿を見る事は無くなったという。


「ええー……なんすかその世紀末感あふれる流れは……」


 と、さっき湧いた希望が早くも零れかけているススム。ほっほっと笑った里羽田院長は、それでも機能している他所の町の警察署からは、時々様子を訊ねに来る私服の警官が居たと明かす。


「そろそろこの町の警察も復旧したと、いうところかいのう」


 とりあえず、出迎えに行こうかと席を立った里羽田院長に、ススムも続いた。



 出入り口のフェンス前には、テレビ等でもよく見慣れた機動隊装備の集団が整列して立っていた。少し違うのは、あの特徴的な盾の代わりにクロスボウやアーチェリーを装備しているところだ。

 後ろの列には、見た目が火炎放射器っぽい高圧放水器インパルスを装備した隊員も並んでいる。


「お疲れ様、この病院の院長をやっとる里羽田です」


 里羽田院長は、穏やかな笑顔でそう挨拶しながらフェンスの前まで行くと、部隊長らしき先頭の機動隊員に訊ねる。


「今日はどうしましたかな?」

「野木総合病院所属、施設警備隊『浄滅隊じょうめつたい』隊長、常呂谷ところたにです」


 警察の機動隊では無く、病院所属の施設警備隊を名乗った常呂谷隊長は、ここに対不死病の血清を持った異常感染者が訪ねて来たはずだと前置きすると、自分達はその回収に来た事を告げる。


「血清を引き渡して頂きたい。異常感染者が持ち込んだ火器がある場合、それも回収します」

「あぁん? なんじゃい藪から棒に」


 常呂谷隊長の高圧的で無礼な物言いに眉を顰める里羽田院長。そのやり取りを聞いていたススムは、例のシャッターを壊してしまった病院じゃないかと気付く。


 すると、常呂谷の傍らでセンサーっぽい機械を正面に向けていた隊員が、機械の先端をススムの方に向けながら言った。


「隊長! 発症者反応確認しました! 奴がそうです」


 威圧感溢れる機動隊装備の施設警備隊、『浄滅隊』の隊員達から一斉に視線を向けられたススムは、思わず「え? 俺?」と怯む。


「目標確認、これより血清の回収に当たる」


 常呂谷が合図をすると、整列していた隊員達が攻撃態勢っぽい陣形を組んだ。クロスボウやアーチェリー、高圧放水器がススムに向けられると、見兼ねた里羽田院長が割って入った。


「わしの病院で勝手をするな! 血清はうちが預かっとる、譲って欲しくばそっちの院長から頭下げに来んかい!」


 筋を通せと一喝する里羽田院長に、常呂谷はヘルメットのバイザーを降ろしながら言う。


「我が野木院長は偉大な指導者たるお方だ。もう一度言う、血清を渡せ」

「あぁん? お主、正気か?」


 まるで狂信者のような言葉を口にする常呂谷に、胡乱げな視線を向ける里羽田院長。すると、常呂谷はちらっと後方の隊員に視線をやり、少し頷く。


「ええい、話にならんわお主ら。とにかくいっぺん上司に話して出直して来い。帰れ帰れ」


 しっしと手を振った里羽田院長は彼等に背を向けると、ススムを促して病院内に戻ろうとする。その瞬間、ボンッという音がして里羽田院長の身体が宙を舞った。


「なっ!?」


 大量の水飛沫と共に吹き飛ばされて来た里羽田院長の身体を、ススムは咄嗟にキャッチした。玄関で様子を見ていた患者や看護婦達から悲鳴が上がる。どうやら高圧放水器で撃たれたらしい。

 さらに、浄滅隊はフェンスの鎖を切断すると、敷地内に入って来た。


「おい、あんた等なに無茶な事を――ぶわっ」


 浄滅隊を振り返って抗議の声を上げたススムに、水の塊が撃ち込まれる。顔面直撃で仰け反るも、両腕で抱えた里羽田院長は落とさなかった。


「適応者とか言ったか? 抵抗は無駄だ。大人しく血清を渡せ」


 そう言って、常呂谷は警棒型スタンガンをとんとんと手で弾ませる。ススムは、駆け寄って来た看護婦に里羽田院長を任せると、浄滅隊を名乗る無法者に向き直った。


「……あんた等なぁ……」


 怒気の籠もった目で睨み付けるススムを、冷ややかな目で見下ろす常呂谷隊長。


 血清がこの病院にある事は分かっている。ならば、この異常感染者に用は無い。速やかに処理して血清を入手し、野木院長にお届けせねばなるまい。


 そう結論を出した常呂谷は、部下達に合図を送った。


「殲滅しろ」


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