第8話 イギリス

 彼らはイギリス人だ。

 直弼達は直ぐに理解した。イギリス人たちのおかげで、さっきの髭の荒々しい男どもに蹂躙されずに済んだ。

 イギリス人たちは、オランダ人たちが着るよりも高価そうで動きやすそうな服に身を包んでいた。白色の制服と紺色の帽子をかぶり、一糸乱れぬ行動をとるイギリス人。先ほどまで略奪を受けていた、統一性の無い色の着物を着、何かおかしな鎧を着ている直弼たち。どちらが野蛮人でどちらが文明人なのか、説明は要らないであろう。

 制服の集団の先頭に立つ男が直弼たちに向かって大きな声で話しかけた。男は大佐と呼ばれる役職の持ち主で、よく見ると統一性のある紺色の帽子の側面に付いている小さな星の数は一人ひとり違っていた。大佐と呼ばれる大声を出した男の帽子には5つの星がついている。

 大佐が何やら話しかけているが、直弼たちには何を言っているか分からない。

 呆然としている直弼たちの横から香が声をあげた。

「オランダ語ならば話せます。どうかオランダ語で話していただけないでしょうか。」

 香の透き通るような綺麗なオランダ語がイギリス人の船内にも響き渡った。すると、大佐の隣に星を4個付けた老父がやって来た。老父は丁寧なオランダ語で香たちに話しかけてくれた。

「大変失礼いたしました。では、これより私がジェームズ大佐の言葉をオランダ語に通訳させていただきます。」

 そう言って、老父は大佐が口に出す言葉を流暢に訳していった。

「私たちは、イギリス女王、ヴィクトリア様の命令で海洋都市カルカッタと周辺の海域を守る海軍である。先ほどの野蛮な連中は、最近このあたりを根城にした海賊どもであり、非常に逃げるのが上手な連中である。さて、あなた方はこの辺りに沈んでいる小舟や大舟の親玉のように見えるが間違いないか。」

 鋭い堂々とした眼差しが直弼たちに向けられている。香は船内にいる者たちに聞こえる大きな声で、老父から聞いたオランダ語を日本語に訳し伝えた。腰を落とした直弼はまだ立ち上がれずにいた。

 弥太郎は香に自分が日本人代表として話すことをオランダ語で伝えて欲しいと言った。香は大きく頷き、横で話す弥太郎の言葉をそのままオランダ語に訳し話し始めた。

「そうです。自分たちは日本という国の端にある、マラッカと呼ばれる都市から、交易を広げるためここまで航海をしてきました。恥ずかしいことに海賊という連中に蹂躙されこの有様です。あなた方が来ていなければ私たちは殺されていたでしょう。助けていただき本当にありがとうございます。」

「野蛮な海賊たちを取り締まるのが私たちの勤めだ。よって感謝等は不要だ。だが、マラッカという名の都市は聞いたことがない。一体どこにあるんだ?」

「ここから東に20日ほど船を進めた場所にあります。」

「20日。それは随分遠い場所にあるんだな。」

弥太郎は慎重に言葉を選んでいる。詳しいことを話しすぎて、マラッカにイギリス人が攻め込んでは欲しくない。かと言って、誤魔化すようなことをしては信頼を失い、下手すれば殺されると思った。相手の目的や価値観が分からない。様々な憶測が頭の中を駆け巡り、一つ一つの言葉を紡いでいる。ギリギリの綱渡りをしている弥太郎だったが、その姿勢は堂々としていた。

 ジェームズ大佐は弥太郎や香はもちろん、船内のあらゆる人間を観察していた。掠奪されたすぐ後にも関わらず腰を落としている人間が少ない。涙している者は多いが発狂している人間は少ない。あらゆる国を見てきたジェームズにはこの船の国民が高い民度を持っていることが分かった。

 中でも対面し話している青年と通訳の女性が素晴らしかった。浅黒い顔をした目尻の上がった細長い目をした青年は如何にも切れ者の風貌だった。

 海賊に襲われるなど予想外の事態だったに違いない。突然のハプニングの後にも関わらず、堂々と船の代表者としての意見や考えを話してくれている。だが、警戒されているのか、出身国の正確な位置や国力は教えてくれない。しかし、その抜け目のなさを逆にジェームズは気に入った。

 そして、通訳の女性は目を見張る程の綺麗な貴婦人だったが他の乗組員たちとは違う民族だと分かった。

 

 ジェームズ大佐と呼ばれるこの男、本名はジェームズ・マクドナルド。ヴィクトリア女王の遠い親戚にあたる。祖母は性奴隷としてイギリスに連れてこられたアフリカ人だ。黒人の血が混じるジェームズは純粋なイギリス人と違い肌の色が少し黒かった。18世紀末頃のイギリス社会では当然のように、肌が黒いだけでジェームズは幼いころから辛い思いをしてきた。女王の遠い親戚のため、そこまでひどい扱いは受けなかったが、この辛い経験がジェームズ大差を屈強な男に変えていった。

 大佐は18歳の頃、イギリスの海軍少尉となり、国を守ることを命じられた。以来20年間、スペインやアメリカに行き、イギリス商船を護衛する任務を行ってきた。

 そしてオランダとの東南アジアの覇権争いを見据えた女王が、2年前、右腕のジェームズ大佐をカルカッタに派遣した。

 海軍として様々な民族や国を見てきたジェームズは、目の前にいる日本人という民族の文化水準を推し量ろうとしていた。一騎の海賊船に瞬く間に大船団が蹂躙される程度の力しかない民族だと最初は侮っていた。しかし、生き残った船の船員達を見て思った。彼らは国の正式な軍隊ではないことを。

 日本人は皆とても若かった。血気盛んな20歳前後の男女だった。弥太郎と名乗る代表者の話をまとめると、彼らは冒険心を抑えられず、20日間の航海を経てここまで来た。

 「20日間、荒れ狂う日もあるインド洋を、知的好奇心だけではるばる乗り越えてきた。そして、他言語を自在に操る乗組員もいる。男女分け隔てなく役割をこなし、少数派に属するはずの民族の女性が、高貴な衣装を纏い、通訳士として働いている。この日本人と名乗る若者たちを少しは尊敬してもいいかもしれない。」

 ジェームズは考えていた。

 今までたくさんの国を訪れたが、少数派民族を奴隷にする野蛮な民族ばかりだった。いや、自分たちイギリス人も似たようなことをやってきているが、それでは国は発展していかないことを薄々国民は気づき始めていた。

 目の前のボロボロの日本人は自然体で少数民族を受け入れている。もしかすると、イギリスが500年かけて行ってきた奴隷制度を見直す良いきっかけになるかもしれない。ジェームズ大佐は考えた。

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