第5話 男の性

 直弼たちに小さな綺麗な巻物を見せ、目の前で広げた。広げた巻物は5尺ほどの長い紙になった。長い紙には船の位置関係や誰がどの船に乗り込むか書かれていた。4500人分の名前の横に船の名前が書かれている。家族構成や地域特性、健康状態や年齢、性別を意識し乗船場所と乗船後の役割が事細かに書かれていた。それを見せながら、丁寧な優しげな口調でに直弼たちに説明した。そして、最後に大きな間をあけて、自分が大将のふりをして大型船に乗り込み指揮を執ることを話した。

 弥太郎と香は黙ってナーの話を聞いていた。しかし、直弼一人だけが驚きの声をあげた。

 「ならん!わしがこの部隊の大将だぞ!大将たるもの皆の見える場所で堂々と構えておかねばならん。なぜお前の影に隠れなきゃならんのだ!」

 直弼は怒った。この短絡的な男は、ただ何となく、自身の武士道精神に反したので驚いた。怒った声を出したのはナーを少し心配してのことだ。だが、自身の感情を上手くコントロール出来ず、少し強い口調になってしまった。

 直弼の性格を熟知しているナーはサラッと受け答えした。

 「そんな怒ることじゃ無いですって。ちょっと今回は用心しておいた方が良いかもなぁって思ってね。ね!今回だけ!」

 ナーはおどけた顔で取り繕う。少しバカっぽく見せとく方がこの案を吞んでもらえると直感した。直弼はブツブツと口を動かし眉間に皺を寄せている。

 弥太郎と香は黙って二人のやり取りを見ていた。仲裁に入るとナーの案は通らなかっただろう。直弼以外の3人は皆、もしものことを常に考えている。何事もなく無事に辿り着くのは難しいと思っていた。


 最近の香は町に来るオランダ商人達を誘惑し、インドの情報を集めていた。昼は直弼の世話人として仕え、夜になると娼婦を営むこの妖艶な女性は、あらゆる情報に精通していた。直弼に声をかけてもらうまで、娼婦になるしか一人で食っていけなかった。昔は下賤な男客ばかり相手にしていたが、直弼から衣服を、弥太郎からは教養を与えられたことで高貴な客から好まれるようになっていった。今では空いた時間に少し娼婦業を嗜み、外国の貿易商や町の権力者の動向を監視している。綺麗な女の前では嘘を付けない。それどころか、つい心に秘めた大きな野望を口にしてしまう。男の悲しい性を香は女スパイのように思う存分利用した。無論、弥太郎には誘惑なんて通じない。直弼に至っては、別に誘惑なんかしなくとも臆面なく自分の話をする人だった。このアンバランスな二人が香はとても好きだった。

 香は最近懇意になったベンというオランダ商人の夜の相手をしていた。一通り相手が気持ちよくなった後、この日本人町から西のことを教えて欲しいと甘えてみた。ベンは得意気に話し始めた。

 「この町から西にはインドと呼ばれる陸地がある。インドにはかつて大きな王国があったが、イギリス人と言う名の悪魔がそれを滅ぼした。イギリスのことを英国と呼び、自分たちのことを英国紳士なんて言ったりする。

 「紳士なのに国を滅ぼしちゃうの?」

香りは頬を赤らめ胸をベンに摺り寄せ、興味を示した。

 「あー。イギリス人は自分たちと自分たちを尊敬し敬う姿勢の奴らにだけ紳士なんだ。」

 「へー。随分勝手な男たちね。でも、私は素直な男性って好きよ。どんな人たちか会ってみたいわ!ねぇ、どうやったら会えるの?エイコクシンシに」

 「マラッカから一番近いインドの町はカルカッタと呼ばれている。右に大陸を見ながら船をマラッカから出航させると20日間程で着くぞ。」

 「へー。簡単に着くの?」

 「簡単な訳ないだろ。着くまでに20日間だぞ。雨が降れば進行方向が分からないうえに波が高いから転覆しそうになる。船の右手に常に陸地が見えるようにしてゆっくり着実に進まないといけないんだぞ」

 「右手の陸地に船を停めて休憩したりはしないの?」

 「右手の陸地は崖のように切り立ってる。カルカッタに着くまでは安心して船を停められないんだよ。」

 「ふーん。そうなのね。」

 今まで話してくれたことは半分しか理解出来ていないわと艶めかしい顔をした香はオランダ語で話すベンに抱きついて夜の続きを楽しんだ。幼い頃から娼婦として異国の男性を相手にしている香はベンの話していることを正確に理解できた。初めは夜の言葉しか分からなかったオランダ語だが、25歳になった香には容易く扱える。だが、娼婦を営んでいるときはオランダ語が大して分かっていない馬鹿な女のふりをしておくことにしていた。ただ、純粋に何も分からず頷くだけの女の方が、夜の男性は難しいことや重要なことを喋りやすかった。

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