第4話 父子

 弥太郎たちが餅を食べている頃、父は直弼を呼びつけていた。理由はもちろん例の計画を直弼自身から聞くためである。

 直弼が父の部屋に呼ばれるのは10年ぶりだった。10年前の15歳になった日も今日と同じようにぶっきらぼうに唐突に父に呼び出された。威厳ある父親は直弼は幼いころ苦手だった。15歳のときも25歳の今もそれは変わらない。15歳で呼びつけられたときは、これからは成人だから分別を持って行動し信頼できる家臣をつくれ等等、堅苦しい説教を延々と聞かされたのを直弼は覚えている。今回の呼び出しも何か諭されるのではないかと身構えた。

 10年ぶりに父の部屋に入った。父は部屋の奥に座り、茶をたてていた。父の目の前には座布団が一つ置かれていた。そこに座れということだろう。部屋の中央に座った。10年前と違い、父も老けて小さくなったなと思った。部屋を見渡す余裕が直弼に出てきた。部屋は書院造で茶器が数点並んでいるだけの質素な造りだった。地球儀やらピストルやら異国の珍しいものが無造作に置かれている自分の部屋との違いに少し戸惑った。


 目の前の父がなれた手つきで茶を直弼と自分の前に置く。茶をすすりながら静かに父が話しかけてきた。

 「直弼よ。何やら面白い考えがあるみたいだな。教えてくれんか。」

 「はっ。マラッカより西の海に出て東インドと呼ばれる土地でイギリスと国交を結びたいと考えております。」

 「ほう。それはまた大胆な話だ。イギリス人は凶暴らしいぞ。」

 「はい。もし、交易が困難な場合には、彼らの戦力を把握した上で一度マラッカに引き上げます。情報を日本中に共有し、来る戦争に備えたいと考えます。高度な凶暴な文明国を野放しにしておくのは危険です。必ずいつか東南アジアの覇権を巡り、我らと争うことになってしまいます。」

 3週間前に弥太郎に持ちかけたときとは随分考えが変わっていた。弥太郎に上手く修正されていた。参加希望人数や船や食糧のこと等、ナーと香からの情報を付け加えて父に説明した

 父、直中は立派になった息子を肌で感じ涙が出そうになった。

 西の大国、インドをイギリスが奇妙な悪魔を使い滅ぼしたことを直中は知っていた。直中は悪魔等信じていない。ただ、インド帝国が滅びたことは気がかりだった。いずれ日本にも来るだろう。それまでに何か手を打ちたかったが、まだ何かするには情報が少なすぎた。

 息子の直弼は昔から威張り散らかす癖があり、失敗するとすぐ誰かの責任にしていた。そんな子だから、武士の子供が7歳になってから通う学校に行っても友達が出来なかった。唯一仲良く話しているのを見れたのは2個下の、それも召使いの弥太郎だけだった。そんな将来に不安しか無かった息子が今は一人前になっている。直中は面白いことになるかもしれないと、久しぶりに胸が高鳴る思いになった。

 「そなたの考えは実に面白い。存分に自分のやりたい様にすればよい。だが、決して無茶はするな。逃げ帰ることは恥ずべきことだ。命を持ち帰ることこそが功名の種になる。」

「わかりました。父上。」

 直弼は父に意見を言い、認めてもらえたのは生まれて初めてだった。威厳があった父が老いたとは言え、対等な立場で会話を出来たことが嬉しかった。

 今にも飛び跳ねそうな気持ちを抑え餅を食べている弥太郎たちの元に戻って来た。

 名君、直中はこの話を息子以外の者から聞いたらどう反応したであろうか。恐らく止めたのだろう。と、弥太郎は思っていた。勿論、直弼はそんな風に頭は回らない。ただ、父に認められたことが嬉しかった。


 マラッカの暑さは日毎に和らいでいき、町には煤が舞っていた。町人たちが笹竹を道具とした煤払いで家の煤や埃を払い、正月に神様を迎える準備をしていた。

 神様とはどんな存在か家ごとの信仰する宗教によって異なる。キリスト教やイスラム教であればイエスやアラーであろう。日本人や現地の人間にはそれぞれ信仰してる神様がいる。

 マラッカの日本人町は宗教に寛大だった。信仰心が異なる理由で争いを起こさなければ何を信仰しても良かった。これは井伊家独特の統治方法であった。中には井伊家自体が神の使いであると信じる者までいた。井伊家は10世代以上にわたって、この日本人町を上手くコントロールしていた。悪いことは悪い、良いことは良い、と物事をなるべく単純明快に分けるのがこの町の習わしだった。そうしなければ、ただの無造作な密林が広がっていたこの土地を人が安心して暮らせる町に出来なかったのだ。

 良い人材や良い考えは積極的に取り入れた。東南アジアの原住民を差別することなく、彼らのために学校を建て、読み書きを教えた。本土からは他藩であっても、井伊家の財力を使い、多額の報酬で召し抱えた。それらが複雑に相乗効果を生み出し、マラッカを世界有数の都市国家へと成長させた。


 今年の町民の中には毎年恒例の煤払いだけでなく、武器を磨き、洋服を仕立て直す者が大勢いた。直弼の計画が新年を迎えた7日後に実行されるからだ。出航の日にちも弥太郎が決めた。正月が明け、落ち着いてから大イベントを持ってきた方が士気が高まり易いと考えたからだ。弥太郎は計画成就のために常に知恵を働かせていた。弥太郎からすれば心配事は枚挙にいとまが無い。中でも1番の心配事は動かせる大型船が思った以上に少なかったことだ。


 小型船などいくらあっても海戦では役に立たない。確かに訓練された小型船部隊ならば、戦闘になった際に敵の横から奇襲をかけたりすることが出来ることはナーから聞いた。しかし、寄せ集めの烏合の衆では厳しいだろう。インドに到達するにはインド洋と呼ばれる海を横断する必要があるが、波が高くなると小型船は操縦が効かないかもしれない。小型船の何隻かは無事に到着すら出来ないことを弥太郎は念頭に置いた。本当は何隻か大型船を建造してから出航したい。だが、井伊家の年寄り連中は皆この計画に反対だった。年寄り連中はこの計画のために船を作ることを許してくれないだろう。それに、船が完成する1年もの間に町民達の熱が冷めてしまえば、参加者が減り、さらに成功確率が下がる。このため弥太郎は、比較的海が穏やかで士気の高まる1月7日に決行することにした。

 ナーも外海のことを調べれば調べる程、計画の成功に懐疑的になっていった。この男勝りだが目鼻立ちのはっきりした美しい少女は、祖父のおかげで中国大陸の兵法に精通していた。弥太郎と同じく大型船の少なさに気を揉んでいた。だが、やると決めたからには成功させなければならない。失敗とは死を意味するのだから。ナーは船団の先頭を大型船にすることに決めた。その後ろに中型船3隻を横一列に並べ、大型船と中型船を目印にして小型船は航海する。そして、直弼には真ん中の中型船に乗り込んでもらう。もし、海賊に襲われるようなことがあった際、真っ先に狙われるのは立派な大型船だと考えたからだ。もちろん、弥太郎と香には直弼と同じ中型船に乗り込んでもらう。だが、大型船に直弼という大将自身が乗らなけれ士気は下がるだろう。だから、自分が直弼のふりをして大型船に乗り込む。鎧を着込めば町民達ならば直弼だと騙せると考えたからだ。それに、もし本当に戦闘になったときは自分が指揮を取った方が良いだろう。

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