凪の想像

「うん。なみちゃんが帰ってきたの。相変わらず、読書魔か、本の虫か。ちょっとオシャレしたらモテると思うんだけどね。DNAは私と同じなわけですし。あ、そうなったら、アンタが困るか」

 姉の波が書店から帰ってきて、階段を登っていった。その時、私──なぎは、同級生の幼馴染、あきらと通話中だった。

『そ、そんなことないです……よ?』

 晶の上擦った声が、面白い。

「そうお? ワタクシ、かなり交際のお話を頂きますことよ。波ちゃん流されやすいから、そうなったら、直ぐ彼氏が出来ちゃいます……ことよ」

『それよりさ、もう直ぐ、波の誕生日だろ? 何をプレゼントしたら良いかな?』

「私も誕生日なんですけど」

『分かってるって』

「晶君さ、波ちゃんのどこが好きなの? 顔? 身体?」

『凪さん、人間は見た目だけではないんですよ』

「でも、まずは見た目でしょう?」

『イケメンを取っ替え引っ替えしてる、凪さんが言うと説得力ありますね。まあ、見た目も大事だとは思います』

「はあー、晶君は私のこと、イケメンを取っ替え引っ替えなんて思ってたのかー。傷心中の乙女心が傷付きますわー」

『謝らんぞ。事実じゃい』

「私、今、フリーですぜ」

『僕が好きなのは波なので』

 ──色は匂えど、散りぬるを

 どんなに美しい花も、いつかは散ってしまう。恋愛もきっとそう。付き合いと別れを繰り返している私は、それを知っている。

「ちっ。とっとと別れちまえ」

『まだ付き合ってませんけど⁉』


 私は波の部屋へ向かう。予定では、私と晶で、波の誕生日プレゼントを買うことになっている。その場に波も連れてきてあげよう。晶のやつめ、誕生日プレゼントくらい、本人に聞いたらいい。

「波ちゃーん、お昼ご飯、どこか食べに行かない?」

 波の部屋の扉を開ける。彼女はベッドの上で逆立ちをしていた。

「うおっ、凪ちゃん⁉」

 波がバランスを崩して、ひっくり返った。天井にお尻を突き出した格好になる。

「何やってんの」

 私は波のお尻を叩いた。目の前に尻があると叩きたくなる。

「ちょっと、考え事を」

「逆立ちして?」

「逆立ちすると、思い付くかもしれないし」

「いや、ねえよ」

 と口に出して、もしかしたら、と思った。彼女はやっと、晶の好意に気付きはじめたのでは、と。

 まだ、疑いの段階なのだろう。本当に好きなのか? こんな素っ頓狂な姿で、思考にふけていたのも、それが理由なら頷ける。

 私は自分のニヤニヤした表情をぐっと抑えた。

「波ちゃんは、何を悩んでいたのかしら? ほら、話してみ」

「えっとね……」

 波が話し始めたのは、本当にくだらないことだった。彼女が書店で目撃したという、背表紙が塗り潰された文庫本の話は、私の琴線に全く触れない。

「この状況に対して、どうにか説明をつけられないか、考えていたというわけです」

 私は、数年前に放送されたあるドラマを思い出していた。旧家のお嬢様と貧しい学生が恋に落ちるという、有りがちな設定の話だった。

「波ちゃん。そのどうでもいい疑問、私が解決したら、言うことを何でも一つ聞く。約束できる?」

「解決できるの?」

「多分、ね」


 *


 数年前に見た恋愛ドラマでは、お嬢様と学生が会っていたことが、お嬢様の父にばれてしまい、身分の差を理由に、彼らが顔を合わせることを禁止してしまう。それでも、お嬢様は学生と密かに会っていた。やがてお嬢様の家に仕える侍女が、それを父に密告する。憤慨した父は、侍女に、お嬢様に一日中見張るよう言い付ける。しかし、お嬢様は見張られていることにいち早く気付き、侍女が分からない方法で、学生と密通するようになる。

「なぜ、本の背表紙が塗り潰されていたのか。それを説明するには、この本の裏で、何が行われていたのかを分かる必要があるの」

なぎちゃん。それが分かれば、私は逆立ちなんてしてないよ」

「いい? なみちゃん。いくら逆立ちしても、分からないものは分からないのよ。この謎をそのままの文で考えている間はね。でも手掛かりはある。だって、どうやって、犯人達は店員の目の前で本に落書きしたの?」

「凪ちゃん。それは、私も不思議に思ってたんだ。犯人が本に落書きするのに、わざわざ店員の目の前を選んだのはおかしいし、店内は監視カメラで隈なく見張られているんだから、犯人が怪しい行動をしていたら、店員は分かるはずなんだよ。店員が落書き犯に気付かないというのはあり得ない。たとえ、落書き犯が逃げおおせたとしても、警察を呼ぶはずで、そうなると本は証拠品として押収される。だから、棚に本が残っているということは、店員は塗り潰された本に気付いていないということになる。私の推論はここ矛盾してる。

「そこまで考えて、どうして気が付かないのかしら? 矛盾を解消する唯一ゆういつの解答は、。これしかないわ」

「気付いているのに、気付かない振りをしているってこと? どうして?」

「そう、結論を焦らないの。取り敢えず、このことから言えるのは、塗り潰された本によって、書店は不利益を被っていない、ということよ。犯人達は、書店内の本に落書きをしたのではなく、既に購入した本の背表紙を塗り潰して、本棚に入れたの。

 店員は犯人達がそんなことをした理由に同情したの。だから、本をそのままにしておいたのよ」

「同情……」

 私は恋愛ドラマのあるシーンを思い出していた。古書店を営む男が、密通する二人に憐れむシーンである。

「それで、犯人の目的なんなの? 店員が同情するほどの目的は?」

「まあ、慌てなさんな。彼らの目的を推理するには、どうして、背表紙を塗り潰した本を用意したのか考えればいいの。その理由は、店員や犯人達の目線ではなく、本を買う客の目線にならないと、分からないわ」

「本を買う客の目線? 何も知らない人達が、背表紙が塗り潰された本を見てどう思うか、ってことだよね。題名が読めない、とか?」

「まあ、間違ってはないけど。もっとこう、本を買う人の心理とかを考えてみてよ」

「心理?」

「新しい本を買うんだから、同じ本でも綺麗な状態の物を選びたいと思うのが、客の心理じゃないかしら。敢えて落書きされた本を買うような人はいないってこと。犯人達にとって、本が間違って誰かに購入されると困るのよ」

「そういうこと! ……どういうこと?」

「犯人達は、栞にメッセージを書いて、本に挟んでいるの。そうやって秘密の文通をしているのよ。誰かに本が購入されたら、メッセージが相手に届かないでしょう?」

 旧家のお嬢様は、古書店の本の中に、自分の本を紛れ込ませていた。その本に、貧しい学生へのメッセージを挟んで。古書店を営む男は、その様子に同情し、彼女の本に非売品のシールを貼るのである。

「家に交際を反対された二人が、それでも言葉を交わしたいと、密通をしている。これが真相よ。店員は、彼らに同情して、密通を行う場を残しているの」

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