遠い記憶の向こう
まる・みく
遠い記憶の向こう
介護士さんにゴーグルを付けて貰って、被り具合はどうですか?と聞かれたので、まぁ、普通だねと答えた。最初はデモ画面の青空だったが、「没入」が始まると、自分が幼い頃に遊んだ空き地に飛んだ。そこには高度経済成長時代の象徴である土管が並べられていた。工事が滞っていたのか、いつも土管が並べられていて少なる様子はなかった。大人たちは危ないからと柵をで囲っていたが、それは「僕ら」の秘密基地だった。土管を覗くと、ヒロシとヤッチン、カネオが先に来ていた。介護事務所の方で連携を組んでもらい、遠くに住んでいる昔の友人たちに端末を渡して、この秘密基地に来ているのだった。ヒロシはアメリカのロサンゼルス在住、ヤッチンは近所の介護施設、カネオは故郷の自宅から「没入」している。
「おい、ヤッチン。オカベェはどうした?」と半ズボン姿に膝に絆創膏を張った少年に聞いた。「オカベェ、昨日、ポックリと逝ったらしい。心筋梗塞だったみたいだ。娘さんから、今朝、電話が来た。すみませんと言っていたよ」
「だんだん、少なくなるなぁ」はなたれ小僧のヤッチンは言った。
「だなぁ。去年はヒロコがいきなりだったからな」カネオは残念そうに、鼻を啜った。ヒロコはカネオの嫁さんで初恋の相手だった。雨の日に畑の具合を見に行って、主流の河川の溝から死体が発見されたのは翌日の明け方だった。
「カネオ、寂しくねぇか?」と私は聞いた。子供のVR画像なのに、複雑な表情になって、カネオは言った。「慣れたよ。それしか、あんめいよ」
体や顔は子供なのに、言っている事は爺のそれだ。
「で、これからどうする。この秘密基地」とヒロシは昔のガキ大将の表情に戻り、喋り始めた。「いい加減、俺らも、年だから、散会するという手があるが」
「それは、ヒロコが逝った時にも言っただろう。ここを止めたら、俺らに何が残る」
「そうだな。儂なんか、寝たきりだから、身体を動く感覚を持てるのは、ここだけだからな」鼻たれ小僧のヤッチンの背後に介護施設のベッドが透けて見えた。
「じゃぁ、残った奴がこの土管の空き地に取り残されるが、恨みっこなしだぞ」とガキ大将のヒロシが決を取った。流石、大会社の社長だ。
「しかし、このシステムの契約を取ってデバイスを配りまくったオカベェが逝くとはなぁ」
「昔から、あいつはそうだっただろう。なんか、ヤバくなると、逃げるのは何時も最初はあいつだ」
ヒロシは大昔の悪戯で先生に怒られた事を憶えていた。
「ともかく、次ぎの日まで元気でいようや」
「えっ、今日は缶蹴りはしないのか?」
「最初に缶を蹴る奴が逝った。今日は止めようや」
「だなぁ」
「わしも今日はそんな気分になれねぇな」
「じゃぁ、次の日まで、みんな、元気でな」ヒロシは肩を落として、ログアウトした。
「今日は物足りねけれど、仕方ねぇべ」ヤッチンは鼻を啜りながら、ログアウトしたが、嗚咽の声が混じっていた。それは本当に老人の声だった。
「じゃぁ、元気でいろよ」野球帽を斜に被ったカネオが言った。
「今度、墓参りに行くよ、ヒロコの」
「無理すんな。お前も自宅療養中だろう。体に負担をかけるじゃねぇ」
カネオは悪ガキの顔に戻り、ログアウトしていった。
残された私は夕焼けにトンボを飛ぶのを眺めながら、ログアウトした。
「いかがでした?楽しまれました?」
自分の孫ぐらいの年齢の介護士の女性に聞かれた。サービスの具合を聞いているだけの通常勤務の過程のひとつだ。
どうしても、年を取ると意地悪になってしまう。
「楽しかったよ。昔の友達に会うのは楽しいものだよ」
それは半分、真実で嘘だった。彼女がこれが判るのはだいぶ先だな。
「それは良かったですね。」ケーブルを片付けながら、「私もこれのお世話になる時が来るのかしら」
「君ら使う頃は、もっと小さくなっているだろうさ」
通信デバイスを接続するシステムと一緒に、介護士の女性は帰って行った。
窓から、外を覗くとそこにも夕日があった。
眩しいのか、目から涙がこぼれた。
遠い記憶の向こう まる・みく @marumixi
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