この冒険を忘れないよ!

岡泳介

第1話

2010年7月上旬、薄木盾夫うすきたておは大学2年生の夏休み、旅行ヘ行きたいと思っていた。

「さぁ〜どこへ行こう?」

ポターブルゲームをしながら、行き先をあれこれ考える。

ゲーム画面は『海の向こうの街』ヘ向かう大海原を小さな舟で進んでいる途中だ。

『海の向こうの街』まであと少し。だが横から

敵の舟が弾丸を発射。盾夫たておの舟は沈んでしまい、またしても『海の向こうの街』ヘたどり着けなかった。

「今度こそ、たどり着けると思ったのにな!」

盾夫は悔しがった。

その時ふと、あの『海の向こうの街』の事を

思い出していた。

韓国·プサン。韓国では2番目に大きな街で、盾夫が住む地域ヘ向かって伸びている半島の南東部にある港街だ。下関港からは250キロくらいだが、フェリーだと10時間以上。一晩を船内で過ごすのでけっこうな冒険だ。

それと外国なので入国審査やらパスポートの準備など、いろいろと面倒。言語だって違うから、旅行用辞書や地図を準備して、ある程度のことばは覚えておいたほうが良いだろう!

『海の向こうの街』なら、ゲームと同じように船で行きたいと盾夫は思っていたし、ぜひ行ってみたいとゆう思いのほうがだんだんと強くなった。


約1ヶ月後、出発日がやってきた。出国審査を済ませ、船着き場には夕日を浴びたフェリーが、どしっとかまえているが、少しすると夕日は雲に隠れてしまった。

盾夫から何人か隔てた前を、麦わら帽子をかぶった、おしゃれな夏服姿の女の子が歩いて乗船しているが、大学生だろうか? まぁ〜船内のどこかで出逢うかもしれないな。そして盾夫も勇気を振りしぼって乗船。外国ヘ行くフェリーは初めて乗るのでけっこうな緊張感。やがて野太い警笛が鳴り響き、フェリーが動き出すと、盾夫の緊張感も最高潮に達する。

下関の街の照明がだんだんと遠ざかり、雲行きが怪しく、遠くで地鳴りのような雷鳴が聞こえる。

暗闇で覆われた大海原は波打ち、フェリーを揺らし始める。やがて稲妻が光り、激しい雷鳴とともに雨が強く振り始めた。

盾夫は震えながら急ぎ足で船内ヘ入った。明るい船内は少し揺れるものの外に比べれば心強い。

盾夫は歩いているうちに空腹を覚えたので食堂ヘ入って、サンドイッチとパンを食べると心が少し落ち着いた。

「少し休憩室でくつろいだら寝よう!」

盾夫は食堂から廊下を通って休憩室ヘ向かう。

盾夫がふと、乗船している時に見かけた、

麦わら帽子の女の子の事を思い出してしまう。

「船内のどこかで出逢えるかな?」

その時、何やら後ろから聞き覚えがある声が。


「薄木ぃ〜❢」


盾夫が振り向くと、視界に麦わら帽子を手に持った女の子が入っていた。肩の少し上まである髪は先っちょが少しカールしている。

「うわっ、まさか!」

遠くの見慣れない服装と麦わら帽子のおかげで

乗船の時は治矛だと気がつかなかった盾夫。

真夜中に近い悪夢の出逢いに盾夫は思わず逃げ出した。

「なんであいつが居るんだ?」

金島治矛かなしまちほこ

盾夫が大学内で最も苦手な女の子だ。

大学1年生の5月のある日、盾夫たておが大学内の廊下を急ぎ足で歩いていると、曲がり角で治矛ちほことぶつかってしまう。

「すいません!」

「痛いでしょ。気をつけてよ❢」

謝ろうとする盾夫たておに向かって、治矛ちほこは高慢な態度で怒鳴りつける。

高校を卒業して間もない治矛ちほこは、コギャルっぽい振るまいが抜けきれておらず、消極的な盾夫たておは、この治矛ちほこを苦手としていた。その治矛が今、船内に居る。


治矛の気配がない事を確認してから休憩室で缶ジュースを飲みつつ、10分くらい物思いにふける。

盾夫はある大学の工学部を目指して浪人生活を送るも、成績が思うように伸びず、11月に大学受験をあきらめて工場の派遣社員として働くも、消極的な性格が災いし、作業もきつくて長続きせず、翌年8月に派遣社員生活を終了。9月から受験勉強をして家から少し離れた厚誠こうせい大学の経済学部ヘ入ったのは、高校卒業してから、2年たった春だった。

童顔の笑顔と漫画、音楽、ゲームなどで話題を作って明るく振るまう事で友人と仲良くなって、一応は楽しい大学生活を送ってはいるが、今ひとつ積極的になれない。就職など、心配事もあるし、ときどき、あの治矛にかげでからかわれているような大学生活を送っている印象。

「いやな事を考えてもしかたない。さぁ〜寝よう!」

盾夫たておは2等船室ヘ行って眠った。


目が覚めると朝。下船の準備をしてデッキヘ

出ると、高層ビルが建ち並ぶ『海の向こうの街』が夏空の下で朝日を浴びていた。

「うわぁ〜なかなか大きな街だね!」

すっとんきょうな声。盾夫の声ではない。

横には麦わら帽子をかぶった治矛ちほこが居る。

しかし盾夫は逃げない。今からの事を考えると

緊張感がはんぱない。ふと横の治矛を見る。

さっきとは違い、治矛も緊張感が顔に現れている。

フェリーはプサン港ヘ着いた。今から下船が始まる。治矛は不安げに盾夫に寄りそっている。

「こうなったら、こいつを道連れに冒険だ!」


2人とも、マニュアル通りに入国審査を受けて、両替所で韓国ウォンヘ両替してからプサンの街を踏みしめる。

「ついに『海の向こうの街』ヘ着いたんだ!」

盾夫は感激にひたるのもつかの間、ここからは

異国の文字を旅行用辞書で調べつつ進む。

「あのタワーの展望室ヘ行こうよ!」

治矛は緊張感を少しゆるめて弾んだ声で、プサンタワーを指さす。

「よし、行こう!」

治矛に負けたくない盾夫は強い口調で治矛の手を握りしめながら、なんとか展望室まで着いた。

治矛は展望室の双眼鏡をワクワクしながらのぞきこむ。港と背後の鮮やかな海が映り込む!

「ヘウンデ行ってみたい❢」

ヘウンデは、この街の東にある海が見える砂浜。

海水浴場なので、夏になると多くの人達でにぎわう。この場所からは離れているため、地下鉄ヘ乗らなければならず、冒険の難易度は高くなる。

「よし、行こう!」

盾夫たておは勢いにまかせて治矛の手を握って地下鉄のプサン駅ヘ。

ここからは、旅行用辞書と地図を頼りに進む。

韓国文字は左が母音と右が子音。下がパッチムと呼ばれる少し複雑な発音の組み合わせだ。

盾夫は以前から韓国文字に興味があって少し調べていた。

「ヘウンデ駅はここかぁ〜ソミョンで乗り継いで東ヘ。けっこう遠いな!」

切符きっぷをなんとか買って地下鉄ヘ乗りこむ。車内はけっこうな人混みだ。

ヘウンデ駅から少し南ヘ歩き、ヘウンデの砂浜を見るころには、お昼になっていた。

2人は出店で食べ物と飲み物を適度に注文して食事を済ませる。海水浴シーズンとあって砂浜のあちこちに人が動いている。太陽が照りつけ、夏特有の熱気が漂っている。

「泳いでみたいなぁ〜ちょっとだけ❢」

治矛ちほこの甘えた声を横で聞く盾夫。

だが夕方には港ヘ着いて出国審査があって乗船も早目に済ませなければいけないので、そんなに時間はない。地の果てまで来たような心境の盾夫。

「少しだけだよ。ぼくは休憩してるから!」

治矛は水着に着替え、一目散に砂浜ヘ。

「水着持って来てたんだ。用意周到だな!」

盾夫たておあきれた目で砂浜で動く治矛を見つめた。ここからは治矛ちほこの監視だ。

しばらくはオレンジ色の水着姿の治矛を目で追っていたが、太陽が照りつけて暑いのと、はるばる『海の向こう街』まで来た夢心地さが相まって、

いつの間にか、さわやかな夏空を見上げていた。

どれくらい時間がたっただろうか? 盾夫が腕時計を見ると、そろそろ帰らなければいけない時刻が迫っている。

盾夫たてお治矛ちほこを呼ぶために砂浜ヘ近づいた。しかし、治矛の姿は見えない。

「どこへ行ったんだ? あいつ!」

盾夫はあわてて砂浜を早足で治矛を探し回る。

金島かなしまさぁ〜ん❢」

叫んでみるものの、治矛は見つからず。

30分くらい探したが見つからない状況。

しびれを切らした盾夫。

『ちっほっこぉ〜お❢」

盾夫は初めて、あの女の子を下の名前で呼んだ。

驚くほど大きな声で。

すると、砂浜の人混みから、オレンジ色の水着姿の女の子が見えた。治矛ちほこだった!

薄木うすきぃ〜あんた今、あたしを下の名前で呼ばなかった?」

我に帰ると恥ずかしい。盾夫は首を横に振ってしまう。その時、治矛の目から涙があふれた。

治矛は治矛で心細かったようだ。

「時間がない。早く着替えて、帰る準備を!」

盾夫は治矛にそう促した。

砂浜から少し離れた所で待っている間、カップルと思われる韓国人の男性と女性が間近で立ち止まった。どちらも20歳前後くらいに思える。

「トマンナヨ❢」

男性と女性はお互いに声をかけ合っている。

「またおうよ❢」

とゆう意味の韓国語らしい。

帰る準備を済ませた治矛が姿を現す。

「帰るぞ!!!」

盾夫たてお治矛ちほこの手を握って

足早に地下鉄のヘウンデ駅ヘ向かった。

「止まんなよ!」というくらい時間が迫っている。ヘウンデ駅に着くと切符きっぷを買って地下鉄にしばらく乗ってソミョンで乗り換えてプサン駅。それから早足で歩いてなんとかプサン港ヘ着き、かろうじて出国審査や乗船手続きに間に合うと、2人ともようやくほっと息をした!


乗船を済ませ、しばらくすると、野太い警笛が鳴り響き、フェリーが動きだした。

『海の向こうの街』の照明がだんだんと遠ざかり、やがてフェリーは日没後の暗闇の中を進んでいく。昨日は雨に隠れていた月だが、今夜は、暗闇の海上を薄ぼんやりと照らしている。

「あんた、ヘウンデの砂浜からプサン港まで、

ずっとあたしの手を握ってたわね。昨夜はこの船内であたしを見たとたん逃げ出したくせにさ!」

治矛ちほこはコギャルっぽく笑いながら言った。まだ治矛ちほこ盾夫たておの横にいる。デッキを涼しい夜風が吹く。

「もうそろそろ、船内ヘ戻ろう。あとは金島かなしまさんの好きにして!」

盾夫たてお治矛ちほこといっしょに居るのが気恥ずかしくなってきた。あの街で見せた、精力的な盾夫から一転、昨夜までの消極的な盾夫に戻りつつある。だが治矛は離れない。

「もう少しいっしょに話そうよ!」

甘えた声で言う治矛ちほこ

「しかたないなぁ〜あと少しだけだぞ!」

返答する盾夫たておも、まんざらでもない表情。2人は食堂で石焼きビビンバを注文。もう、どこの国のどんな料理でも良い。とにかく空腹だ。

「あたしの友人、小西こにしちゃんと加藤かとうちゃん、昨年の夏にプサンを旅行したよ。ヘウンデの砂浜と海の事も2人から教えてもらった。本来なら今年の夏に3人でプサンを旅行する予定だったけど、2人は用事で断念したよ!」

治矛は少々残念そうな表情を見せる。

その後も盾夫たておは楽しくしゃべる治矛ちほこの話をうつ向いて聞いていた。

空腹を満たした2人は食堂を出た。昨夜、2人が出くわして盾夫が逃げ出した廊下を通るとお互い苦笑いしたが、今夜は逃げ出さない盾夫。

盾夫は休憩室に移ってジュースを飲みながら治矛と単純な日常話。TV放送は、KーPopの歌がかかっている。いつの間にか、うとうとしてしまう!


どれくらいたっただろう。休憩室は人もまばら。横では治矛が、かわいく飾ったバックを抱いたまま居眠りをしていた。真夜中になったようだ。

盾夫が童顔とゆう話から治矛の年齢の話になったところで、運転免許を取得したばかりの治矛が運転免許証を取り出し、生年月日欄から、治矛ちほこが、1991年3月生まれ、19歳とゆう事を確認し、治矛がバックに運転免許証をしまった所までは盾夫たておは覚えているが、そこから先は覚えていない。たぶんそこでうとうと。

「そうだ❢」

盾夫たてお治矛ちほこを揺り動かした。

「今から少しデッキヘ出ようよ!」

少し年上らしい所を見せたくなった盾夫。

寝ぼけまなこながら治矛も従う。


デッキヘ出ると、夜風が涼しい。

「あの炎天下でよくあそこまで動いたもんだ!」

盾夫はあきれたような表情で、あの街での昼間の行動を振り返る。

「ねぇ〜薄木うすきぃ〜あんた何年何月生まれだっけ?」横に居る治矛が尋ねる。

「1988年5月生まれだけど何か?」

またからかわれるのかと思いつつも盾夫は返答。

「あたしの兄ちゃんと同い年だね。兄ちゃんは京都の大学へ行ったけど。弟は今、中3よ!」

治矛ちほこはここから身の上話を始めた。

「あたしね、幼い頃から病弱で鼻炎持ちなんだ。

風邪をひくと鼻がつらくて、小学生の時は、その事でからかわれたし、高校生の時は、それが原因でふられたのよ。健康な女の子が良いってね!」

話す声が少し涙声に変わってくる。

「そんな事があったんだ!」

盾夫たておはうなづくと、治矛ちほこは話しを続ける。

「大学は兄ちゃんと同じ大学へ行こうと思ったんだけど、父ちゃんに怒鳴どなられたの。お前は病弱なんだから近くの大学へいけってね!」

そこまで話したところで治矛は嗚咽おえつを漏らす。治矛の目から大粒の涙があふれ出すのを見た盾夫はかける言葉が見つからない。治矛は治矛で、いろいろと悩んでいるんだな。そういえば治矛、冬に風邪をひいてつらそうな時もあったな。病弱とゆうのは大げさかもしれないが、鼻炎持ちで、風邪をひきやすい印象はある。

盾夫は海をしばらく見つめた後、治矛を励ます!

「今が幸せなら良いじゃないか。お父さんだって、治矛ちほこの体が心配でそう言ったんだろうと思うよ。あの大学だってふつうに勉強できるし、友人も居るし、幸せな大学生活だろう!」

幸せな大学生活。それは治矛だけでなく、盾夫が自分自身に言い聞かせたいフレーズでもあった。

治矛ちほこハンカチで涙をふいて盾夫を見て、うなづいた。そして、少しだが年上っぽい態度の盾夫たておヘ向かって一言。

「あんたさっき、わたしを下の名前で言わなかった?」

意表を突く返答に盾夫はしどろもどろ。さっきまでの勇姿はどこへやら。その時、警笛が少し離れた海上から聞こえてくる。

ほどなくして、このフェリーの野太い警笛が、デッキに響き渡る!

盾夫たてお治矛ちほこは驚きながら見つめ合う。


「大きい❢」


2人とも同じ言葉を言ったが、盾夫のほうはフェリーの警笛の事ではなかった。

盾夫はこの時、おしゃれな夏服姿の治矛ちほこの胸の曲線を間近で見てしまった。

盾夫たておは大人びてる治矛ちほこから

目を反らして海を見る。少し離れた海上をプサン行きのフェリーがすれ違う。さっき向こうから来ていたフェリーだ。

大きなフェリーが2せき。空には月。

昔は粗末な舟で大海原を渡っていたらしいが、遠く離れた海の向こうに陸地がある事をどうやってり、なぜ海の向こうヘ渡ろうと思ったんだろう?


プサン行きのフェリーは遠ざかると、盾夫たてお治矛ちほこは、それぞれの寝床ヘ入って眠った。

あと少しでこの冒険は終わる。冒険も恋も、うまくいったとは言い難いが、また新たな冒険に思いをたくす決意をする盾夫。

冒険心は止まらない!

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この冒険を忘れないよ! 岡泳介 @oka-eisuke

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