十四歳:クッキーと、少しだけマカロン

 小四のときに一度だけ強引に参加させられた野球で聞いた、祐理とチームメイトだというコバケン。

 誰やねん、と当時は思っていた鈴蘭だけど、今となってはよく知っている。というか、中学校の中で知らない人なんていないんじゃないだろうか。


 中学校の女子生徒の約半数は、コバケンのファンだ。残りの半数は、香坂こうさか先輩のファンだ。そしてさらに残りの少数は、男子に興味がなかったり既に付き合っている相手がいたり、芸能人や二次元のキャラクターに夢中だったりする。

 バレンタインデーの校内は祭りさながらの騒ぎになっていた。主にコバケンと香坂先輩が原因で。

 放課後、鈴蘭はリュックの中からラッピングした小袋を取り出し、中身が割れていないか確認する。


「すず」

「すずちゃん」


 仲良しのももちゃんとミオちんがやって来て、三人で顔を見合わせた。桃ちゃんが咳払いをして口を開く。


「えっと。ミオちんがコバケンで、すずが香坂先輩やっけ」

「うん。まあ私らのほうはただのファンイベントみたいなもんやし」

「それより桃ちゃん、頑張ってね」

「おう。結果はまた報告する」

「わかった。じゃあ検討を祈る」

「また明日~」


 三人で手を振りあいながら二年二組の教室を出る。鈴蘭は香坂先輩へ。ミオちんはコバケンへ。桃ちゃんは本命の男子に告白をするために。

 それぞれに手作りお菓子を携えて、解散した。


 コバケンは小学生のときはそうでもなかったけど、中学に上がってから急にモテ始めた。よく見ると王子様顔のイケメンであることが、女子たちによって発見されたから。あと、野球部のエースとして活躍しているのもプラス要素となっている。

 香坂先輩は鈴蘭の一学年上の三年生で、鈴蘭が入学したときには既にファンクラブが存在していた。サッカー部のキャプテンで、こっちは塩顔のイケメンだ。


 ミオちんはコバケンのファンだ。桃ちゃんと鈴蘭はどっちのファンでもない。今年は三人で一緒にバレンタイン用のお菓子を作った。桃ちゃんには本命がいるし、ミオちんはコバケンに渡すと言うから、特に渡す相手のいない鈴蘭は香坂先輩のほうに行ってみることにした。



 香坂先輩のバレンタインはファンクラブが管理しているらしい。ちゃんと並んで順番に渡すルールだそうで、女子たちで押し合いへし合いになることもないからのんびり屋の鈴蘭にとっては気楽なイベントだ。


「香坂くんファンクラブ役員でーす。一列に並んでくださーい」


 一階の階段で最後尾を見つけた鈴蘭は、ふらりと列に加わった。どうやらこの列は三階の三年生の教室にまで繋がっていて、その教室に香坂先輩はいるらしい。

 この長蛇の列だと、本人にたどり着くまでかなりの時間がかかるだろう。テーマパークのキャラクターに会うのを待つみたいだ。呑気にそんなことを思いながら、鈴蘭は列が進むのを大人しく待っていた。のだが。


(全然進まん。飽きたかも……)


 列が二階に差し掛かったあたりで、鈴蘭は疲れた気分になり始めていた。一緒に並んでいる女子たちからの情報を漏れ聞くところ、どうやら香坂先輩はチョコレートを受け取るついでにファンとの会話にも付き合ってくれているため、一人あたりの対応に時間がかかっているようだ。

 せっかくファンクラブが誘導管理をしているのだから、そこはアイドルの握手会よろしく制限時間を設けるなりなんなりすれば良いのに。ゆるくおさげにしていた自分の毛先を意味なく触りつつ、鈴蘭はため息をついた。

 もともと、ちょっとした祭りにでも参加するつもりでやって来ただけで、そこまで香坂先輩を熱烈に慕っているわけでもない。というか遠目に何度か見たことがあるだけで、どういう人かもあまり知らない。一度飽きたと思うとなんだか列に並ぶのが苦痛になってきた。

 だるい気分で壁にもたれていると、見知った顔が目の前を横切った。


「あ、師匠」

「……鈴蘭?」


 通りすがりの見知った顔、星川祐理が目を丸くして足を止めた。

 祐理とは、中学二年の今年になって初めて同じクラスになった。今となっては師弟関係は何もないのだが、鈴蘭の中では祐理は「師匠」として定着してしまっていたため、いまだに師匠呼びで通している。四月の頃は祐理を師匠と呼ぶ鈴蘭とそれを普通の顔で受け入れている祐理にクラスメイトたちも不思議そうにしていたものの、いつの間にか誰も気にしなくなった。


「何してるん……って、あれか。香坂先輩のチョコで並んでんのか」

「そー。師匠は? 今から部活?」

「いや、今日は部活休みやし帰る」


 それを聞いた鈴蘭は少しだけ考えて、並んでいた列からひょいと抜けた。祐理の隣に立つ。


「一緒に帰ってもいい?」

「いいけど……先輩は?」

「うーん、順番待つん疲れたし、もういいや」


 祐理は鈴蘭の適当な返事に一瞬ぽかんと口を開け、ふっと呆れたように笑った。


「なんやそれ」





 鈴蘭も祐理も自転車通学だ。二人で学校指定のママチャリを漕ぎながらお喋りしつつ通学路を走る。誰かと一緒の帰り道は楽しくて、二月の寒さも和らぐ気がする。


「鈴蘭、香坂先輩ほんまに良かったん?」

「うん。師匠は誰かにチョコもらった?」

「……もらってない。俺、顔が怖いらしくて。女子も寄り付かんし」


 心なしか元気がない。バレンタインにもチョコレートにも興味がなさそうな表情をしていたから軽い気持ちで尋ねたのだけど、実はもらえることを期待していて落胆しているのだろうか。

 二人がそれぞれの家の方向へ左右に別れる丁字路で、鈴蘭は自転車を止めた。


「師匠待ってぇ」


 呼びとめた鈴蘭の隣に、祐理も自転車を止めた。

 香坂先輩の列から離脱したため結局手元に残ったままの小袋をリュックから引っ張り出す。


「師匠にあげる」

「……いいん?」

「どうぞ~。チョコやなくてごめんね」


 中身はチョコチップクッキーだ。桃ちゃんには夢がないねと呆れられたが、鈴蘭はチョコレートは市販のものが一番美味しいと思っている。一番美味しい市販のチョコを一度溶かして再び固める「手作り」という行為は素人によって味が落ちるだけで意味がない気がするのだ。だから、女の子たちが一生懸命手作りチョコをこしらえている中、鈴蘭は毎年クッキーを焼いている。


「なんでももらえるなら嬉しい、ありがとう。今食っていい?」


 鈴蘭が頷くと、祐理は小学生みたいにぱっと瞳を輝かせた。あまり見たことのない種類の喜び方に、鈴蘭は一瞬目を奪われた。この人は、こんな表情もするのか。


「美味い!」


 まっすぐな言葉で褒めてもらえるのは、とても嬉しいことだ。


(先輩じゃなくて、師匠に食べてもらってよかった)


 あの列で大人しく順番待ちをしていても、鈴蘭のクッキーはファンたちの大量のお菓子と一緒に埋もれて、祐理ほど喜んではもらえなかっただろう。鈴蘭のクッキーを大事そうに食す祐理の目元は柔らかく緩んでいる。


「師匠の顔、ちゃんと見たら全然怖くないのにね」


 話しかけるともぐもぐしている祐理と目が合う。

 初めて会ったときからほんの少し成長した十四歳の鈴蘭にはわかる。あのとき「あまりもん?」と乱暴な言葉で鈴蘭を攫っていった彼が、鈴蘭が一人待たされて寂しいんじゃないかと心配して声をかけてくれたということ。コバケンがいなくたって、人数が足りなくたって誰かが二回打席に立てばすんだところを、鈴蘭を仲間に引き入れてくれたこと。

 鈴蘭は巻いていたマフラーを口元まで覆うように引っ張り上げて、微笑んだ。クッキーを焼く自分の隣で「本命にクッキーはありえない」とチョコを溶かして手作りしていた桃ちゃんから教えてもらった知識を思い出す。


「桃ちゃんが言ってたんやけど、お菓子には意味があるらしくて」

「意味?」

「そー。クッキーは友達だよって意味があるってさ」


 だから好きな人にあげるのはNGなんやって。桃ちゃんはそう言っていた。それをふーんと聞き流しながら、鈴蘭とミオちんはクッキーを焼いた。結果的にはちょうどよかったと思う。師匠、とか言ってふざけた呼び方をしているけれど、祐理は鈴蘭の大事な友達だ。


「だからそのクッキー、私から師匠への友情の証。私と仲良くしてくれてありがとー。これからもよろしくね」

「……おー。よろしく」


(優しい師匠にいつか、本命のチョコをくれる子が現れますように)





 残念ながら桃ちゃんは告白してふられてしまった。ミオちんは無事にコバケンにクッキーを渡すことができた。

 ホワイトデーに祐理は、鈴蘭が教室で一人になったタイミングを見計らってこそこそと声をかけてきて律儀にお返しをくれた。コンビニに売っている三個入りのマカロンだった。あとで桃ちゃんとミオちんと一緒に一つずつ分けっこして食べた。

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