あまりものの幸福日和

中村ゆい

十歳:鈴蘭と師匠

「そいつ、あまりもん?」


 唐突に割り込んできた声に、一輪車置き場の前で集まっていた女子たちは一斉に振り向いた。

 小柄な男子が無愛想にこちらを凝視している。

 鋭い視線に射抜かれた“あまりもん”の鈴蘭すずらんは色素の薄い瞳を大きく見開き、ぽかんと彼を見つめ返した。

 四年一組の女子のあいだで最近流行りの遊びは一輪車。今日も今日とて、お昼休みにみんなで遊ぼうとわいわいがやがや下駄箱のすぐそばにある一輪車置き場まで集団でやって来た。しかし、人数に対して一輪車の数が一つだけ足りなかった。

 みんながさっさと一台ずつ一輪車を手に入れていく中、人の中に割り込むのが苦手な鈴蘭は後ろのほうでもたもたしており、気が付けば一輪車はすべてなくなっていた。


「すずちゃん、一輪車足りん?」

「ごめんねえ、後で交代するから待ってて」


 みんなが申し訳なさそうに言うから、鈴蘭は「いいよぉ」とのんびり笑うしかない。仲間外れにされたり、いじめられたりしているわけではないのだから。

 本当にみんな、ごめんねと思っていて、後で交代してくれるつもりなのだ。悪意のかけらもないことは、鈴蘭にもよく伝わっている。

 ただ、鈴蘭が常にぼんやりしていて出遅れがちだから一輪車を取り損ねて、物静かで影が薄いから「後で交代する」という約束を忘れられがちではあるけれど……。


(でも、みんなが楽しそうにしているのを見ているだけでも楽しいから、いいや)


 そう思って、にこにことその場に突っ立っていた。そうしたら、突然乱入されたのだ。「あまりもん?」と。

 デリカシーのない単語に女子たちは戸惑いの空気とムッとした表情を見せた。


「あまりもんっていうか」

「すずちゃんは順番待っててくれてるだけやし」

「言い方失礼すぎひん?」


 男子は口々に反論し始める女子を冷めた目で一瞥し、鈴蘭にずかずかと近づいてきた。


「要するにあまりもんやん。こっち人数足りんから俺がもらってくわ。ちょっと来て」

「へ? え? え?」


 手首をつかまれてずるずると校庭のほうへ引っ張られていく鈴蘭を、女子たちは呆気に取られて見送った。





 引っ張られるようにして歩きながら、鈴蘭は混乱していた。


(この人……誰!?)


 学年集会や廊下で見かけたことはある。たぶん四年三組の男子だ。しかし、話したこともないし同じクラスになったこともない。一体自分は誰に何の目的でどこへ連れていかれているのだろうか……と思っていたら、男子が立ち止まってくるりと振り向いた。


「お前、名前なんやっけ」

「えっ? 野口のぐち鈴蘭です……」

「鈴蘭」

「は、はい」

「俺、星川ほしかわ祐理ゆうり。よろしく」

「よ、よろしくです」

「鈴蘭には、今から戦場に立ってもらうから」

「……????」


 意味がわからない。

 連れていかれたのは校庭の真ん中あたり。ドッジボールで遊んでいる集団と鬼ごっこをしている集団に挟まれたエリアに、四年生の男子集団がバットやグローブを手にして固まっていた。彼らは鈴蘭たちに気づくとぶんぶん手を振ってくる。


「祐理、お帰りー」

「なんで女子連れとるん」


 至極全うな彼らの疑問に、祐理は鈴蘭の手首をつかむ手を強くした。


「拾ってきた。コバケンの代打」

「代打ぁ? できるんか?」

「できるかどうかちゃう。やるんや」


 言いながら、祐理はキッと鈴蘭を鋭い目で射抜く。思わずびくぅと肩が跳ねあがった。


「鈴蘭。俺のチームのコバケンがさっき鼻血出して保健室に行った。鈴蘭は代打や。今からホームラン打ってくれ」

「ホームラン!? 無理です」

「無理やない。コバケンならホームラン打つ」

「でも私コバケンじゃないもん! 野球やったことないしルールもわからんレベルやし。あと、運動音痴やし……」


 急に連れてこられたうえに経験ゼロの野球でホームランを打てだなんて。無茶にもほどがある。ていうかコバケンって誰。

 しょぼしょぼと小さくなる鈴蘭に、周囲の男子たちが同情の目を向けた。


「コバケンと同じことさせんのは無理やって。俺らでも無理やし」

「リトルリーグで全国行っとる奴やぞ」

「全国なら俺も行った」

「何の自慢や! 祐理が行ってても野口さんは行ってへんやろうが」


 男子たちが言い合いしているのをおろおろと眺めながら、鈴蘭は祐理のTシャツを引っ張った。


「あの、あの……!」


 いくつもの目が鈴蘭に注がれる。緊張しながら鈴蘭は口を開いた。


「失敗してもいいなら、やってもいい、です」


 ホームランは無理だ。でも、とりあえず飛んできたボールに合わせてバットを振るだけならできる。ボールにバットが当たらない確率のほうが高いけど。とにかく自分がやれば丸くおさまることならやったほうがいい。

 そんな覚悟で告げると、祐理はよく言ったといわんばかりに鈴蘭の両肩に手を置いた。


「失敗しても責めない。ただ、最初から失敗する気でいるなよ。ホームラン打つ気でやれ」

「は、はひ」


 返事をすると、あれよあれよと言う間にバッターボックスへ連れていかれてバットを握らされる。

 テレビで見たことのあるプロ野球中継の記憶を頼りになんとなくバットを構えてみると、ピッチャーの男子が「野口さん、いくよー」とかなり緩めのボールを投げてくれた。

 ふんっと腕を振る。すかっとした手ごたえのない感覚とともに、ああ~と男子たちの嘆きが聞こえた。駄目だった。

 二回目も同じようにやってみたけれど、結果は同じ。


(こんなん一生当たらんて! どうしたらいいん!?)


 涙目になって背後を振り向くと、怖い顔で腕組みしている祐理と目が合った。ぶんぶん首を横に振って見せると、彼は厳めしい表情のままこっちに来て鈴蘭のそばに立った。


「もうちょい脇締めて構えろ。んで、腰落とせ」

「こ、こうですか」

「よし。ボールが来るタイミングで俺が合図するから、そこで思いっきり振れ。ボールは見んくてもいい。とにかく振れ」

「は、はい、師匠!」


 思わず師匠と呼んでしまった。呼ばれた祐理は一瞬怪訝そうに眉をひそめたが、「俺の弟子ならできる」と言い残して試合の邪魔にならないようキャッチャーの後ろに下がった。

 脇を締めて、腰を低くして。ピッチャーが腕を振りかぶる。


「振れ!」


 祐理の声が聞こえた瞬間、鈴蘭は目をつぶってとにかくバットを振った。

 ぽこんとプラスチック製のバットに何かが当たる感触がする。おお、と男子たちのどよめきが聞こえて恐る恐る目を開けると、ボールは青空を飛んでいた。


「うそお……私打ったん……?」


 信じられない。びっくりしていると、祐理が慌てて寄ってきた。


「走れ! 走れ!」

「えっ、どこを!?」


 わたわたしていると手をつかまれ、ホームベースのほうへ走らされる。祐理が全速力で駆け抜けるから、ついていくだけでいっぱいいっぱいだ。足がもつれて空気が吸えない。苦しい。

 やっとホームベースに到着した鈴蘭は顔を真っ赤にしてぜえぜえと死にそうになりながらその場にしゃがみ込んだ。


「うぇ~い! コバケンおらんくても勝ったどー!」

「野口さんありがとう!」


 同じチームだった男子の雄たけびが聞こえる。グラウンドに手をついて反応できずにいると、祐理が隣にしゃがみ込んだ。


「鈴蘭、お前のおかげで逆転勝ちできた。ありがとうな」

「し……師匠のお役に立てて……良かった、です……」


 鈴蘭は息も絶え絶えに返事をした。




 勝った直後に昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ると、皆校舎のほうへ帰っていってしまった。祐理だけは鈴蘭をここまで疲れさせた罪悪感からか、鈴蘭の息が整うまでグラウンドで一緒に座っていてくれた。

 祐理は相変わらず無愛想ではあるものの、試合が終わるといくぶんか目つきの鋭さが和らいでとっつきやすくなった。野球となると一生懸命になってしまう人なのかもしれない。


「今さらやけど一輪車、乗る時間なくなってごめん」


 本当に今さらだ。ぼそりと謝る祐理に鈴蘭はふふっと笑った。


「そんなん全然大丈夫。師匠のチームの勝利に貢献できて何より~。師匠は野球の全国大会に出たんですか?」


 さっき誰かが言っていたことを思い出して尋ねると、祐理はこくりと頷いた。


「コバケンと同じチームで一緒に全国行った。でも五年生とか六年生とかもおるし、俺はほとんどベンチ。少しだけ試合出させてもらったけど」

「少しだけでもすごい! さすが師匠!」


 鈴蘭はエレクトーン教室と英会話教室に通っているけれど、発表会はあってもコンクールには出たことがないし、もちろん全国大会もない。チームとして出場しただけじゃなくて少しでも試合に出たなんて、かっこいい。

 ぱちぱちと手を叩いて尊敬の眼差しを送ると、祐理は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。


「将来はプロ野球選手になるんですか?」

「なれたらいいなって思ってる。……なあ、なんでさっきから敬語なん」

「え? だって私に野球を教えてくれた師匠なんで……」


 まったく経験のない鈴蘭にホームランを打たせたのだ。神師匠としか言いようがない。


「普通に喋ってや。同い年にそんな言葉遣いされるの、なんか無理」

「え~、すみませ……じゃなくて、ごめん師匠!」

「師匠は師匠のままかよ」

「いや、そこは師匠なんで」


 そのまま二人で話をしながら歩いて校舎に戻った。

 たった数分の帰り道でずいぶん打ち解けた気がしたけれど、四年一組の教室前の廊下で別れてから、二人が再び会話する機会はなかった。

 五年生も六年生もクラスは離れたし、鈴蘭も会うことのない祐理の存在をあっという間に忘れてぼんやりのんびり学校生活を過ごした。


 もうすぐ小学校を卒業する三月。

 担任から一人一部ずつ配られた学年通信の冊子で、六年生全員の将来の夢が紹介された。卒業の記念に全員提出させられたのだ。

 自分が提出した「英語の先生」という文字を確認しつつ、他の児童の内容もさらっと眺める。仲良しの桃ちゃんは美容師で、ミオちんは漫画家。全体的に、女子はパン屋さんが多くて、男子はやたらとYouTuberが多い。

 さらさらとページを捲っていると、星川祐理の名前に視線がとまった。


 星川祐理:ドラフト1位


 ドラフトって何だったっけ。野球に詳しくない鈴蘭は、ぼんやりとテレビで見た記憶を探る。確か、そのドラフトってやつで選ばれた人がプロ野球選手になれる、みたいなやつ。……たぶん。


(よくわからへんけど、頑張れ師匠)


 鈴蘭は心の中で、ものすごくテキトーで気持ちだけは全力のエールを祐理に送った。

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