第23話 まるで、世界が変わるような
恥ずかしい話と答えると、フィリップ様は真剣な表情で「分かった」と頷く。
そして躊躇う様子を見せた後、口を開いた。
「実は、先程の鳥のことなんだが」
「はい」
「あれはスズメではなく……インコなんだ」
「えっ」
まさかその説明から入ると思っていなかったわたしの口からは、驚きの声が漏れてしまう。
するとやはり知らなかったのか、みたいな顔をされ、とても悔しい気持ちになった。それくらい知っている。
「普段は部屋で飼っていて毎日のように話しかけていたから、その、ああいう風に喋ってしまったんだと思う」
「そ、そうなんですね」
「いつも君のことばかり話していたんだ」
だからこそ、ヴィオちゃんはわたしのことばかり話していたのだと納得する。
話を聞いているだけで、非常に恥ずかしいのだ。本人が今感じている恥ずかしさなど、想像もつかない。
「……引いた、だろう」
そんなことを言い、戸惑いながらも顔を真っ赤にしている彼を見ていると「この人は本当に私を好きなんだ」という実感が、どんどん湧いてきてしまう。
──こんなにも綺麗な人が、わたしを好きなんて。
ずっとフィリップ様は何もかもが完璧で、わたしなんかには釣り合わない、遠い人だと思っていた。
けれど変な本を読んだり、インコに話しかけたり。知れば知るほど彼の人間らしい部分も見えてきて、いつのまにかそんな風には思えなくなっていた。
18年も一緒にいたのに、彼のことを何も知らなかった。知ろうともしていなかったのかもしれない。
「あの、引いてはいませんよ」
「……本当に? 重たい男は嫌われると、子供の頃にレックスに言われたんだ。だから記憶を失う前の君にも、ヴィ……インコのことは隠していた」
レックスも、妙なアドバイスだけするのはやめて欲しい。そして名前だけは、頑なに隠しているようだった。
そもそも子供の頃に言われたということは、レックスはフィリップ様の気持ちを昔から知っていたのだろう。それでも彼はわたしに、自分で確かめろと言った。
本当に、悔しいくらい彼は正しい。きっとこうして自身で気付かなければ、信じていなかっただろうから。
「そ、そんなにわたしのことが好きなんですか」
「ああ、好きだ」
「…………っ」
「寝ても覚めても、君のことばかり考えている」
そんなことを、少しも躊躇わずに彼は言ってのけた。
つい先日までは愛の言葉を囁かれたって、どうせ嘘だからと片付けられていたのに。今ではその一言一言が、まっすぐにわたしの中に入りこんで来てしまう。
正直、訳がわからなかった。こないだまではあんなにも無口で、そんな素振りすら見せていなかったのに。
けれど心臓は早鐘を打ち、体温が上がっていく。フィリップ様の視線に耐えられず、慌てて俯いた。
「……だから、君が他の男を好きだったとしても、俺は諦められそうにない」
「えっ?」
そんな中、不意にフィリップ様は傷付いたような顔でそう呟いた。その言葉の意味がわからず、首を傾げる。
そんなわたしに、彼は続けた。
「もう一つの話も、していいだろうか」
「はい」
そちらは全く見当もつかなかったから、実はかなり気になっていた。心臓が潰れそうなくらいだ。余程辛い話に違いないとついつい身構え、次の言葉を待つ。
「……シリルを」
「はい」
「シリルを、好きになったのか」
そして一拍置き、彼の口から飛び出したそんな突拍子もない質問に、思わず「え?」と聞き返してしまった。
けれど冗談でもなんでもないらしく、フィリップ様はひどく真剣で、傷付いたような表情を浮かべている。
「あの、それはどういう……?」
「知人から、二人で会っていたと聞いた」
「ああ」
先日、カフェでたまたま二人きりになってしまった10分ほどの間を、見られてしまっていたのだろう。
それにしてもフィリップ様の知人も、本当に悪いタイミングで目撃してくれている。けれどそもそもは、そんな状況を作ってしまったわたしが悪いのだ。
「ごめんなさい、誤解です。少しの間シリル様と二人きりになってしまいましたが、ローラ様もいました」
「……だが、シリルが君のことを好きだと言っていて、その言葉に君もほっとした様子だったと」
「ええっ」
その上、シリル様の言葉は中途半端に切り取られ、わたしの態度についてもとんでもない解釈をされていた。
とにかく誤解だということを伝え、刺繍用の糸を買いに行ったこと、そこで偶然会ったことを全て説明する。
「わたしは、シリル様をお慕いしていません」
そしてはっきりと目を見てそう言えば、フィリップ様はひどく安堵したような表情を浮かべ、やがて深い長い溜め息を吐いた。
「…………良かった」
「えっ?」
「君がシリルを好きになっていたらと思うと不安で、何も手につかなかった。まともに眠れさえしなかった」
そんな言葉に、再びどきりと心臓が跳ねた。
そう言われて初めて、彼の両目の下のクマの存在にも気が付く。思い返せばフィリップ様は今までも、シリル様のことをかなり気にしている様子だった。
『シリルと二人で居て、楽しかったか? 君は昔から、あいつといる時は楽しそうだった』
あの言葉や態度も全て、そういった不安によるものだったのかもしれないと、今更ながらに思う。
全て嘘かもしれないという認識がなくなり、彼が自分のことを好きだと確信した途端、まるで頭の中の霧が晴れていくかのように、すべての見方が変わっていく。
「本当に、君が好きなんだ」
そう言ってフィリップ様は困ったように笑って、それと同時に苦しいくらいに胸が締め付けられた。
「フィル、誤解させるようなことをしてしまい、本当にすみません。今後は気を付けます」
「俺も他人の話を真に受けたのが悪い。すまない」
そして彼は、片手で口元を押さえると「君のこととなると、何一つ自信が持てないんだ」と呟いた。
「…………」
「…………」
それからはお互い、なんとなく気まずい沈黙が続く。けれど先程とは違い息苦しさのようなものは感じず、ソワソワとして落ち着かないようなものだった。
「刺繍、まだ続けているんだな」
「あ、はい。時間がある時に、少し練習していて」
そう言われてふと、自身のバッグの中に入っている栞の存在を思い出す。最近はハンカチではなく、刺繍で飾り付けや縁取りをした栞を作っていたのだ。
屋敷を出るまでは渡すかどうか、ずっと悩んでいたけれど。今は彼が喜んでくれるという確信があるせいか、渡してみようかなんて気持ちになってしまう。
そして結局、わたしはバッグから栞を取り出すと、おずおずとテーブルの上に置いた。
婚約破棄を狙って記憶喪失のフリをしたら、素っ気ない態度だった婚約者が「記憶を失う前の君は、俺にベタ惚れだった」という、とんでもない嘘をつき始めた 琴子 @kotokoto25640
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