第15話 それはまるで


 目が合った数秒後、フィリップ様の切れ長の瞳が驚いたように見開かれて。その瞬間、わたしの足は動き出していた。


「ヴィオラ? どうしたの?」

「シリル様、ごめんなさい。用事を思い出しました」


 何だか、とても嫌な予感がする。このまま消えて、見間違いだということにしてもらおう。そう思い、慌ててフィリップ様がいる方とは反対側の入り口へと向かう。


 すると「送るよ」なんて言って、シリル様がついてきた。


「あの、本当に大丈夫なので」

「少しでも一緒にいたいんだ」


 訳がわからない。けれどきっと、今は彼に何を言っても無駄な気がする。そう思ったわたしはそのまま会場を出て、急ぎ足で廊下を歩いていたのだけれど。


 突然、後ろからぐいと腕を掴まれた。


「ヴィオラ」


 そんな聞き覚えのある声に、足を止める。


「……フィ、フィル」


 恐る恐る振り返れば今までに見たことがないくらい、彼の美しい顔には不機嫌さが滲み出ていた。


「何をしてる?」

「な、何、と言われましても……同窓会に参加を……」

「行かないと言っていただろう」

「あの後、ジェイミーに誘われたんです。それに、フィルもそう言っていたじゃないですか」


 わたしがそう言うとフィリップ様は少しだけ、戸惑うような様子を見せた。何故かわたしだけ責められているような雰囲気だったけれど、状況はほぼ同じな気がする。


「……俺は急遽、」

「急遽? フィリップの挨拶、元々決まってたよね?」


 突然、にこにこと笑顔を浮かべていたシリル様が、すかさずそう言った。どうやらそれも、嘘だったらしい。やはり今日も彼は嘘つきだった。


「お前には関係ない」

「そうかな? 少なくとも俺は、彼女に嘘はつかないよ」


 二人の間には、何やら不穏な空気が流れている。わたしは口を開くこともできず、固まっていることしかできない。


 やがてフィリップ様は溜め息をつくと、わたしが先ほどまで向かっていた出口とは逆方向に向かって歩き出した。わたしの腕を、引いたまま。


 一体何なんだと思いながらも振り返れば、シリル様は困ったように笑い、ひらひらと手を振っている。軽く頭を下げると、わたしはフィリップ様の後ろを歩き続けた。




 やがて適当な休憩室へと入ると、あっという間にわたしは壁とフィリップ様の間に挟まれていた。


 顔の両側に彼の両腕があるせいで、息がかかりそうなくらいにすぐ目の前に、整いすぎた顔があって。その金色の形の良い瞳から、目が逸らせなくなる。


「……楽しかった?」


 そして彼は、そんなことを口にした。


「えっ?」

「シリルと二人で居て、楽しかったか? 君は昔から、あいつといる時は楽しそうだった」


 ──なに、それ。


 本当に、訳がわからない。何故わたしは今、こんな体勢で、そんなことをフィリップ様に言われているのだろう。彼はどうして、こんなにも悲しそうな顔をしているんだろう。


 まるで、シリル様に嫉妬しているみたいではないか。


「えっと、その、ごめんなさい」


 どうしていいかわからず、とりあえず謝罪の言葉を述べれば、彼は余計に傷付いた顔をしてしまって。



「……俺だけ、本当に馬鹿みたいだ」



 今にも泣き出しそうな顔でそう言うと、フィリップ様はわたしから離れ、背を向けた。


 心臓が、信じられないくらいに早鐘を打っている。今しがた見たばかりの彼の表情が、頭から離れない。


「挨拶だけ、済ませてくる。俺が戻ってくるまで、ここで待っていて欲しい」


 それだけ言うと、彼は部屋を出て行ってしまう。


 そして一人部屋に残されたわたしは、緊張が解けた後、その場にずるずると座りこんでしまった。




 ◇◇◇




「ヴィオラ!」


 それから10分ほど経った頃、言われた通りに一人ソファに座りフィリップ様を待っていると、不意に軽いノック音が響き、中へと入ってきたのはジェイミーだった。


「どうしてここに、」

「フィリップ様が教えてくれたの」


 そう言うと彼女はわたしの隣に座り、手を取った。


「ヴィオラ、本当にありがとう! あなたのお蔭でヒューゴーと無事に仲直り出来たわ」

「本当に? 良かった。でもわたしは、何も……」

「ううん。私のために一緒に来てくれたんだもの」


 本当にありがとう、と彼女は改めてわたしの目をまっすぐ見つめ、ふわりと微笑んで。


「……もしも、もしもだけど、何か困っていることとか手伝って欲しいことがあれば、いつでも言ってね。何でも協力するから。私はいつでもあなたの味方よ」


 何故か突然、そんなことを言ってくれた。そう言ったジェイミーの表情はとても真剣で、わたしはこくりと頷く。


「フィリップ様も、もうそろそろ来るみたい」

「そう、なんだ」


 また顔を合わせたところで、さっきのように気まずい空気になるのだろうか。


 本当に、フィリップ様がわからない。そもそも彼があんな嘘をつき始めた理由すら、未だにわからないのだ。けれど先程の彼が、本気で怒っていたことだけはわかっていた。


「……ねえ、ヴィオラ」

「うん?」

「あなたは自分が思っているよりも、ずっとずっと素敵よ」


 そう言うとジェイミーは、眉を下げて微笑んだ。


 いきなりそんなことを言われ、嬉しいとは思いつつも戸惑っていると、再びノック音が響く。


 「入るぞ」という、いつもより少しだけ低いフィリップ様の声に、わたしの心臓はまた跳ねてしまった。

 

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