第16話 疑問と真実と
部屋の中へと入ってきたフィリップ様は、かなり遠くから「待たせてすまない。帰ろう、送る」と声をかけてきた。
わたしはジェイミーにまたね、と別れの挨拶をし、彼の元へと向かう。けれどドアの近くにいたフィリップ様は、わたしを待つことなくさっさと部屋を出て行ってしまった。
わざわざ部屋まで来てくれたのだから、一緒に馬車へと向かうのかと思ったけれど、だんだんと彼との距離は広がっていくばかり。
今や長い廊下の先で、フィリップ様の姿は豆粒ほどの大きさになっている。そのくせ、チラチラと何度もこちらを振り返っているようにも見えた。何がしたいのかわからない。
もしやまだ怒っているのだろうかと思いつつ、馬車へと着くと流石にエスコートしてくれ、二人で乗り込んだ。
「…………」
「…………」
そしてやはり、沈黙が流れた。理由はよくわからないけれど、話もしたくないくらいに怒っているのなら、こうして待たせた上に一緒に帰る必要があったのだろうか。
そんなことを思っていると、不意にフィリップ様の口からは「き、」という言葉が漏れた。
「…………き?」
思わず聞き返せば、フィリップ様は顔を上げて。その美しい瞳には、不安が色濃く広がっている。
「嫌いに、なっていないだろうか」
そして彼はこの世の終わりのような顔をして、そう尋ねてきたのだ。わたしは予想外の言葉にぽかんとしてしまう。
「何を、でしょうか」
「俺を」
「わたしが、フィルを?」
「ああ」
どうしてそんなことを、そんな顔で尋ねるのだろうか。
「……本当に、すまない。あんなことを言うつもりでも、するつもりでもなかった。本当に間違えた」
確かに彼の言う通り、先程のフィリップ様は色々と間違えていた気がする。言っていることも、色々とおかしかった。過去の謎の設定も、普通に破綻していた。
「あの、別に嫌いになってなんかいませんよ」
「……本当に?」
「はい。でも、どうして行かないなんて嘘を?」
そう尋ねると、フィリップ様は安堵したように深い息を吐いく。そして少しだけ躊躇うような様子を見せた後、口を開いた。
「君に、同窓会に来て欲しくなかったんだ」
「えっ」
「他の男に、シリルに、会わせたくなかった」
なんだろう、それは。意味がわからない。
「……なぜ、ですか?」
「君のことが好きだからだ」
ほら、また。表情一つ変えずに、そんな嘘をつく。
それなのに、やけに真剣な表情を浮かべるものだから、悔しいことに心臓は大きく跳ねてしまう。
「君が俺に黙って参加して、シリルと二人でいるのを見た瞬間、頭に血が上ってあんなことをしてしまった」
「あ、あの」
「本当に、嫉妬でおかしくなりそうだった。頼むから、もうあいつとは会わないで欲しい」
「……フィル……?」
そして彼は、わたしに縋るような視線を向けて。
「君のためなら何でもする。何よりも大切にする。だからもう一度、俺を好きになって欲しい」
そんなことを、言ってのけた。熱を帯びた今にも溶け出しそうな蜂蜜色の瞳に、わたしは言葉を失ってしまう。
──今だって、「もう一度」なんて嘘をついた。やっぱり、フィリップ様は嘘つきだ。嘘つきな、はずなのに。
それでも、ひとつの疑問を抱いてしまう。
だって、あんなにも嘘が下手くそなのに。今の彼の表情は本気でわたしに、好きになって欲しいと訴えているようで。
彼のこれは本当に演技なのかと、疑ってしまったのだ。
「……ヴィオラ?」
「ど、努力、してみます」
「ああ」
ありがとう、と言ってひどく嬉しそうに笑った彼の顔を、わたしはもう見ることが出来なかった。
◇◇◇
「えっ、それ本当にフィリップが言ったの?」
今日も何の連絡もなしに我が家へとやって来たレックスは、わたしの部屋で寛いでいた。ソファで寝転びながら、小馬鹿にしたような顔でわたしの愛読書を読んでいる。
そんな中、最近の出来事を報告させられていたけれど。
「あいつも頑張ってるじゃん、俺ちょっと感動した」
「どうして、そんな嘘をつくんだろう」
「嘘、ねえ……」
彼はソファから体を起こすと、じっとわたしを見た。
「本気で、今もそう思ってんの?」
やはり彼は、今日も痛いところをついてくる。
「……だって、フィリップ様は嘘ばかりつくし」
「お前だって沢山嘘をついてるけど、口から出ることが全て嘘なわけじゃないだろ」
「うっ……じゃあ、本当だって言うの?」
「さあ? 俺は知らないけど」
とぼけたようにそう言うと、レックスは笑った。
「まあ、何でも決め付けはよくないってことだよ。本当のことが何も見えなくなる」
「…………」
「目も耳もついてるんだから、ちゃんと自分で確かめなよ」
そしてレックスはこちらへとやってくると、「お前らはまだまだ子供だなあ」なんて言って、わたしの頭をぐっしゃぐしゃに撫でた。
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