第9話 思いもよらない
「エイベル殿下の誕生日パーティーの招待状だよ。フィリップと二人で来て欲しいって。三週間後ね」
レックスのそんな言葉に、わたしは頭を抱えた。
エイベル殿下はこの国の王太子だ。勿論、断れるものではない。ちなみに殿下も何故か、この男を気に入っている。
レックスにも先程言われた通り、この中途半端な記憶喪失の演技で、大勢の人の中に飛び込んでいく自信などない。先程だって彼に、あっさりとバレてしまったのだから。
本来の予定なら、こんな嘘も事故後フィリップ様に初めて会ったあの日に全て終わっていたはずだったのに。
「……もう、記憶喪失のふりなんてやめようかしら」
思わずそう呟いたわたしに、彼は深い溜め息を吐いた。
「はあ〜、何一つ達成できていないのに、そうやってすぐ逃げるのは昔からのお前の悪い癖だよ。思い出したふりはいつでも出来るけど、記憶喪失のふりなんてもう一生出来ないんだし、勿体ないと思わないわけ? 親まで騙してさ」
「えっ」
「まだ婚約破棄どころか、フィリップが何で嘘をついているかすらわかってないんだろ? 本当にこんなところで終わっていいの? ヴィオラならまだやれるよ。この俺が保証する。だからもう少し一緒に頑張ろう、な?」
何故、わたしはこの男に説教まがいのことをされ、そして励まされているのだろう。「な?」ではない。
けれど、彼の言っていることは悔しいことに間違ってはいないのだ。せめて他の人に言われたのなら、わたしもすんなり受け入れられていたに違いない。
つい弱気になってしまっていたけれど、親まで騙したという言葉によって、わたしはハッと我に返った。
「……ごめん、わたしが間違っていたのかもしれない」
「うん、いいよ。ということで、俺が演技指導に入ります」
「えっ?」
「はい、じゃあ俺は今から知人貴族の役ね」
……そしてその後、突如レックスによるスパルタな演技指導が始まった。途中からわたしは、自分がどこを、何を目指しているのかわからなくなっていた。
けれど彼の的確な指導のおかげで、わたしの記憶喪失の演技は格段に上達することになる。
◇◇◇
それから、一週間が経った。わたしは現在、フィリップ様と共に王都の街中を歩いている。
二人で殿下の誕生日パーティーに参加するのなら、たまにはドレスくらい買ってやれと、レックスがフィリップ様に言ったらしいのだ。
正直、婚約破棄を狙っている身で物を買っていただくのはどうかと思い断ろうとしたけれど、レックスは絶対に行けと言って聞かない。むしろ、18年も婚約していてまともにプレゼントを貰っていないのはおかしい。だから気にするなとまで言われてしまった。彼は一体、どの立場なんだろう。
訳の分からない嘘をつき始めてからのフィリップ様は、以前よりも少しだけ話しやすいこと、先日の演技指導によりボロが出る心配が減ったこともあり、結局彼の誘いを受けて今に至る。最悪、もしもの時はお金を返そうと思う。
そして彼に連れられて行ったのは、王都でも一番人気の半年以上待つと言われているお店だった。流石公爵家だ。そこでは最先端の、とても素敵なドレスを買っていただいた。
「ドレスだけでなく、靴やアクセサリーまで本当にありがとうございました。大切にします」
「ああ」
そして帰り道、馬車へと向かって歩いていると、やけに人の出入りの多い可愛らしいカフェが視界に入った。店の前に立てかけてある看板には、カップル専用と書いてある。
わたしには一生、縁のないような店だと思いながら通り過ぎようとすると、不意にフィリップ様は足を止めた。
「君が好きだった店だ。寄って行こう」
彼は今日もまた、息を吐くようにそんな嘘を吐いた。もちろん、この店に来たことなどない。結局、嘘だと指摘出来ないわたしは彼に言われるがまま店内へと入った。
そして気が付いたけれど、ここのパンケーキは絶品だと以前ジェイミーが言っていたのだ。どんなコンセプトといえど、カフェはカフェ。深いことは気にせず、美味しいものをしっかりと食べて帰ることを決めた。
広い店内はほぼ満席で、その人気が窺える。案内された先にあったのは、やけに狭い二人がけのソファで。カップルが密着できるようにという、店側の余計なお節介からなのかもしれない。
少しでも多くの人を入れる為か、他客との距離も近い。
そんな中で一番人気だというパンケーキセットをお互い頼んだ。フィリップ様も意外と甘いものを食べるらしい。
あっという間にパンケーキと紅茶が出てきて、沢山のフルーツが乗せられた見た目の可愛らしさに、胸が高鳴る。
「そう言えばバーバラ、恋人と別れたらしいわよ」
「へえ、あんなに仲が良かったのにどうしたんだ?」
そして黙々とパンケーキを口に運んでいると、不意に近くのテーブルからそんな男女の声が聞こえてきて。いけないと思いつつも、つい耳を傾けてしまう。すると。
「相手の男が、とんでもない嘘つきだったんですって」
その瞬間、フィリップ様の肩がびくりと跳ねた。
そんな彼の様子を見たわたしは思わず咳き込んでしまい、慌ててティーカップに口をつける。
「確かに、嘘をつく人間なんて信用出来ないよな」
「それも一つや二つじゃなかったみたいで」
「それは冷めても仕方ないさ」
何だかわたしにとっても耳の痛い話が始まってしまった。
ちらりとフィリップ様の様子を窺えば、彼のナイフとフォークを握っている手は完全に止まっている。
「私、嘘つきって大嫌い」
「俺もだよ。特に大切な人に対して嘘をつくなんて、人間として最低だと思う。信じられないな」
「結局、自分さえ良ければ良いと思っているから、そういうことをするのよね」
「ああ。言ってしまえば人間のクズだよ」
周りのカップル達は皆、目の前のクリームたっぷりのパンケーキよりも甘い雰囲気だというのに、思いもよらぬ形で正論で殴られ続けた人間のクズであるわたし達の間には、葬式会場のような重苦しい空気が漂っていた。
「ヴィオラ」
「は、はい」
やがて名前を呼ばれ顔を上げれば、ひどく不安げに揺れる金色の瞳と視線が絡んだ。
「……君はその、嘘をつく男は嫌いだろうか」
申し訳ないけれど、嘘をつくような男が好きな人がいるのなら、ぜひ教えて欲しい。
「まあ、好きでは……ないですね……」
「……そうか」
けれどわたしも人のことは全く言えないため、躊躇いがちにそう返事をしておく。そしてなんとかパンケーキを食べ終えたわたし達は、足早に店を後にした。
「お兄様? どうかしたの?」
「……フィリップとヴィオラが、居た気がして」
そんな言葉に、少女はけらけらと笑う。
「やあねえ、絶対に見間違いよ。あの二人がこんなところにいる訳ないじゃない」
「確かに、そうだよな」
「それにヴィオラ様は事故に遭われたって聞いたけど。大丈夫だったのかしらね」
「…………」
「ふふ、でも今日はお兄様と来てよかった! みんな、羨ましそうに私を見てくるもの。持つべきものは顔の良い兄ね」
そう言って楽しげに微笑む少女とは裏腹に、目の前に座る兄と呼ばれた青年はそれからずっと、上の空だった。
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