第6話 やっぱり、わからない
次々と繰り出される予想外の言葉に動揺していると、静まり返っていた部屋の中にノック音が響いた。
「フィリップ様、旦那様がお呼びです」
「……分かった」
そんなやり取りに、ついほっとしてしまう。
「すまないが、少し待っていてくれ。この部屋の中にさえ居てくれれば、何をしていても構わない」
「わかりました」
そう言うとフィリップ様は眉を下げ、名残惜しそうな表情を浮かべて部屋を後にした。広すぎる部屋の中にひとりぽつんと残されたわたしは、部屋の中を見て回ることにした。
物が少なくシンプルな室内は、なんともフィリップ様らしい。センスの良い高級な家具や調度品を眺めながら歩いていると、やがて大きな本棚の前に辿り着いた。
そこにはわたしには到底理解できないであろう、難しそうな分厚い本がずらりと並んでいた。タイトルを見ただけで頭が痛くなりそうだ。
何かわたしが読めそうなものはないかと上から順に見ているうちに、一番下の段の端に妙な部分を見つけてしまった。一部分だけ、謎の布を被せてあるのだ。明らかに何かを隠しているようなその様子に、わたしの女の勘が冴え渡る。
もしや、人に見られて困る本があるのでは……?
フィリップ様だって男性なのだ、可能性はある。彼の行動が読めない以上、何かしらの弱味を握っておくのも必要だと思ったわたしは「何をしていても構わない」というお言葉に甘え、ドキドキしながらそっと布を外す。
そして、言葉を失った。
「………………」
そこには、「愛される人になるための10のコツ」「新・恋愛必勝本」「はじめての催眠術」「今日から貴方もお喋り上手!」などといった本が並んでいたのだ。どれも読み込んだ形跡があり、付箋までついている。
わたしは自身が想像していたよりも、見てはいけない、触れてはいけないものを見てしまった気がして、そっと被せてあった布を元に戻した。
全体的に彼が読むとは思えないラインナップだったけれど、特に様子のおかしい本が一冊、混ざっていた気がする。
そして何とも言えない気持ちになりながら大人しくソファへと戻ると、丁度ドアが開きフィリップ様が戻ってきた。
「一人にしてすまなかった、もう大丈夫だ」
「は、はい」
彼は当たり前のように再びわたしの隣に腰掛けると、
彫刻のように整った美しい横顔をじっと見つめながら、わたしは18年間も一緒に居たけれど、彼のことを何一つ理解していなかったのではないかと思い始めていた。
完璧で遠い存在に思えていた目の前の婚約者が、あんな本を真剣に読む姿を想像してしまい、つい笑みがこぼれる。
するとフィリップ様はそんなわたしを見て、不思議そうな顔をした後、何故か嬉しそうに小さく微笑んで。
「かわいい」
と、わたしに向かって言ったのだ。あのフィリップ様が、わたしに。
彼に可愛いなどと初めて言われたわたしは、自分の耳を疑った。誕生日の際に豪華に着飾り、皆にお姫様みたいだと褒められた時にだって、彼はしばらくじっとわたしを見つめた末、何も言ってはくれなかったのに。
一体、どういう風の吹き回しだろうか。ついどきりとしてしまった自分に、油断してはならないと言い聞かせた。
「来週末、なにか予定はあるだろうか」
「な、何もないですけど……」
「良かった。良ければ一緒に出かけないか」
「えっ」
「当日は、ウェズリー家に迎えに行く」
そして結局、彼が嘘をつく理由などわからないどころか謎は深まったうえ、次に会う約束までしてしまい、完全敗北のままその日はとぼとぼと家に帰った。
◇◇◇
そして、約束の日。わたしは我が家へと迎えに来てくださったフィリップ様と共に、馬車に揺られている。
どこへ行くのか尋ねると、彼は真剣な表情を浮かべた。
「記憶喪失状態の人間は、記憶を失う前と同じ行動を取ることで、過去を思い出すきっかけになると本で読んだ」
「そうなんですか?」
「ああ。だから今日はヴィオラの記憶を取り戻す為にも、過去に君と行ったことのある川に行こうと思う」
「川……?」
いや、そもそもフィリップ様と一緒に川に行ったことなど無いんですけど。むしろ川自体、遠目で見たことしかない。
やはり彼は今日も、性懲りもなく訳の分からない嘘をつき始めた。全く、油断も隙もない。しかも何故、フィリップ様は川を選んだのだろうか。せめて湖にして欲しい。
思い返せば彼と何処かへ一緒に出かけたことなど、ほとんどなかった。社交の場に出る時と、公爵様に勧められて流行りのオペラを一度見に行ったことがあるくらいだ。
「ほ、本当に、川に行くんですか」
「ああ。釣りをする」
「つり」
フィリップ様が一体何を考え、何の為にわたしと川に釣りをしに行くのか、いくら考えてもわからない。わかることがあるとするならば、彼はわたしに記憶を取り戻させる気など全くない、ということくらいだろう。
馬車は無情にも、まっすぐ近くの川へと向かって行く。
フィリップ様と出掛けると伝えたところ「まあ、デートですか? フィリップ様なら、とてもお洒落な所へ行くに違いないですね」と言って、一生懸命わたしを着飾ってくれた我が家のメイド達は、この事実を知ったら泣くに違いない。
──そして失ってもいない記憶を、思い出せるはずもない方法で取り戻そうとする、茶番過ぎる一日が始まったのだった。
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