第4話 嘘と本当と


「……ヴィオラ?」


 フィリップ様に名前を呼ばれ、近距離で顔をじっと覗き込まれたことによって、呆けていたわたしは我に返った。


 彼と繋いでいない方の手で、ドレス越しに太腿をつねってみても普通に痛い。これが夢ではないのなら、先程の彼の言葉は、わたしのひどい聞き間違いだったに違いない。


「ええと、今なんて……?」

「愛し合っていたと言った」

「誰と誰がですか?」

「君と俺だ」

「えっ」


 どうやら、聞き間違いではなかったらしい。あまりにも突拍子もない嘘に、わたしは驚きを隠せずにいた。


 彼が何故こんな嘘をついているのか、見当もつかない。まさか記憶喪失だというのが嘘だとバレていて、その上での新手の嫌がらせなのだろうか。


「ご、ごめんなさい、両親からはそのようなお話は聞いていなかったので、驚いてしまって……」

「ああ。君は人前では甘えてこなかったから、子爵夫妻が知らないのも無理はない」


 本当に待って欲しい。それは一体、誰の話だ。人前でなければ甘えていたとでも言うのだろうか。


 いつもの無表情に戻った彼の顔をじっと見つめてみたけれど、何を考えているのか全く読めない。わたしはしばらく悩んだ末、とにかく今は彼の話を聞いてみることにした。


「その、記憶がある頃のわたしはフィリップ様と、」

「フィルだ」

「えっ?」

「君は二人きりの時、俺のことをフィルと呼んでいた」


 すると彼はまた性懲りもなく、そんな訳の分からない嘘をつき始めた。いい加減にしてくださいと、思わず言ってしまいそうになるのを堪えた後、わたしは再び口を開いた。


「ええと、フィリップ様と、」

「フィル」

「フィ、フィルといる時の、過去のわたしはどんな感じだったんでしょうか」


 押し切られる形でフィルだなんて呼んでしまったものの、違和感しかない。そしてわたしの質問に対して、彼は何故か少しだけ悲しそうな、傷付いたような顔をした。


「……記憶を失う前の君は俺のことが大好きで、顔が見られるだけで幸せで、俺が他の女性と会話するだけで嫉妬してしまうといつも言っていた」

「だ、大好き……?」

「ああ。ベタ惚れだった」

「べたぼれ」


 とんでもない嘘のオンパレードに、わたしは頭痛すら感じ始めていた。やけにリアルな内容な上に、彼はさらりと当たり前のように言うものだから、自分の記憶がおかしいような気さえしてくる。


 このまま彼のペースに飲まれてはまずいと思い、一旦冷静になったわたしはふと、ひっかかりを感じた。


 「愛し合っていた」ということはつまり、彼もまたわたしに対して好意を抱いていた、いや、いるということになる。まさかとは思いつつも、恐る恐る「もしかしてフィルは、わたしのことが……?」なんて尋ねてみた。


 すると彼は驚いたように少しだけ目を見開いた後、小さく笑って。繋いでいた手を口元に持っていくと、わたしの手の甲にそっと唇を落とした。


 あまりにも自然で美しいその仕草に、つい見惚れてしまう。まるで、お伽話に出てくる王子様のようだった。



「俺は物心ついた時からずっと、君が好きだ。もし君が死ねと言うのなら今すぐ死ねるくらい、愛している」



 そして、そんな彼に最上級の愛の言葉を伝えられ、甘い蜂蜜色の瞳で見つめられたわたしは、思わず息を呑んだ。顔がじわじわと熱くなり、心臓が早鐘を打ち始める。


 ……先程から彼は嘘ばかりついているのだ、この言葉だってもちろん全て、嘘に決まっている。


 そう分かっていても、悔しいくらい胸が高鳴ってしまう。きっと彼の顔が良すぎるせいだ。ついでに演技が上手すぎる。あと、死ななくていいから婚約破棄をして欲しい。


「そ、そうですか」


 動揺してしまい、そんな返事しかできなかったわたしに、彼はなおも続けた。


「だから、婚約破棄はしたくない。もしも婚約破棄をした後に記憶が戻れば、君も悲しむだろう」

 

 記憶があったところで悲しむどころか喜ぶとは勿論、言えるはずもなく。


 荒唐無稽な作り話を聞かされ、愛の告白まがいをされたわたしは今、どうするべきなんだろうと頭を悩ませた。


 そもそも、誰よりも賢く冷静なフィリップ様が、意味もなくこんな嘘をつくとは思えないのだ。今わたしとの婚約を破棄すると、困るような何かがあるに違いない。


 あんな歯の浮くような台詞を言ってまで、婚約し続けなければならない理由とは一体、何なのだろう。


 それにしても、事故や後遺症にかこつけて他人を騙すなんて、人として最低ではないだろうか。そう思った直後、その考えはブーメランのようにわたしに突き刺さっていた。


 そうして罪悪感に襲われていると、不意に「ヴィオラ」と名前を呼ばれて。ゆっくりと顔を上げれば、ひどく真剣な顔をしたフィリップ様と視線が絡んだ。


「もしも君が嫌なら、社交の場になんて出なくていいし、何一つ出来ないままでいい。全て俺がなんとかする」

「……えっ?」


「だから二度と、俺から離れていこうとしないでくれ」


 そう言った彼の声や表情は、あまりにも悲痛なもので。


 これもまた、婚約破棄を防ぐための台詞なのだろうと思いつつも、わたしはつい、こくりと頷いてしまった。

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