第14話 浮舟堂にて

 浮舟堂に来ていた。ここ数日長雨が続いたのもあって、こないだ買った本を全て読み切ってしまったのである。

「やあ。須磨。そろそろ来るころだと思ってたよ」

「お前は、預言者も始めたのか」

 俺はぶっきらぼうにそう言うと、本棚に目を向ける。今度はどんな本を読もうか。天体観測用の雑誌なんかあれば良いのだが。

「お茶飲むかい」

「いいねえ。うんと冷えた奴で頼むよ」

 俺は明石を見ずにそういうと何冊か本を引き出していた。推理小説である。昔からこの手の本は好きで、あてもなく読み漁ったものだ。

「須磨。その辺の本は全部読んだんじゃないかな」

「まあな。だが読んでないのも何冊か有るみたいだ」

 俺はそれらの本を抜き取ると、レジの方に向った。明石は丁度、お盆の上に、お茶を乗せてきた所だった。

「これくれ」

「須磨は僕の扱いが雑だね。瑞穂ちゃんに対してもそんな感じだし、東京でもそんな感じだったのかな」

「余計なお世話だ。ほら会計をとっとと済ませてくれ」

「はいはい」

 明石は俺の本を手に取り袋に詰めた。

「上がらせてもらうぞ」

 俺はそういうと、返事も待たずに奥の書斎の方に足を入れていた。

 机の上には、氷の入ったお茶が2つ置いてあった。きんきんに冷えている。

 俺はそれを1つ手に取りごくごくと飲み干した。

「ぷはーっ! 生き返るわ」

「須磨。こないだも生き返ってなかったっけ」

「そうだったか。忘れた」

 俺は適当に相槌を打つと、書斎の畳にごろんと寝転がった。

「須磨。毎回お茶を入れてあげる僕も悪いけど、この書斎はリクライニングスペースじゃあないんだけどな」

「いいじゃないか。減るもんじゃないし」

「畳が擦り減ってるかも知れないじゃないか。そうやって横になる度に、畳が擦り減っていくんだ。最終的には底が見えてしまうかもしれない」

「ずいぶん文学的な表現だな」

「僕はこれでも文学者だよ」

 そういうと、俺の背中にぽんと、紙袋を乗せた。さっき買った小説だった。買ったは良いが持ってくのを忘れていたのだ。

「はい。忘れ物」

「なあ、明石。この古本屋儲かってるのか」

「急にどうしたんだい須磨。失礼な事を聴くじゃないか」

 明石は眼鏡をくいっと上げて、抗議のまなざしを向けてきた。。

「いや気になったんだよ。生活できるほど稼げてるのかなって」

「そう言う事をストレートに聴くのはどうかと思うよ」

 そういうと明石は俺にうちわを寄こした。俺はぱたぱたと仰ぎながら、首をコキコキと鳴らし、さらに明石に訪ねた。

「で? どうなんだ。実際」

 明石はふうっとため息をつくと、俺の横に腰を下ろした。

「んー。生活するには困らない程度には稼いでいるよ」

「そうか。生活厳しいのかなと思っていたよ」

「おあいにくさま、これでも上手く切り盛りしてるんだ。学校とか図書館に本を卸したりもしているんだぜ」

「へぇ。意外だな古本屋の経営には興味は無いと思っていたよ」

 俺はそういうと、半開きの窓を全開まであけた。外から、ゆるやかにだが風が入ってくる。

「おいおい。いきなり窓をあけないでくれよ。原稿が飛んでしまう」

 明石が再び抗議してきた。彼は机の上に乗っている原稿をまとめて、机の引き出しの中に入れた。

「進んでるのか? 小説」

 俺はさらに無遠慮に話を振った。もっとも俺と明石の仲だ。これくらいのことは日常会話の範疇である。

「こないだも言いったろ? まだ六割くらいしか進んでいないよ」

「つまりあれから全然進んでないってことか」

「いうなよ。須磨。僕だって焦ってはいるんだ」

 その言葉をさえぎるように、俺は胸ポケットから煙草を取り出した。それをみて明石は、灰皿を用意してくれた。

 俺は煙草に火をつけ吸いこみ、すぱーっと煙を吐いた。煙は外にむかってゆっくりと流れていく。

「お前、この店畳んで東京に出てくる気はないか?」

 俺は煙草をくゆらせながら、明石の方を向いた。明石は一瞬驚いたような顔をして俺を見つめていた。目と目が一瞬合い、そして離れた。

「東京? なんでまたそんなことを言うんだい」

 明石は疑問を口にした。もっともだ。なんでこんなことを言ったのか俺自身もあまり判ってはいなかった。ただ、明石があまりにも、のんびりとした感じだったので、世の中はそんなに甘くないんだぞってことを言いたかったのかもしれない。

「東京はいいぞ。何でも揃ってる。小説を書くのには良い環境だ」

 俺はありふれた言葉を返していた。本心では自分の言葉に戸惑っていたのだが。

 明石はうーんと考え込むと、懐からキセルを取り出した。俺はそれに火をつけた。細い煙を明石は吐き、窓の外を眺めながら呟いた。

「なるほど。魅力的な提案だね。だけど、僕にはその気はないよ。なぜなら、この町が僕は好きなんだ」

「それはやりたいことよりも勝る事なのか」

「アイデンティティーと言ったらいいのかな。つまるところ、僕の小説の原点はこの町で、この町を離れたら僕の小説はもう、僕の小説ではなくなってしまう。そんな風に感じるんだ」

 トンと、明石は灰皿に灰を落とした。俺の煙草も灰が零れそうだったので、慌ててそれにならう。

「そんなにこの町がいいかねえ。俺には物足りなく感じるけどな」

「それは、須磨がこの町以外を知っているからだよ」

 ならばなおさらこの町を出てみれば良い──。そう言おうとして言葉をつまらせた。明石の顔が何処となく寂しそうだったからだ。

「雲が出てきた。ひと雨ふりそうだ」

「なら、帰るかな。お茶ごちそうさん」

「雨宿りしていけばいいのに」

「いや。早めに帰るよ。まだ間に合いそうだし」

 俺は立ち上がって、先ほどのように首をコキコキと鳴らし、軽く伸びをした。

「小説頑張れよ」

 俺はそういうと、明石の肩をぽんと叩く。

「須磨」

 明石が帰ろうとした俺に声をかけてきた。

「君は東京に帰りたいのかい?」

 明石の真剣な声に俺は思わず、ぷっと吹き出してしまった。

「別にそんなんじゃねーよ。ただ、お前にはチャンスがあるのになと思っただけさ」

 明石がどんな顔をしているのか俺は振り向かなかった。代わりにひらひらと手を振って、浮舟堂を後にしたのだった。

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