第5話 焼き豚玉子飯を堪能した後

明石とは別れ駅の方へと歩いていた。

幸いにして雨は降らず、雲間から照りつけるような日の光が覗いている。

自転車を買うのだ。車も無く移動手段が徒歩だけというのはいくら市内に住んでいるとはいえ、心もとない。

自転車屋が有った場所はどこだったかと頭をかきながら歩いていると、程無くして見つかった。

自転車屋に入ると、いらっしゃいと声が掛った。50代くらいの温厚そうなおじさんが出迎えてくれた。

「移動用の自転車が欲しくて」

俺はおじさんに目的の物は無いか尋ねた。おじさんは店の中にひっこむと、一台の自転車を持ってきてくれた。

その自転車は白をベースとしたクロスバイク。ちょっとでかけるのには丁度良いサイズで、折りたたみも可能なのだ。アパートの前では雨ざらしになる所を、家の中に持ち込めるという点でも魅力的だった。

俺はその自転車を持ち上げてみたりペダルを触ってみたりした。どうやらこの自転車でよさそうだ。

俺は現金でその自転車の支払いを済ますと、おじさんに言った。

「このまま乗ってくよ」

そう言うと、説明書だけ受け取り、俺は自転車に飛び乗った。

街の中をぐんぐんと進んでいく。歩くのに比べたら、非常に快適だ。漕ぎ心地も悪くない。

俺は自転車に乗りながら、ブレーキの効き具合とか、ギアの切り替えとかを試しながら、家路に向っていた。

試行錯誤すること、10分足らずで家に到着。自転車と同時に購入したU字型のロックを掛けて、家の前に置いた。

これから世話になるぜ相棒。そんな事を思いながらぽんとシートを叩く。軽く儀式めいた事をしてから、家の中に入った。

にやけながら、布団に転がる。

自転車を買っただけでこれだけ気持ちが高ぶるのかと心のありように驚いていた。

胸ポケットから煙草を取り出して一服。ようやく気持ちが落ち着いてきた。

夕方くらいにまた出かけよう。そんなことを考えながら、煙草をふかし灰皿でもみ消す。

さて、夕方まで時間がある一眠りするか。俺は流しで口をゆすぐと、床に就いた。

平日の昼間からこうして横になる事が出来るのも無職ならではの特権である。役得役得などと考えながら俺は眠りに落ちていった。



目が覚めると外はすっかり日が傾いていた。

窓を開けると涼しい風が流れてくる。出かけるのには丁度良い時間だ。空は雲が流れており、絶好の夕焼け日和になっていた。


顔を洗い乱れた髪を軽く溶かすと、外に出た。

自転車の鍵を外しハンドルの袖に掛ける。

そして俺は自転車にまたがり、黄昏の街へと漕ぎ出した。

ぐんぐんと速度を上げながら、何処に行こうか考える。当てもなく運転するのもいいが、目的地は明確にした方が良い。

俺は逡巡したのち、海を見に行く事に決めた。

海外線に沿うように自転車を走らせる。車には負けるがやはり早い。あっという間に1km2kmと進んでいく。

目的地はしまなみ海道の来島海峡展望台。今の時間なら日が沈むのもみれる筈だ。

流れる景色は街並みから、緑地帯に変わっていた。周りには民家は少なく、海道を通ろうとするトラックなんかが走っている。

俺は車の走行の妨げにならない様に自転車を器用に操作していた。買ってから数時間しか立っていないのに、もう自分の体の一部になったような気がする。

県立病院の横を通り抜け、自転車はぐんぐんと進んでいく。太陽は丁度、海へとかかりそうになっていた。

このままだと沈むのには間に合いそうにないかもしれないな。そう思い俺はペダルを漕ぐ足に力を込める。

小学校の横を通りすぎ、大通りの角を曲がる。それからいくらか漕いで行くとインターチェンジが頭上に見えた。

ここまで来ると民家も少なくなってくるかと思いきや、小さな港町が見えてきた。港の作業場を通り過ぎると、海が近いのか何処か磯の香りがした。

俺は途中に見えたコンビニで少し休憩をする。

コーヒーを買って一息つくと、俺はまた自転車にまたがった。

緑地の間を抜け、頭上に高速道路を眺めながら走る。自転車専用道路になり、思ったより速度を稼げるようになった。

目の前にトンネルが見えてくる。これを超えると、目的地までもうすぐだ。

トンネルは数メートルで終わった。このトンネルは何のために有るのだろうかなどと考えているうちに、通り過ぎてしまっていた。

トンネルを抜けると、目的地の展望台は直ぐだった。自動車の駐車場スペースがあった。

自転車を駐輪場に止めて、自動販売機で水を買う。

夕暮れとはいえ、夏である。自転車を漕いでいる時には気づかなかったが、開襟シャツがじっとりと汗ばんでいた。

こんなことになるなら、タオルでも持ってくるべきだったなと心の中で毒づいた。

展望台は人がまばらにいるだけでいたって静かな場所だった。

俺は多角形でできた展望室を通り過ぎ、海の方に近づいていく。

先ずはしまなみ海道の大きな橋が見え、続いて大小の島々が見える。夕日はその島々を避けるようにしてあった。丁度海に沈むのが見える。どうやら一番良い時間にこれたようだ。

水で喉をうるおしながら沈む夕日を眺める。贅沢な時間だった。この時間は誰にも邪魔をされたくない。そんなことを考えていると、

「須磨先輩!須磨先輩じゃないっすか」

甲高い声が聴こえた。声の方をみると、一昨日有ったばかりの竹河瑞穂がそこにいた。

「なんでお前がここにいるんだよ」

俺はため息をしながらそういった。

「なんでって、手品の練習すよ。毎週ここで練習するんす」

そういって瑞穂は手品道具を器用に俺に見せつけてきた。

「先輩こそどうしたんすか。こんなところに。何で一人でいるんすか。ロマンすか。ロマンをもとめちゃったって奴ですか」

瑞穂は俺を指さしながら、けらけらと笑っている。昔からそうだった。瑞穂はからかいだすと、止まらない。

「そ、そんなんじゃねーよ。ちょっとしたサイクリングだ」

俺はけらけらと笑う瑞穂に若干うんざりしながら、再びため息をついてそう答えたのだった。

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