第4話 二日後の朝

二日後の朝、明石から電話が掛ってきた。

「改めて再会さいかいを祝いたい。積もる話もあるからね」

と、いったような内容だった。俺は車を持っていないので、明石が、うちまで迎えに来るという。

 シャワーを浴びてぼんやりと煙草たばこを吹かしていると、明石あかしから再び電話が掛ってきた。どうやら、ついたらしい。

たんすにしまってあった開襟かいきんシャツに着替えると、外には軽自動車けいじどうしゃが一台止まっていた。

「やあ、須磨すま。こないだぶりだね」

明石あかしが車から降りてにこやかな笑みを浮かべそういった。俺は左手を軽く上げ挨拶をすると明石の乗ってきた車の助手席に乗り込んだ。

「こんな時間に何処どこに行くんだ」

俺は時間を差して言った。明石あかしが到着したのは午前中、飲み屋もやっていないしランチを食べるには少し早い。

「久しぶりに馬でも見たくなったのさ」

明石はそういうと車を発進させた。彼の性格らしい几帳面きちょうめんな運転だ。

「ふーん。馬ね」

俺はそう言うと、胸のポケットから煙草たばこを取り出した。

「いいか?」

俺は明石に尋ねる。明石は無言で吸いがら入れを差しだしてきた。

煙草に火をつけ煙をたゆらせる。馬。競馬場けいばじょうでも行くのだろうか。

車はだらだらした坂の途中で不意に駐車場ちゅうしゃじょうへ入り、ゆっくりと停車する。どうやら競馬場けいばじょうでは無いらしい。

 「愛媛で馬といったらここだよ」

明石は手を看板に向ける。そこには、『のまうまハイランド』と、書いてあった。

 「のまうま。野間馬のまうまか」

 俺は記憶をたぐる。そう言えば今治ではこの馬の保護と飼育をしているんだっけ。

 明石は何度も来ているようだ。慣れた足取りで駐車場近くのログハウス方面に足を運んでいた。

 「こっちだよ」

 明石はログハウスを通り過ぎ、その先を目指しているようだった。

 「ここが第一放牧場だいいいちほうぼくじょう、さらに奥にあるのは第二放牧場だいにほうぼくじょうだよ」

 そこにはサラブレットより足の短い馬がのんびりと佇んでいた。草を食べたりのっしりと歩いていたりする。回りを見渡すがどうやら見学客は俺たちだけらしい。

 「考え事をする時なんかは良くここに来るんだ」

 明石は柵の方を見ながらそう言った。

 「馬なんかみてどうするんだ」

 俺は率直に言葉を発していた。考え事するなら景色けしきを見たりすれば良いんじゃないのか。という疑問が頭に浮かんだからだ。

「馬は良いよ。のんびりとして雄大でそして言葉を発しない」

 明石は馬の方を向いてこっちには顔を向けない。ぽつりぽつりと言葉だけが、こちらに向ってやってくる。

「まあ、確かに馬は言葉を話さないな」

 俺は言葉を返す。牧歌的ぼっかてきな雰囲気。大きな入道雲にゅうどうぐもが空の向こうにあってその前には何を考えているのか判らない馬がそれぞれ思い思いの行動を取っている。

「なあ。須磨」

 明石は唐突とうとつに俺の名前を呼んだ。一瞬びくっと体が強張ってこわばってしまった。

 「向こうで何があったんだい」

 明石はいまだにこちらを見ずにそういった。向こう──。俺がこの前までいた街の事を言ってるのだろう。いや、街というより俺のライフスタイルそのものを指しているのだろう。俺の古くからの友人は俺の帰郷ききょうを心配しているのだ。

「特に何もないな。急に嫌気いやけがさして帰りたくなったんだ」

 俺はあった出来事をそのまま口にした。数秒の沈黙ちんもく。明石はまるで言葉を一つずつ呑み込むようにしているのが後ろ姿からも判る。

 その時遠くの馬がいなないた。沈黙ちんもくは破られ明石はこちらを振り向く、変わらない柔和にゅうわな笑みを浮かべる明石。その顔を見た時、俺は安堵あんどにも似たため息が口からこぼしていた。

「理由が無いのが須磨すまらしいね」

明石は透き通るような視線を俺に向けてくる。

「まあな。理由が有ればもう少し身の振り方も変わっていたのかも知れない」

俺はそう、つぶやくと馬の方に視線を向ける。そう、理由がないのだ。俺は理由もなく会社をやめ、理由もなく彼女と別れ、理由もなく上京じょうきょうの地を後にしていた。明石は少し考えるような素振りを見せ、また馬の方を向いて俺に言葉を投げかけてきた。

「これからどうするんだい」

当然の質問だった。これからどうするのか。いつまでも仕事をしないわけにはいかない。何もしなくても人を生活するのにはお金がかかるのだ。いつかは仕事を見つけ生活を繋いでいくしかない。

「まだ考え中。当分は、こっちにいるつもり。当分は、のんびりしようと思う」

俺はそう答え馬の数を数えていた。数えながら考える。今はそれしか答えを持ち合わせていない。自分でも判らない事を聴かれ言い淀んでよどんでしまった所はあるものの、ざっくりとした回答はこれしかなかったのだ。

「そうか。それが須磨の今の答えなんだね」

 明石がそう言うと遠くでまた馬がいなないていた。俺はいななく馬を探してながら明石の方に近寄ったちかよった

「見つかるといいね」

明石が静かに話を締めくくる。同時に一頭の馬がこちらに近寄ってきた。どうやら人懐っこいひとなつっこい馬のようだ。

馬が近付いてくるのを二人で眺めていた。

「ここの馬は大人しいんだよ」

明石はそういうと近づく馬に無言で小さく手を振る。

「サラブレットなんかは警戒する馬もいるんだけどね」

「お前の方はどうなんだよ」

 俺は近づく馬を見ながら明石に訪ねた。今度はこちらが聴く番だ。

「そうだね、親が仕事をやめて松山の方に移り住んだから、自分はそのあとをついでのんびりやってるよ」

 明石は馬の方を見つめそういった。一国一城いっこくいちじょうの主という訳か。古書店こしょてんとはいえ、自分で切り盛りするのは楽しいんだろうなと俺は思った。

「あっちの方はまだ続けているのか」

 俺は過去を思い返し明石に聴いた。あっちの方とは、明石が趣味にしていた小説書きの事だ。彼は昔から文才があった。何度か読ませてもらった事がある。

「まあ、ぼちぼち書いてはいるよ。たまに賞に送ってみたりして」

どうやら既に趣味の域を超えているのかも知れなかった。賞に送ると言う事は本格的にやっているという事だ。

「佳作を取る事もないんだけどね。反応はいま一つなんだ」

 明石はそういうと、馬に手を振るのを辞めた。横顔がどこか寂しそうだった。

古書店こしょてんで食べ繋いで、また新しい作品を送る。その繰り返しだよ」

明石が顔を伏せてさくによりかかった。きぃと音がする。

その音を聴いたのか近づいてきた馬がきびすを返して反対側に向っていってしまった。

「どうやら、馬に嫌われてしまったみたいだね」

苦笑しながら彼は顔をあげた。さくで汚れた手をぱんぱんと腰ではたいている。

「そういえば──」

 明石が俺の方を向いて言った。

「瑞穂ちゃんとはいつ」

 いつ再会したのか。そう言いたかったのだろう。俺は軽く伸びをしながら応える。

「ん? なんだ聴いてなかったのか。偶然ぐうぜんだよ。駅に向って歩いていたら、あいつがパフォーマンスやってる所をみつけたんだ」

「突然だったからね、須磨先輩が帰ってきたから明石っちもくるっすって」

 明石が瑞穂の真似をした。如何にもいかにも瑞穂らしい言いぶりだ。

「手品、大学卒業した後もああやって続けているんだよ。バイトして合間をみては駅とか人通りの多い所で披露して居るんだ」

 明石は空を見上げた。さっきまで遠くに有った雲がこちらに向って伸びている。あと数十分もすれば、俺たちの居る場所も覆い尽くすに違いない。

「駄目だねこれは、ひと雨きそうだよ」

明石はそう言うと車の方に歩きだした。どうやら積もる話はこれでおしまいのようだ。

「このまま帰るかい。それとも何処かで食事でもしようか」

そう言えば、朝から何も食べていなかった。時刻はちょうど昼時、ランチの時間だ。

「そうだな。どっかで飯食っていくか」

 俺はそういうと明石に続いた。

「何を食べようか。近くに喫茶店とかあったかな」

車に向いながら明石は、色々と候補を挙げてきた。それに対して俺は一言。

焼き豚玉子飯やきぶたたまごめし

と答えた。どんなものかというと、あつあつのご飯の上に、焼いたチャーシューと目玉焼きが載っている。今治を代表するソウルフードだ。

「ああ。須磨の大好物だったね。」

 明石はくすりと笑う。確かにあれは俺の昔からの大好物だ。高校時代も良く食べたし、上京してからも自分で作ったりしたもんだ。

 車に乗り込むと、明石はカーナビを操作して目的地を決めている。目的地は焼き豚玉子飯発祥の中華料理屋だ。

 「混んでないといいんだけどな」

 俺はそういうと、車は発進した。今度は煙草を吸わない。食事前には吸わないようにしている。せっかくの焼き豚玉子飯やきぶたたまごめしが煙草の味で損なわれてはもったいない。

 ポケットの奥に煙草をぎゅっと押し込む。運転中の明石がそれをみて、くすりと笑った。

 気に入らないな。まあでもこの後の食事に免じて許してやるか。そんな事を考えながら、流れる景色を眺めていた。

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