てんてこが空を舞うために

かたなり

てんてこが空を舞うために



──てんてこが空を舞った。私はそれをじっと見上げていた。


二人だけで、こっそりと続けてきた特訓だった。


「てんてこって、ホントに飛べるんだねえ」


私の口から出たのは、そんなとぼけたセリフだった。初めての成功だ、もっとなにか気の利いたことでも言えればよかったのに、どうにも私は口下手でいけない。てんてこはずっと飛びたがっていたのだから、その成功は友人である私が誰よりも祝福してしかるべきだろう。

でも、それに素直に喜べない自分がいるのも確かだった。


「ね、わたし飛べた!飛べたよ!!見てた?見てたよね!?」


てんてこの伸ばした赤毛がぶんぶんと揺れた。

あらあら、喜んじゃってまあ。でも考えれば苦節三年、四年かしら?ほとんど毎日彼女はここ、下層の中でもずいぶんと日の当たりが悪い、第四居住区跡地で練習していた。ずっと知っている。この子は、努力ができる子だ。


「うん、見てたよ。すごいじゃない!」


二言目にして、ようやく祝福の言葉が出てきた。いいぞ、その調子だ私。


「ありがとう!これでわたし、上に行けるのね?」

「……え?ええ。そうね。」


動き始めた瞬間口はあいまいに開いたまま、私の頭だけが頷いた。


「わたし、わたしはね!上層に行きたいの!ううん、空をね、もっと自由に飛びたいの!」


てんてこはそう言って、曇った色の空を振り仰いだ。

つられて私も上を見た。きっとてんてこには、あの空が輝いて見えているのだろう。いったい何色の空が見えているるの、と、聞いてみたかった。私のそれと違っていたとしても、決して否定したくはなかった。だって私は、てんてこの友達なんだから。


「そうね。あなたなら、きっと行けるわ。」


てんてこが飛べた今、彼女が遠いところに行く日はすぐだってわかっていた。だって彼女を育てるのがこの私、きりきりの役目だったんだから。


──てんてこは天手子、天から遣わされた子供だ。いつか上層で務めを果たし、空を舞うのが彼らの役目だ。





「あなたはそう、教わっていたのね。」


だいぶ昔の話だ。


「はい。」


そう言って踵を返した彼女の背中からは、キリキリと、歯車がきしむような音がした。

私は物覚えが良くて、昔のことでも、つい昨日のように思い出せる。それが役立ったことはあんまりないんだけど。


「あなたは死ぬのが怖くないの?」

「いえ、ご存じの通り、”私たち”はいくらでも替えが利きますので。」


ソレは答えた。


「でも、天手子は、飛ばなければいけません。空を、舞わねば。」


 私はそんなの、クソくらえだと思った。勝手に人のやることを決めるな。"全ての"きりきり達の中で、なぜ私だけがそう思ったのかはわからない。でも、空を飛びたいという気持ちはなんとなく、大切な気がした。寿命の短い私が、無意識に諦めていたもの。たぶん根源的なところで、自由だとか、こうしたいと思う夢みたいなものに、憧れたんだろう。だから私は自分の担当する天手子とは仲良くなろうと思った。そして、その子が空を飛びたいなら、全力で応援しようと思った。





 下層にいた頃、てんてこは本物の空を見たことは無かった。

だが、それが美しいものだとは聞いていた。

美しいというのがなにかはあんまりよくわかっていなかったが、てんてこが大好きな彼女が、美しいと人に言われることは知っていた。だから、空が美しいものであるならば、きっと彼女のような形をしていて、彼女のような匂いがするのだろうと思った。

てんてこにとって、きりきりは初めて喋った相手であり、先生であり、かけがえのない友達だった。


「これは空じゃないです!」


そういうわけで、初めて空を見たてんてこは叫んでいた。


「いやこれが空です」


てんてこを連れてきた男性は何を言っているんだこいつは、といった調子で呆れたように訂正した。たしか指導教官だと言っていたっけ。


「いやでも」

「でもじゃありません。これが空です。」

「えー」

「何が不満なんですか、てんてこさん。」

「だって、」

だって、


─―空がこんなに真っ暗だなんて、知らなかったのだ。


「ああ、空が青いというのは昔の話ですよ。」


合点がいった、という顔で指導教官は口を開いた。


「この国では常時3000門のミサイルにより攻撃を受けています。それを防いでいるのが、この塔なのです。」


煙なのか、何かの破片が混ざっているのか、外の見える素材でできた壁の向こうは、とうてい見通せるような色合いをしていなかった。どういう理屈か音こそ聞こえないのだが、ドンッ…ダン…と定期的に振動が響く。男の言う通り、ミサイルのせいなのだろうか。

空は灰色に燃えていて、塔の中だけが静けさに包まれていた。


 塔はてんてこが暮らしていた下層から遥か上、一本の糸のように繋がった昇降機で結ばれていた。てんてこが空だと思っていた景色は、白く塗られた下層の屋根で、今のてんてこでは飛び上がれないほど高いところへ向かう昇降機にわくわくしていたのも数時間前のこと。てんてこは早くもきりきりが恋しかった。

塔、つまりこの国の最上層での一日はこんな風にして過ぎてゆき、てんてこは与えられた部屋にひとりで眠った。


 天手子と呼ばれる子供たちは10人ほど集められていた。いずれも空中を飛ぶことができた。ただ、みな各々の名前を持っていたから、「てんてこ」なんて呼ばれていたのは赤毛の少女だけだった。どうしてきりきりは私のことをてんてことしか呼ばなかったのだろう、とちらっと思ったが、新しい同年代の友達を前に、それは些細なことだった。

指導教官は子供たちの生活を補佐し、学ぶべきべきことを教えた。食事や風呂は与えられた空間があり、下層での暮らしよりはるかに豊かなものだった。

ここでの生活になれた頃のある日、指導教官は子供たちを集めた。


「さて、天手子として無事に飛翔できるようになった皆さんには、”まい”を覚えてもらわないといけません。」

「まい?」

「そうです、あなた達は塔の最上階、この場所の上の部屋で空を舞うのが仕事になるのです」

「???」

「難しく考える必要はありません。いくつか検査をしたのち、来週から”舞”の稽古をしましょう。」


 しばらくは、頭にヘルメットを着けたり電極を刺したり、なんだか大掛かりな検査がいくつもあった。そしていよいよ塔の最上階に行くことになった。


塔の最上階は青い光で満ちたドーム型の部屋になっており、そこでは自由に飛ぶことが許されていた。


ドームの中で飛ぶと不思議と眠いような、心地よい気分になって、それは周りのみなも同じようだった。あんまり覚えていなかったのだが、どうやらそれが”舞”というものらしい。数週間もするとすっかり慣れて、あまり疑問も湧かなくなってしまった。てんてこは”舞”がとっても上手らしい。ぼんやりとうれしくなった。うれしいことがあったから、うれしかったことを誰かに伝えたかったのだが、誰に伝えたかったのかは、どうしても思い出せなかった。





 てんてこに会えなくなって数年が経った。

変わらず下層ここから見える空は灰色だ。


「てんてこが上層へ向かった日、私はこれまでの報告書をすべて中央に送りました。」


私は男に答える。


「そしてその足で禁止区域の情報を盗み出した、か…。いくらその権限を持っていたとはいえ、豪胆な。」


「納得したかっただけです。そして、私は納得できなかった。」


そうだ、私はこの結末を納得したくなかった。


「結局、天手子とはなんなんだ?」


「天手子自体は、DNA上ただの人です。ただし、あの子たちは空が飛べる、つまり脳に一般的な人類と異なる処理回路が備わっていることになります。」


「突然変異の一種ということか。」


「はい、一言で言えばそうです。本来人に存在しえない認知構造、情報処理形式が解明されたことで、もともと長いこと提言されていた『人間の脳をコンピュータとして軍事利用する』アイデアは、実用レベルまで引き上げられました。とくに三次元的な空間把握は、従来のコンピュータでは到底なしえない複雑な計算を可能にした。」


「三次元的な空間把握……?……っ!空中戦闘か?いや……わかったぞ!迎撃か!」


助かるね。男の理解が早いのは、私にとってうれしい誤算だった。


「はい。彼、彼女らの脳を並列処理で繋げることで、全方向から襲い掛かるすべての対空攻撃を正確にカウンターする指向性対空防御システムが、この"塔"になります。」


「しかし、複数の人間の脳をそのように高度に同期できるものなのか?」


「そのカギとなるのが”まい”です。」


「舞?」


「塔の最上で、天手子達は空中を漂うようにして自我を極めて低いレベルに落とし込んでいるのです。”まい”と呼ばれる、人工的な催眠手法によって。」


知ったときは驚いて声も出なかった。てんてこを育てるのは私の役目だった。


「古来より巫女やシャーマンといった存在は呪文や踊りによってトランス状態に入っていたと聞きます。天手子もまた、『舞う』という一種のトランスによって状態を安定させ、磁気によって読み取った脳波をメインサーバと同調させているのです。」


これが私が知りえたすべての情報です、と、私は目の前の男に言った。こいつが本当に信用できるかなんてわからない。でも、私にできる手段はこのような非正規のものしかない。

国外スパイと国内レジスタンスの間でフィクサーとして情報を横流すのが、今の私の仕事だった。できることはなんでもやる。クールでミステリアスな女を演じる。中央に反旗を翻した一介のクローン人形が、生き残るためにすべきことを、淡々とやっているだけだ。

そう自分に言い聞かせて、男に背を向けて去ろうとする。


でも、


「きりきりさん。どうして貴方は、このような危険を冒して我々に情報提供を?」


男が尋ねるから、つい私は振り返ってしまう。感情的になってしまう。


「──消えてしまうんですよ。」

「?」


できれば、わたしの声がふるえていることが、相手に気づかれなければいいな、と思う。


「人為的なトランスのために、”まい”を続けると徐々に感情が平易になっていき、刺激に対する反応が失われていくそうです。そして、一定期間の耐用年数を超え、最低限の自我すら失われた天手子は廃棄される。」


喋っているうちに、私は自分の顔が火照るのを感じた。かっこ悪いな。

弱みとして認知されるかも。でも仕方ない。そういうのは、賢い人のやることだ。

私は、私が決めたのは。


「私の友達は、空を飛びたいと言ったんです。」


今のままで、塔までたどり着く算段は付いていない。この男が既存の体制を破壊できるほどの力があるかはわからない。結局私は、あの子みたいに幻想の中ですら踊っていなくて、同じところをぐるぐる回っているだけなのかもしれない。それでも、


「あの子の夢が、消されていいわけない。それだけですよ。」


友達っていうのは、そういうものだろう。

どうせ長くない命なら、やりたいことをやろう。やりたいことのために賭けよう。



いつか、てんてこに空を舞ってほしいのだ。灰色でもなければ青くもない、本当の空を。

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