第7話 意志を継いで

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「……ぅ。」


 魔法陣の淡い光が暗闇を薄らと照らす中、パチリと開いたミコの瞳には、どこまでも続くような暗闇が映っていた。魔法陣から放たれる光では天井まで照らせないのだ。


(そうか……終わったんだ……。)


 現状を理解したミコは、起き上がろうとした時にようやく体の異変に気づく。


「重っっ……ぃ!?」


 片手を床に付き、思い切り力んで起き上がろうとするミコであるが、自らの体重を前に、立つどころか起き上がる事すら出来なかった。


「くっ……ぅうっっ!!」


 頭に血が登り、顔を赤くしながらもミコは必死に起き上がろうとする。


「無理だっっ!……はぁ……はぁ……重すぎる……!」


 ビタッと床に倒れるミコは、仰向けからうつ伏せへ体位変換するので精一杯であった。荒い息を吐きながらミコは、体の異常に疑問を抱いていた。


(人が上に乗ってるみたいだ……。なんで……。)


 うつ伏せ状態から立ち上がろうと体を持ち上げるミコであるが、体は少ししか持ち上がらず、ベタンッと床にへばりついてしまう。


(体に入った魔法陣の影響かな……?結局、あれは何が目的なんだろう……?)


「とにかく助けを……。……求めても無駄なんだっけ……?あれ……これってまずい状況?」


 言いながらにミコは、自分の置かれた状況を理解し、顔を青くしていく。


(どこにあるかも分からない扉をいずって探し出す程体力に自信はない。助けを求めても誰も助けてくれない。食べ物どころか飲み物もない。つまり……。)


「私……ここで死ぬ……?」


 思考停止すること数秒。魔法陣の上で倒れるミコはギリッと歯をきしませる。それは焦り故に。悔しさ故に。怒り故に。


(やっと開放されて……この世界に希望を見ていたのに……。この世界を知ることも無く死ぬ……?)


「そんなのはごめんだ……!」


 胸に抱く憤りが活力となり、勢い着いたミコの手が前に伸ばされた時であった。

 魔法陣が眩い紫色の光を放つと同時に、ミコの心臓が胸を突き破らん勢いでドクンッ!!と強く鼓動する。


「ッッッッッ?!?ぐぅゔぅううう!!?」


 突然。ミコの全身に痛みが走った。

 今まで出したこともない叫び声が、眼球が飛び出んばかりに見開かれた目が、あれ程重いと訴えていたのに、じたばたと暴れる様子が。いかにミコを襲う激痛が凄まじいものか、ひしひしと物語っていた。



 扉の前に立つコルトは唇を噛み締めていた。



(……始まった。いつの代も英雄をこの場に連れ、叫び声を聞けばたちまち罪悪感に駆られる。)


 一代目から世話役を引き受けたコルトだからこそ知っている。今まで付与の儀式を受けて、叫び声をあげない英雄など居なかった。


 どんなに大きくて屈強な竜人も、静かで思慮深い精霊も、不気味恐ろしい昆虫族も、猛々しさを感じさせる獣人も。皆、痛みに耐えきれず叫び声をあげた。


 それらを誰よりも近くで聞き続けたコルトだからこそ理解していた。ミコの叫び声が他の英雄らとは一線を画すものだと。


 --ァァァァァァグヴゥヴウゥゥゥゥ!!!


 扉の奥から聞こえてくる叫び声。

 コルトは決してドアノブを握らないよう、自らの手を抑え、血が出る程強く握り締める。その顔は罪悪感で陰り、止めれなかった不甲斐なさで歪む。


(あの静かで聡明なヤマデラ様が……。)


 ミコのような大人しい少女が耳を塞ぎたくなる叫び声をあげるのだ。歯を軋ませるのも当然。唇を噛み締めるのも当然。抱く罪悪感はこれ以上ないと言っても過言ではなかった。


(一度落ち着こう……。)


 コルトが深呼吸しようとした時、長い廊下の奥から十の兵士が、鎧をカチャカチャと鳴らしながらコルトの元へ向かって走っていた。


「コルト様っっ!!この叫び声は一体……!!」


 握った拳を自らの右胸にぶつけ、コルトに敬意を示しながらもたずねる兵士は、死をも覚悟した雰囲気であった。


「'五代目'が儀式を受けています。この事は既に伝わっているはずですが?」


「はいっ!聞き及んでおります!!しかしっ!この叫び声は異常です!!中を確認させてください!」


 兵士は叫び声を上げている者が心配で仕方なかった。

 かぶとを被ってさえ居なければ、耳に栓を詰め、両手でおおってしまうだろう程、ミコの叫び声は辛そうで苦しそうで、誰かに助けを求めている様で放っておけなかったのだ。


「貴方の気持ちも理解出来ます。しかし、扉を開ける事は許しません。決して。」


「しかしっ!!」


「なりません。貴方は英雄を殺したいのですか?」


 異様なまで落ち着き払ったコルトの様子に兵士は言葉が出ず、尚も聞こえる叫び声ににギリッと歯軋りをする。

兵士は人助けをしたいが故に兵士となったのだ。しかし現状は、扉の奥で苦しんでいる者を助けられない、そんな自分に憤る事しか出来ずにいる。歯痒い思いだった。だからこそ、扉と床の隙間から真っ赤な血が流れ出るのを見ては、目を見開き動き出してしまう。


「我慢出来ません!!」


 ドアノブへ伸ばされた兵士の手。しかし、あと少し伸ばせば届くといったところで、コルトの手に掴まれてしまう。


「何故!!貴方はこの叫び声を聞き!血が流れて来ても尚!助けたいとは思わな」


「思わないはずがないでしょう!?」


「っっ!!」


 コルトの怒声が兵士を黙らせ、脇でひかえていた兵士らの背を正す。

 温厚でドジっぽいコルトしか見たことない兵士らは、怒るコルトの様子を見てすぐに察した。'誰よりも自分が助けに行きたいのだ'と。


「……失礼。しかし、良い機会です。私が居なければ扉を開けてしまった者は、その優しさを少し削り、捨ててしまいなさい。」


 ピリピリとした空気が場を支配する中、「でなければ……。」と続けるコルトの声は、酷く静かであった。


「'兵士'と言う職は、手に余る事となるでしょう。」


 そう言うコルトの頭には優しさを優先し、助けれた命を無駄に散らしたと罪悪感で頭を抱える、数々の兵士が過ぎっていた。

 意地悪したいが為に言っているのではなかった。命の軽い世界で五百年と生き延び、時に'優しさ'が牙をくという事を、痛いほど理解しているからこその発言であった。


「そんなの……納得できません。」


 コルトに手を掴まれたまま、兵士は声を震わせながら呟いた。絶え間なく聞こえる悲痛な叫び声に、廊下を赤く染め上げて行く血。その瞳は異様な雰囲気を放つ扉をにらんでいた。


「叫び声を無視出来ない兵士はダメなんですか……。助けたいと思うのはダメなんですか!私は!そんな兵士ではありません!!」


 バッとコルトの手を振り払った兵士は、そのドアノブを掴み開こうとしたところでピタリと止まってしまう。コルトの手が肩を掴んでいたのだ。


「残念です。」


「……ぁ……う……。」


 ガクリとその場に崩れる兵士をコルトは支え、控えていた兵士らに預ける。


「眠らせました。一人、彼を休憩室へ。他は別れて見張りに。」


「「「はっっ!!」」」


 ダンッ!!と統率の取れた動きで、右胸を叩き直ぐに移動を開始する兵士ら。それらを見送ったコルトは何事もなかったかのように扉の脇に立ち、目をおおう。


(絶対に言い過ぎた……。冷静さを欠いたからって情けない……。)


 自分を責めようとしたとき、ふと、コルトは思い出す。


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 コルトの頭を過ぎるは、過去。この世界に呼ばれた男。一代目竜人の前に異世界から来た'本当の'初代英雄。


 初代英雄は、ずば抜けて強いという訳でもなく、見た目に特徴があると言う訳でもなく、ミコと同じ平凡な人間であった。


 初代英雄は武力こそないものの知力が長けており、その影響力は一国にとどまらず、各国へ及ぼす程。しかし、急速に発展すれば人々の間に格差が生じるのは当然の事であった。


 故に起きた……魔物の大発生。


 初代英雄が訪れた頃はまだ各地にチラホラと魔物が見られる程度で対処も間に合っていた。しかし、各国の急成長により魔物の出現が増加。人々は詳細不明の魔物を、理性を失いひたすらに暴れる哀しき者達を殺す他なかった。


 故に、初代英雄には武力も求められた。

 司祭が一室に特別な力を授ける魔法陣を設置したと神託を受け、初代英雄は付与の儀式を受けざるを得なかった。


 異質な叫び声が城中に響き渡り、苦痛に耐える初代英雄の叫び声に我慢出来ず、前任世話役は扉を開けてしまった。儀式が中断されたためか、初代英雄は消え、後に残ったのは幾十人分の血だけであったという。

国はこの事件に箝口令かんこうれいき、次第に揉み消されて行った。今となっては五百年前の話であり、その代から生きていた者でも知っている者はわずかである。


 そうして名ずけられた初代英雄……'零代目'。


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 事件以来、非情に徹する事が出来る、忍耐強い者だけが英雄の世話役を任される事となり、後任世話役はコルトが選ばれたのだ。


(……私は間違えていない。仕事をしただけだ。)


 そのように自分へ言い聞かせるコルトは首を振るい、身なりを整える。扉の奥から聞こえる叫び声に慣れる事はなく、平常心を保つ事に集中した。


(扉を開けてしまえばヤマデラ様は消えてしまう……零代目のように。)


 --ヴゥガァァァァァア”ア”ア”……!!


 扉の奥から上げられる叫び声。

 苦痛に満ちた叫び声はコルトの耳にこびり付く。ギッと唇を噛み締めるコルトは、扉を開けようとする自らを必死に抑え込んだ。


(だから……私は……。私がするべき事は……。)


 ドアノブを握ろうとする自らの手を強く握り締めれば、少しばかり乱れた身なりを整え、扉に背を向け目をつむる。


(ただ……無情に撤するだけ。)


 終わりを待つコルトの唇は赤く腫れていた。



 紫色の魔法陣の上でミコは、じたばたと自傷構わずに暴れていた。


「ぁァぁあぁぁァぁあぁぁァァア!!痛い!痛い痛い痛ぃいだい!ぃだい!!」


 頭が割れるのでは無いか、体に穴が空くのではないか、体の両端が引っ張られているのではないか。そう思えてしまう程の苦痛。

 少しでも油断すると意識を失いそうになる程。否。ろくに思考も出来ない現状、それはもはや意識があると言えないものであった。

少しでも痛みを我慢しようとすれば、内側から何かが食い破らんとする様な、今まで受けた事もない激痛に襲われ、逆に受け入れれば更なる激痛に見舞われる。


「ぃやぁ!いやだ!ぃいいぃぁあ!!!」


 頭を抱え上天へ叫ぶミコ。真っ赤に充血した目は見開かれ、血の涙で濡れる顔はぐちゃぐちゃである。しかし、そんな事すら気にならない程、ミコは痛みへの対応に追われていた。脳は襲い来る激痛の処理に追われフル稼働しているのか、発熱し絶え間ない頭痛がミコを更に苦しめる。


「ァガッ!!グゥゥウゥヴヴッ!!」


 全身を襲う激痛は、抗っても受け入れても激痛のまま。やがてミコは痛みから逃げようとする思いから床に体を頭を打ち付ける。



 何度も……何度も……何度も。



 次第にバキッ、ボキッ、と骨が折れたような音が鳴り出した。しかし、ミコは構わず打ち続けた。苦痛から逃れる為ならばそんな事はどうでも良かったのだ。


「ァァァ……アァ……。」


 次第にミコの動きも止まり、その体は痛みを感じなくなった。否。感覚が麻痺しているだけである。故に、紫色の魔法陣が一度輝けばミコは目を見開く。麻痺していた体は取り消され、全身の激痛が引いていくのだ。


(逃げなきゃ……死ぬ……。)


 朦朧もうろうとする意識の中、ミコはそれでも魔法陣から逃げようとしていた。力が抜けて動かない足を引きずってでも、ズズッ……ズズッ……。と前に進む。その度にミコは恐怖に支配される。


(死んじゃう……早く逃げないと……早く……!)


 床を引っく指がボロボロになるのはすぐであった。ミコは必死に逃げようとする。魔法陣への恐怖故に。痛みへの恐怖故に。未知への恐怖故に。


(体に力が……入らな)


 ボロボロな手が前に出されたその時、魔法陣が再び光る。


(来る……いやだ……もういやだ……!)


 必死に逃げようと足掻くミコであるが、無慈悲にも心臓はドクンッ!と強く鼓動する。


「ッッ!!ァァググゥヴァァァアアッッ!!!」


 苦痛から逃げる事など出来なかった。

 呼吸すらままならない。心臓はドンドンと胸を叩き外へい出ようとしているかのようで、頭は破壊と再生を繰り返しているかのような。


 未だ痛みが全身を襲う中、それでもミコは震える手を前へ懸命に伸ばした。


「痛い……苦じ……。やだよ……お母さんなら助けてよ……。お父さん……怖いよ。置いていかないでよ。」


 痛みのせいか、ミコの目には幻覚が見え始めた。異世界こちらにいないはずの母の姿が見え、地球あちらのどこに居るかも知れない父の後ろ姿が見えた。


 震える手を伸ばすも届かず。冷たい瞳でミコを見下す母に、背を向け遠くへ歩き出す父。助けてくれない両親に疑問を抱く。


「どう……して!?助けてよ……!!体が痛いよ……嫌だ!死にたく……ない……!」


 振り向く事もなく父は消え、母は溜め息をついて背を向け、暗闇の奥へとその姿を消した。


(お願いします……。ちゃんとお寺継ぐから……お母さんの言う通りに生きるから……自由なんて求めないから……。)


「助けて……。」


 掠れたか細い声がやけに響き渡る。

 両親の消えた方へ手を伸ばしていたミコの目から、血と涙の混じった大粒の雫がポツリと床に落ちる。


「ど……して……?」


 見開いた目は恐怖で染められる。


「私が……ダメだから……?」


 震える手が床に落ちる。


「私が……女だから……?」


 見開いた目は悲しみに染められる。


(家族にすら見捨てられる私は……。)


 胸の内が苦しく、その目からは絶え間なく涙が流れ、気付きたくもない事を理解させられたミコの瞳は……絶望に染められる。




「独りなんだ……。」




 すると、これからが本番とでもいうのか、ミコを襲う痛みが更に強くなった。


「ァァァァァァグヴゥヴウゥゥゥゥッッッ!!!」


 あまりの痛さに息も忘れてしまう。あまりの辛さに胃液が逆流し、ゲホッと吐き出してしまう。あまりの苦しさに精神が崩壊し始め、許容出来ない痛みは直に笑顔に変わってしまう……。


(暗い……何も見えない……。助けてくれる人なんて居ない……。このまま私は死ぬの……?一人で……孤独のまま死んでしまうの……?)


 繰り返される破壊と再生。それは絶える事無く、無慈悲なまでに圧倒的な苦痛をミコの体に与え続ける。

 喉は枯れ果て、声すら出なくなった。呼吸は忘れ去られ、酸素の供給が追い付かず心臓は更に強く胸を叩き、脳が情報の処理を諦めたのか、神経は麻痺してしまっている。


「ぅ……あ……ぁ……。」


 声にもならないうめき声がもれ、意識が途絶えそうになった時。気がゆるんだ刹那の事であった。キィィイイィィィイイン!!と甲高い音が響き、脳が揺れ、強制的に再起させられる。


「ぁぁぁあああぐぅぅぅあぅぁぁぁあ!!!」

(痛い……!痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!)


 再び始まったガンガンと頭を体を内蔵を叩かれる様な鈍痛。火など無いのに全身が熱く、ボロボロな喉からは血が大量に吐き出される。


 まるで地獄のゆでがまに放り込まれ、それを乱暴に掻き乱され、すり潰され、ミンチにされ、串刺しにされれば、今度は焼かれるかのような……。


「嫌……。いだ……ぃ。じに……だぐな……ぃ……。」


 思った事を口に出すミコ。誰も居ない空間に手を伸ばし助けを求めようとしたが、それすらも出来ない。枯れ果てた声帯はもはや、まともに機能していない。


(死にたい……死にたくない……痛い……痛くない……苦しい……苦しくない……生きたい……生きたくない……。)


 次第に生への執着が消えて行く。この苦しみがいつまでも続くなら、誰も自分を助けてくれないのなら。そんな、諦観と絶望がジワジワとミコの精神を侵略して行く。


(熱い……?寒い……?……痛い。)


 メラメラと床が燃えてもいないのに熱く感じたかと思えば、極寒の海に放り込まれたかのように全身が凍える。冷えたその体に追い討ちをかけるように傷が次第に増えて行く。


 ようやく終わったのか、全ての痛みがゆっくりと引いて行った。


(やっと……解放され……)


 スンッ……と。油断したミコは一瞬、静かに落ちた雷で全身が痺れ焦がされ、白目を向かされる。


「ぁ……ぅ、あ……。」


 口をぱくぱくとさせ、言葉にならないうめきをもらすミコ。まだギリギリ。切れるか切れないかの糸を切ったのは、油断した時の最後の一手であった。


「もぅ…………む……り。」


 朧気おぼろげであった視界が徐々に薄暗くなり、バタンッと倒れては、指先一つすら動かす事が出来ずにいた。呼吸が小さくなって行く中、ミコは察した。


(し……ぬ……。)


 ミコは笑う。痛みからの解放に。あらゆるしがらみからの解放に。自棄になってしまったが故に。瞳を閉じたミコの顔はまるで、終わりに安堵しているかのようであった。

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