第6話 淡白い光柱

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 バタンッ……と、古めかしい音と共に閉じた扉。部屋の中は真っ暗であった。薄らと先が見えると言った事も無い、完全な暗闇。


(真っ暗……。とりあえず……壁に沿って行けば……。)


 暗闇の中、ミコが冷静に扉に触れようとした時であった。


 床に一筋。


 紫色の光線が浮かび上がり、スゥ……と、奥に向けてゆっくりと伸びて行くも、数メートル先で止まる。


「着いて来い……って事?」


 驚きで目を見開いていたミコであるが、紫色の光線が自分を導こうとしている事を察し、一歩進めば紫色の光線もそれに応じて徐々に伸びて行く。


 コツン……コツン……。足音が真っ暗な空間へ響き渡る。


(どこに向かってるんだろう……?)


 不安になったミコが振り返るも、そこは闇。

 扉から伸びていた紫色の光線は、ミコの辿ってきた道にはなかった。それは、'もう戻れない'という事を示し、ミコの不安をかき立てるには十分であった。


(……大丈夫。この程度の不安は慣れてる。)


 震える手を抑えるミコは、胸に抱く漠然とした不安を、'慣れている'と思う事で自分を騙し、紫色の光線を辿る様に奥へ奥へと歩き続けた。


(どこまで伸びるんだろう……?)


 既に扉から何十歩も歩いていた。背後の闇故に、漠然とした不安故に、ミコは心の片隅にてコルトの言葉を思い出してしまう。


(助けを求めても、誰も助けない……か。)


 仮にこの場で死んだとしたのなら、この場から動かず引きこもったのなら、泣き叫んで何もやりたくないと訴えたのなら、自分はどうなってしまうのか。


 そう考えた時、ミコは苦笑してしまう。


(自由を選ばなかったくせに、今更それはないだろう……。それに。)


 その瞳が沈み、俯いたミコはボソリと呟く。


「私に自由は……似合わない。」


 その時であった。


 紫色の光線が二手に別れ、弧を描いて創り出すは、直径五百メートルにも及ぶ巨大な円。その内には、体感したこともない不安と安心をもたらす矛盾した、紫色の光を発する六芒星が浮かび上がる。



 円……否。それは巨大な魔法陣であった。



(これに乗ると痛みを伴う儀式が始まる……。)


 自然とミコの体が力む。嫌な汗が全身を伝い、緊張故か、未知に対する恐怖故か、次第に呼吸が荒く乱れてしまう。


(そして……力を得る。それはつまり、今ある体をその力に応じられる体へ作り替えるという事……。)


 魔法陣から発せられる雰囲気は異様で異質なものであった。気持ち悪いと思えるものでもなく、心が晴れると言う訳でもなく。しかしミコは心の内のどこかで、魔法陣に惹かれている自分に気付いた。


(その得た力はどこから持ってくるの?この体はどう変化するの?作り替えられた後の体は……本当に私の体なの?)


 しかし、そんな事を考えても想定もつかないため、意味の無い事と踏ん切り、帰れないために乗る他ないのだとミコは自分を落ち着かせた。


(今の私はこの世界で求められる平均より遥かに弱い。この世界で役に立てる事など何もないだろう。'英雄'の道を選んだのだ。だから、私は魔法陣へ乗らなくてはならない。力を得なければならない。それが例え……。)


 ドクンッ……ドクンッ……と心臓が鼓動する。

 ミコがゆっくりと目を閉じると、紫色の魔法陣はもう一度強い光を放つ。今度は早くしろと言わんばかりの威圧的な光。


(例え……激痛を伴うものだとしても。)


 皮肉なものであった。

 寺の後継として嫌々成長してきたミコが、ようやく開放されたかと思えば、今度は世界を救う英雄の後継となるのだ。


(おかしな話だ。怖いはずなのに、後継などという言葉……大嫌いなはずなのに……。私は少し、ほんの少しだけ、これから先に希望を抱いている。)


 ごくりと固唾を飲み込んで一拍。

 意を決し、目を開いたミコは、魔法陣の中心部に向けて、ゆっくりと歩き始めた。


(私はこの世界をまだ何も知らない。だからか、恐いはずの未知を……私は気になっている。知りたいと思っている。)


 中央へと到着したミコは、そこで目を閉じ、大きく深呼吸をして自らを落ち着かせる。


(人から感謝される英雄の後継。進んで苦行をやる古い寺の後継なんかより、断然最高じゃないか。どうせやるなら、楽しもう。)


 同時の事。瞼の裏からでも分かる程室内が明るくなる。あまりの光量に、腕で前を目を遮ってしまう程に。


(……?)


 眩しかったのは少しの間であった。

 しかし、それが気にならないくらいに、ミコは自分の体が軽くなった事に疑念を抱いた。まるで浮いているかのような感覚に陥り、閉じた目を開いてしまう。


(……っっ!?)


 ミコは目に映る光景に驚き、言葉を失ってしまう。透けた自分の腕の先には、脱力して呆然と立ち尽くす自分の姿と、異様な光を放つ紫色の魔法陣が見えたのだ。


(あれは……私?)


 半透明な精神体のミコは宙に浮いていた。その事態に困惑するミコであるが、流石と言うべきか直ぐに冷静となる。


(これは……体を作り替えるために、意識を一時的に離しているのか?一体……私の体に何を?)


 腕を組み一考するミコはハッとする。


(まさか……切断!?)


 そんな事を気楽に考えるミコは、ゾゾッと身震いしようとしたがそのような体は今持ち合わせて居ないようで、またクスリと笑う。


(間違いない。私は今、この非現実的な世界にワクワクしている……!家の束縛もなければ、母も居ない。私の事を知らない人だけしか居ないこの世界で、新たに暮らして行くんだ!)


 胸に抱くは、先程抱いた希望より大きく膨らんだ夢。


(友達できるかな?好きな物を食べる事も……!そうだ……!魔法だって使えるんじゃないか!?それに剣も振るって見たり!それに、英雄だから世界を回れる!獣人とか居るのかな?……楽しみだ。)


 いくつも挙がってくるやりたい事見たい物。

 今まで抑えられていた思いが解き放たれ、ミコの中で強く主張していた。それは彼女にとって何よりも喜ばしい事であり、胸の底で望んでいた事。


 故に。ミコは怖かった。


(楽しいと……いいな。)


 自らの思いが、期待が、希望が裏切られるのが、他の何よりも何よりも怖かった。恐ろしかったのである。


(下位魔物……それに類する存在。その相手をするのは楽しいはずがないだろう。痛くて辛い思いもするんだろうな。)


 そっと、自分の透けた手を見る。


(覚悟を決めるとか言うけど、どんなものかも知らないくせに。)


 ぎゅっと握られる手。ミコは、影がかって顔が見れない母を心の内から追い出し、握った拳を見ながら呟く。


(私は……山寺ミコ。もう、人形じゃない。)


 ミコが自分という存在を確立させたその時。

 呆然と立っているミコの周りに、蒼・青緑・緑・金。四色の魔法陣が生成されるのを見た。それらはミコの体を中心に交差し、回転を始める。


(四つの魔法陣?これは一体……?)


 首を傾げるミコ。しかし、考える時間を与えないかのように、次いで、淡白い魔法陣が五つ顕れる。


(増えた……。これが私に力をくれるの?)


 四つの魔法陣と複雑に交差し、ミコの体を包むかのように周囲をクルクル回る、九つの魔法陣。


(……。なんだろう……?まるで何かを待っているような……。)


 ミコが魔法陣に違和感を覚えたその直後。

 ミコを中心にゆっくりと回転していた魔法陣が、一度淡白く光り再び強烈に光る。そして三度目に光ったそれは、徐々に光り輝く柱を形成して行き、部屋の天井へ達すると、それを壊さずに突き抜ける。

光柱の中で、相も変わらず呆然と立ち尽くすミコ。その体の内へと九つの魔法陣が入って行く。


(え!?ちょ、え!?体に入ってくるの!?)


 思いもよらない出来事に驚き、目を白黒させたミコは、しかし、見た目は何も変わっていないことにホッと落ち着いた。


(もう……驚いてばかりだ。多分これからもずっと驚きの連ぱ)


 突如。グイッと自らの体へと引き込まれる。


(っっ!?……ほら、思ったそばから。きっと儀式が終わったのだろう。)


 薄れ行く意識の中、真っ白い光に照らされていた空間は徐々に暗闇へと戻って行く。心の内にて安堵するミコは、思ったよりも楽であった事に拍子抜けしていた。


(まぁいいか。今はこれが夢でない事を祈っていよう。)


 ニッと口角が上がるミコは静かに目を閉じ、そのまま意識が途切れる。


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 王の執務室にて羽根ペンを握り、カリカリと書類上を目にも止まらぬ速さで走らせている者……グランツ王国国王……モーゼル・グランツはミコの事を考えていた。


(新しき英雄がこの世界に転移してきた。それは喜ばしい事だが……。)


 グランツ王の頭を過ぎるは、百年に一度呼ばれた一代目から四代目までの英雄。先代の英雄らは必ず何かしらの異彩を放っていた。


(過去の英雄らと比べれば、あのひよっこは幼すぎるし平凡すぎる。)


 二メートルを超える二振りの大剣を自在に扱う竜人に、三大力が内の二つ'噂力'と'魔法'を使える精霊、どんな虫であろうと意のままに操る人型の昆虫族。そして、異常な身体能力を誇る獅子の獣人。


(どれも人ならざるものにして、難は多かれど最高の英雄であった。)


 過去の英雄らが築き上げた功績。それはグランツ王国に、世界に多大な影響を及ぼし、人々の尊敬を集めた。その事実は、グランツ王に'五代目'への期待を抱かせるには十分であった。


 故に。山寺ミコを見た時、グランツ王は期待外れと落胆した。


(貧弱そうな体で何を抱えるのか。その胸の奥にあるものは何なのか。)


 ミコの瞳を見る度にグランツ王は思った。ただの子じゃないと。


(明日にでも話してみるかの。それが何か分かるやもしれぬ。)


 その時、廊下にバタバタと足音を響かせ、王の執務室へと走り来る者が居た。その気配を感じ取り、呆れてため息を吐くグランツ王は、筆を止めて面白い者を見る目を扉へと向けた。


 数秒と経たずにバンッッ!!と勢い良く扉を開けた男が、息を切らしながらも叫ぶ。


「緊急です!!」


(毎度毎度、無礼にも程があるだろう……。)


 ニヤニヤと笑うグランツ王。大体の事は見過ごせるグランツ王に、そのような事を思わせる男性、見張り班班長イシス・テリーは、ゼェゼェと肩で息をしていた。


 イシスの立場を無視した行動は、緊急時に見られる。本当ならば王の右腕であるリン・グレラットを通さなければ、王の執務室へと入るのを許されないのだが、緊急時イシスはそれを無視して突撃してくる。


(ただ……イシスの場合、'ちょっとした'緊急事態でも見られる為に酷く見極めが難しい。)


 今回はどちらか?と考えるグランツ王は、視線にて「今回はなんだ?」と発言を誘導するも、読み違えたイシスは耳を塞ぎたくなる程大きな声量で叫ぶ。


「我が君!!無礼をお許しください!!緊急の報告がございます!!」


(知っている……。)


 ため息を吐くグランツ王の口角は吊り上がっていた。立場上、イシスのように接してくる輩は極小数。故にイシスの行動は毎度新鮮でニヤリと笑ってしまうのである。


「良い。話せ。」


「ハッ!先程、見張りより報告が!快晴であったはずの城上空が淡白い雲に覆われ、城内からそれに向かって伸びる淡白い光柱が確認されました!!」


 イシスは左手を右胸に当てながら叫んだ。


「ふむ。淡白い雲に光柱……の。'五代目'の英雄が付与の儀式を受けておる。時期的に考えられるのはそれかの……?」


 そう言うグランツ王は眉を寄せていた。

 今までになかったからだ。付与の儀式を受け、突如分厚い雲と光柱が立つなどという事は。


「一応、城内の見回りを」


「我が君!!それだけではありません!!」


 王の言葉を遮るという荒業に出たイシス。

 流石のグランツ王もイシスの行動に驚いてしまうも、説教は報告が終えてからにしようと心に決める。


「それで、なんじゃ?」


「それが……同刻。グロウの森中央部にも似たような現象が見られました。」


「なんと……?」


「そちらは、赤黒い雲に光柱。城内で見られたのとは色違いですが、違いはそれだけなんです。」


「ふむ……。」


 グランツ王は眉を寄らせて唸り、難しそうな顔のまま、机端にあるベルを手に取りチリンと鳴らした。


「イシス。精鋭第二部隊に王命を伝えよ。」


 羽根ペンを握り、スラスラと紙の上を走らせながらも、イシスへ命じるグランツ王。


「精鋭……第二部隊。」


 ごくりと唾を飲んだイシスが硬直するのも当然。精鋭第二部隊は暗殺を主だって動く部隊だからである。イメージは'怖い'しかなかった。


「そうじゃ。まさか主……怖いのかの?」


 書き終えた紙にフーフーと息を吹きかけ、インクを乾かしながらも、グランツ王は意地悪く言った。


「い、いえ!そんな事は!た、ただ、緊張はしてます。」


「おかしな事を言う。主は今、それよりも偉いワシと対面しておるのにな?」


「ぁっ!……と、グランツ王は親しみやすいので……。」


 後頭部をかきながら照れ笑いするイシス。そんな彼を見てグランツ王は驚いていた。国王と親しみやすいなどと、本人を前にして言う者などどこに居ようか。


「リンがこの場に居なくて命拾いしたの。」


「……?……リンさんがですか?」


「奴はクソ真面目じゃからの。居たら主……首が危うかったじゃろう。」


「……はは。それは一体どっちの意味でしょうか……?」


 カタカタと震えるイシスを見て、意地悪な笑みを浮かべたグランツ王は、テキパキとした動きで紙飛行機を作った。


「ほれ、この紙を渡せば、奴とて動かざるを得ないじゃろう。」


「ぅわっ!?……とと。」


 ぐねぐねと曲がりながらも飛んでくる紙飛行機を、慌てながらもキャッチしたイシスは、満足気な笑みを浮かべ、あまつさえ、グランツ王へ向けてピースをした。尚、その紙はぐしゃぐしゃである。


 イシスの行動。それはグランツ王を楽しませるが、同時に心配もさせる。


「……。イシス。主のその愚直な姿勢は悪くないのだがの?もう少」


「直ぐに届けて参ります!!」


 またもや王の言葉を遮り駆け出したイシスは、扉をバンッ!!と勢い良く開き、閉める事なく廊下の奥へと姿を消して行った。


「廊下を走るんじゃない……!!」


 廊下の奥へと叫ばれたグランツ王の声は、虚しくも廊下内を反響するだけに終わった。


 突然開いた扉に鼻をぶつけた王の右腕、リン・グレラットは、赤くなった鼻を抑えながらも、廊下の奥に消えて行ったイシスを恨めしそうに睨んだ後、スッと身なりを整え、執務室の扉を一度閉める。


 コンコン。とノック音が執務室内に響き渡る。


「リンじゃな?入れ。」


「失礼致します。」


 ガチャッとゆっくり扉を開き入室する、二十代程の外見であるが、実際年齢はグランツ王と同じく五百を優に超えるその者、リンは白手袋をはめた右手を左胸に当て、綺麗な礼をする。


「御用命を……。」


 頭を上げないリンを見てグランツ王は頭を抱える。


(どうにかして、イシスとリンを足して二で割った輩は現れんのじゃろうか……。)


 はぁ……。とため息を着いたグランツ王は、呆れた目をリンへと向けながら口を開く。


「異変はもう知って居るじゃろう?」


 グランツ王の言葉を聞き入れたリンは頭を上げ、その感情の起伏が見られない赤い瞳を、真っ直ぐにグランツ王へと向けた。


「はい。城内の警備の強化、また、各所の衛兵長へ巡回強化の知らせをする様に使いを出しました。城内・街の異変への対応は問題ないでしょう。また現在、安全が確保されるまでの間、Bランク以上の冒険者、又は国使以外の国外への移動を禁止致しました。」


「ぅ……うむ。」


(流石にやりすぎな気も……いや。未知の現象が起きているのだ。仕方ないかの。)


「リン。帝国とモロッコ王国の偵察に伝えよ。以後、些細なことでも報告するようにと。」


「承知致しました。」


 リンはキレのある動きで振り返り、扉の前で一礼した後に出て行こうとする。


「おおそうじゃ。」


「はい。如何なさいましたか?」


「見かけたらで構わんのじゃが、後でイシスにワシの所まで来るように言っておいてくれぬかの?」


「直ぐにでも。」


 一礼したリンは今度こそ退出し、執務室にはグランツ王一人となった。


(淡白い光柱に赤黒い光柱……の。)


 息付く間もなく再び羽根ペンを握り、カリカリと素早く書類上を走らせ始めるグランツ王は、不安を胸に抱いていた。


(付与の儀式が関与しているのは間違いないとして、城内に見られたと言う淡白い光柱は'五代目の英雄'じゃろう。)


 グランツ王の頭を過ぎるのは山寺ミコの姿。


(そして転移者は二人。その内一人は行方知れず。赤黒い光柱は英雄と同じ転移者と見たとして、白の対極……黒か。)


 胸の内に突っかかる不安が、仕事に取り掛かろうにも頭にこびり付いた報告が、グランツ王へと伝える。


(この世界に来たのは英雄と……。)


 そこまで考えたグランツ王は頭を振るい、筆を走らせる。


(呼ばれたのは英雄だけだ。)


 そう思う事で。

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