第3話 パーティーの準備
「で?なんで私まで行かないと行けないのさ」
妹のマルタが口をとがらせて、そのふわふわとした栗毛の毛先を弄りながら言った。
「いいだろ?たまには俺に付き合っても」
先日、リネーアのところに泊まり、留守にしていた数日の間に、マルタに余計な虫がつきそうになった。
「ブルーノの何が悪いの?」
「全部」
「ちょっと、いくらお兄ちゃんでも許せない」
「少し冷静になれよ、惚れた勢いで夜這いなんかかけられたら、引くにひけなくなるだろ?」
マルタを連れてきた理由はそれだ。
「だって、私が一緒だったら、お兄ちゃんの邪魔になるでしょ?」
「あの人は、そういうんじゃないの」
テュコが言うと、マルタはため息をついた。
「あれから、物思いにふけってため息ばっかついてるじゃない」
「そんな事ねーよ」
「そんなことありますー」
妹はズケズケとものを言う。元気で明るくて、見てくれもまあまあ可愛いので、兄としては変な虫がつかないか気が気ではなかった。
昨日と、今日の朝、仕事をまとめて片付けて、文句を言う妹を無理やり連れてきたのだ。
森へはいると、先日よりもりんごの香りが強くなっていた。
「いい香りね。リンゴがなってるの?」
マルタは少し機嫌が良くなって、くんくんと鼻を動かした。
次第にその匂いは甘い菓子の匂いに重なっていき、小屋から立ち上がる煙突の煙もそうやって甘いのではないかと錯覚するほどの美味しそうな匂いが充満していた。
「リネーア!居るかい?」
「ああ!待ってたよ!悪いけど中入って!手が離せないんだ」
テュコがマルタと目を合わせると戸を押して中に入った。
「こんにちは」
マルタが声をかけると、リネーアは目を細めた。その目が少し潤んだように見えたのは午前の光のせいか。
「妹さんだね?手紙で聞いてるよ」
「マルタと言います。あの…今日は??」
「ハロウィンで、子供たちがここに最後に回ってくるから、その時にお菓子を振る舞うつもりなんだよ。その用意に大わらわなんだ。来たばっかりで悪いけど、ちょっと手伝って貰えると助かるよ」
リネーアが言うと、マルタはチラ、とテュコを見て、小さくため息をつくと、持ってきた手提げからエプロンを出して首からかけた。後ろの紐を結びながら、
「手を洗ってきますね」
「ああ、そこの洗面所で洗える、石鹸も使っておくれ」
「分かりました」
「テュコは悪いけど、また、薪を割ってくれる?」
「わかったよ」
テュコは、マルタと目を合わせると、軽く頷いて庭の方へ回った。斧を持ち上げると、隣に既に用意してあった薪をとんと置く。見た感じ、足りなくなった時にある程度割っては作業に戻っていたんだろう。
(しばらく割らなくても済むほどは、割っておいてやるか)
無心になって薪割りをしている間、なんだか変な気分だった。1度商品を配達しただけの女に、なんの義理があってこんなに尽くしてやってるんだろう、と。それはマルタも思ってるはずだ。だが、何故かそうしてやりたい気持ちにさせる、不思議な女だった。
(もう、あの手からつくられた物に魔法がかかってて、うまく使われてるのかもしれんな)
と、怒る気持ちにもならない事がおかしかった。どういう訳か、タダで働くことが苦にならない。
ある程度の数を割った薪を抱えて、小屋へ戻ると、笑い声が聞こえてきた。
そっと窓から小屋の中を覗くと、リネーアとマルタが、話しながらクスクスと笑っている。マルタのその表情は、リラックスしていて、まるで母親と、家事をしながら話しているようにも見える。いや、2人は年はそんなに変わらないはずなのに、リネーアが落ち着いているせいか、そんなふうにも見えるのだ。
思い切って小屋へはいると、暖炉のそばに薪を置き、弱くなっている暖炉の火に薪をくべてやる。額の汗を拭った時、リネーアが隣にしゃがんで、布を渡してくれた。
「ありがとうね、助かるよ」
「いや、いいんだ」
「もう少し割っておいてもらえると嬉しいんだけど?」
「そのつもりだ」
「じゃあそれが済んだら、マルタも一緒にお茶にしようじゃないか」
と、またマルタのそばに戻って行った。
リネーアからはやはり、あの魔女と同じ香りがする。
やがて、薪を割り終えたテュコが小屋に戻ると、テーブルには食事の用意がしてあった。
「お茶って言ってたけど、もう昼時になってたから、ご飯にしよう」
「お兄ちゃん、手を洗ってきて」
マルタは新しい手布を渡してきた。頬が紅潮して、目がキラキラと輝いていた。
「ああ」
2人はすっかり仲良くなったのか、マルタの機嫌がいい事がテュコには有難かった。
「なんか、リネーアさんって母さんに似てるね」
小屋から少し離れた場所で、2人はリンゴを収穫している。テュコの昇っている梯子のそばで、マルタが言った。
「うん?」
「懐かしい気持ちになったよ、一緒に料理したり後片付けしたり。おかしいよね?私とそんなに歳が変わらないはずなのに」
パチン、と音を立ててリンゴを木から取ると、マルタに投げる。マルタはカゴにそっとそれを入れる。
「もしかしたら、もう少し歳上かもしれないな、落ち着いてるからな、リネーアは」
「後ね、気になることがあって」
「うん?」
「私、小さな頃、歩き始めるの遅かったじゃない?ほかの子供より」
「ああ、そうだな」
「彼女、それを知ってた」
「え?!」
リンゴに左手をかけたところで振り返った。
「足はもういいのかい?って、きいた。お兄ちゃん、そんな話、あの人にしてないでしょ?」
「してないよ」
「ホントなら、こんなことあったら気味が悪いけど、不思議とそう思わないんだ。あの人なんか懐かしいの、変な言い方だけど」
梯子を降りていっぱいになったカゴに、最後のリンゴを入れる。
「それは、俺も感じてた、昔、近所の森に住んでた魔女に、あの人は似てる」
マルタが顔を上げた。
「もしそうなら、私の足をみてくれてたのは、リネーアって事になるね」
「え?」
「母さんが言ってたの、近所に魔女が居て、あんたがなかなか歩き出さないって聞いて、見に来てくれたんだって。時々マッサージをしてくれてたって。やり方を教わったのもその、魔女からで、その人がいなくなってからも、その人を信じて母さんがマッサージし続けていたら、私は歩けるようになったって」
テュコはハッとした。そうだ、あの魔女と知り合ったのは、彼女がマルタをみてくれるようになってからだ、と思い出したのだ。
「時々その人の話題が出ると、他所の亭主をたぶらかした売女だなんだっていう人がいたけど、母さんはあの人に感謝してるって言ってた。もしまた会うことがあれば、私を見て貰いたいなって」
テュコはりんごのカゴを持ち上げて、マルタを促した。
「少し様子を見てから、聞いてみよう?もう日が暮れるし、子供達がやってくる頃だから」
夕暮れ時のオレンジの光と、森のひんやりした空気。
所々に置いた、かぼちゃをくり抜いた灯篭に火が点る。ゆらゆらと揺れるその灯りに、テュコは、母に叱られて、帰りたくなかったあの日の夕暮れ時を思い出していた。
「テュコ、帰った方がいいよ?私が送って行ってあげるから」
魔女が言った。
「母さんはマルタだけがいればいいんだ!」
泣き腫らした目をしたテュコがブスっとして言った。
「そんなことないよ?前に、あんたが熱が下がらなかった時、泣きながらここに薬を貰いに来たよ?大きなお腹をして」
「…え?」
「マルタが産まれる前だったね。酷い熱でね、お医者さんから、その夜が峠だろうって言われてたんだ。だから私は少しだけお手伝いしたんだ、その峠をあんたが超えることが出来るように」
「あんたの母さんは、泣いて喜んでたよ。無事で良かったって」
「でも、俺がマルタと喧嘩すると、いつも俺ばっかり怒るんだ」
「それは、あなたに強くて優しいお兄ちゃんになってもらいたいからだよ?弱い者から物を取り上げたり、まだ上手くできない人を笑ったり、そんな人になって欲しくないんだよ?」
「……確かに、ちょっといじわるしたかも」
口を尖らせて言ったテュコに、眉を下げて笑ったその人は、その、いい香りのする手で頭を撫でてくれた。
「あんたは優しいね、きっといいお兄ちゃんになるよ、自分の非を認められるのは強さの証だ。…いい子だねぇ」
「いい子なの?妹に意地悪したのに?」
テュコはリネーアの腕を掴んで言った。
「それを、ちゃんとあんたは認めただろう?だから今度からはそれをやらない。あんたはまたひとつ心が大きくなったんだよ。だから、偉かったよ?うん?」
肩を撫でられて、嬉しくなった。
「ねえ!リネーア!僕が大きくなったら、リネーアがお嫁さんになって!」
「ええ?あなたが大人になったら、私はだいぶおばさんだけど、それでもいいの?」
「リネーアは魔女なんでしょ?魔女は歳を取らないって近所のおじさんが教えてくれたの」
「ふふふっ、魔女か、そうだね、そうなったら素敵だな」
「約束しようよ!指切り!」
「ごめんね、約束は出来ないよ。私は嘘はつけないんだ」
その時、きっと、小さなテュコは悲しい顔をしたのだろう。
「そうだねぇ、テュコが大人になって、、まだその約束を忘れていなくて、私がまだ1人だったら、その時のテュコに決めてもらおうかな?」
「わかったよ!その約束なら出来る?」
「ああ、そうだね、約束の品を贈ることにするよ、今度来た時にそれを渡すから、今夜は帰りな?」
それが、あの男と魔女が会っているのを見た、前の日のことだった。
どうして忘れていたのか、分からなかった。
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