第2話 魔女とした約束




 小屋に着くと、あたりはもう夕暮れの色に染まり始めていた。

「あんた、もう街に泊まった方がいいんじゃないかい?」

「うん、そうするつもり。配達もここが最後だったし、あ、鴨だけ処理したいから、場所貸してもらってもいいかい?」

「ああ、なら、燻すところまでやったらどうだい?そこに用意があるから…」

 リネーアは親切で、道具や燻製器なども気持ちよく貸してくれた。


 テュコは鴨の羽根を毟って皮を剥いで、燻製器で肉を燻した。その作業が終わるころ、夕飯を一緒にどうだい?と誘われてありがたく頂くことにした。ここへ来た時に匂いがしていた、肉の入ったスープ。そして、朝焼いたばかりのパン。そこにチーズを乗せて炙ったものを振る舞われた。

「美味い」

 ゆっくりとだが、もりもり食べるテュコに、リネーアは目を細めた。

「ふふっおかわりもあるからね、沢山食べて?」

「この肉は?」

「街の人が、時々くれるんだよ、薬代の代わりで」

 リネーアは、テュコが差し出した、空の深い皿に、もう一度スープをよそった。

「お前さん、ここに来る前はどこに居た?」

「もう少し南の方だよ、暖かい気候でいいとこだったんだけどね」

「親は?」

「もう居ない、なんだい?さっきから。質問してばかりじゃないか」

「酷い目にあったりしたんじゃないのか?」

 リネーアの瞳とぶつかる。静かな瞳は少し揺れた。

「こんなふうに生きてたらね、嫌なことに会うこともあるよ、でもほら、今回の町の人は結構いい人が多いからさ」

 そう言って、温めたワインを手のついたコップに注ぐと、口にした。

 外はもう暗がりになって、闇が訪れた。

「納屋で良ければ泊まっていくかい?一応暖炉もあるから火を入れられる」

「ああ、そうさせてもらおうかな」



 小屋には遅くまで明かりがついていたが、やがて消えた。納屋の馬小屋から、愛馬がブルル、と時々鼻をふるわせる音がするだけで、辺りはしんとしていた。

 眠れなかった。今日、リネーアに話したことを思い出していた。



 まだテュコが、5つかそこらの子供だった頃だ。村の外れに、こんなふうに森の中に住んでいた若い女がいた。テュコはその人のことが好きで、1人で行ってはいけない、という母親の言いつけを守らないで、その人の所へ通っていた。

 お菓子を出してくれたり、破れたズボンを繕ってくれたり、一緒に川で釣りをした事もあった。可愛がってくれる美しいその人が大好きで、その笑顔が見たいがために通っていたのだ。


 ある朝、いつものように小屋へ遊びに行くと、小屋から男の人がでてきた。その後からいつもと様子の違う女が出てきて、馬車に乗り込もうとしていた男の人と、しばらく抱き合っていた。テュコは、物陰に隠れてそれを見ていた。女の人は泣いていた。そして馬車が行ってしまうまで、ずっとずっと男の人を見送っていた。テュコは女の人が家に入るのを待って、なんだか声がかけられなくて、その日は家へと帰った。


 翌日から雨が降り続いて、森へ遊びに行くことは出来なかった。


 次の、雨上がりの日曜日、教会にお祈りに行っても、いつも会う女の人がいなかった。おかしいな、と思っていたら、女の人と抱き合っていた男の人が、別の女の人を連れて歩いているのを見た。どういうことか分からなくて、教会から戻ると、川に釣りに行くと言って、家を飛び出した。


 森へ行くと、おかしなことになっていた。畑は、踏み荒らされて、小屋の窓ガラスが割られていた。中には女の人はいなくて、いつもテュコが、そこだけはあなたのひき出しだから、勝手に開けてもいいわよ、と言われていた引き出しを、そっと開けた。そこには小さな皮袋が入っていて、中から鍵が出てきた。そこに革紐が結んであって、首から下げられるようになっていた。

 女が自分にくれたのだと、思った。


『約束の印に贈り物を…』


 先日、女が言っていた気がする。それはずっとテュコのお守りのようになっている。


 テュコは胸元を探って、それを引っ張り出した。革紐は何度か替えているが、肌に触れていた真鍮の鍵は曇って鈍く光っている。


 大人になってからわかったことだが、あの男は奥さんがいる人で、森の女は魔女で、男の人をたぶらかしたのだと、聞いた。


 思えばとても綺麗な人だった。リネーアのように白い肌に、青い瞳。1度だけ、怖い顔を見た事がある。


 テュコが川で釣りをしていたところへ、大きなクマが現れたのだ。、その年は木の実のなりが悪く、お腹を空かせて、餌を求めて、里にまで降りてきたのだ。

 女は、怖くて震えていたテュコのそばにやってきて、何かを唱えていた。その横顔を見てハッとした。いつもすんだ青い瞳をしているのに、その時の目は金色に光って、熊を射抜くように静かに見つめていた。静かなのに激しい目だった。やがて、痺れたように痙攣したクマは、倒れ、しばらくするとムクリと起き上がって去っていった。


 テュコが恐る恐る、隣にいた女の人を見上げた時、その表情は穏やかで、いつものように微笑んでいた。


『帰ろうか、温かいお茶を入れるから』


 女はそう言って、手を差し出した。いつも暖かなその人の手の指先が、その時だけは、とても冷たかった。しばらくすると、いつものように温かくなったが、それがとても印象的で覚えている。


 あの後、あの夫婦の妻は子を産んだが、旅先から夫は帰らなかった。人は口さがなく、あの女の所へ行ったのでは?と言っていたそうだ。


 女は、男を愛していたのかもしれないが、そんな事を望むだろうか、と大人になった今思う。自分はまだ妻がいないが、恋をしたことくらいある。相手に、幸せであって欲しい、そう願うことが愛ではないか。


 納屋の暖炉の火が少し小さくなった。テュコはいつの間にかウトウトと眠りについた。


 今、あの女の人は、どこでどうしているのだろう。あの人も魔女なら、リネーアはあの人を知らないだろうか。

 そんな事を思ったのを最後に、テュコは意識を手放した。



 翌朝、目が覚めると、小屋の煙突からは既に煙が上がっていた。井戸の水を組んで顔を洗うと手持ちの布で顔を拭いた。小屋の戸を叩くと、明るい声の返事が聞こえた。


「今、手が離せないから勝手に入って!」


 戸を押してはいると、パイが焼きあがっていて、テーブルには庭に咲いていたバラの花が飾られていた。


「おはよう、早起きなんだな」


「おはよう。うん、まあね、目が覚めて、日が昇るのを見るのが好きなの。心が洗われるようで」


 小屋の上を指さす。


「2階の小窓から、見られるんだ。天気のいい日はそれが朝の始まりさ」

 と軽く肩を竦めた。


「手伝うことはあるか?」

「出来たら少し、薪を割ってもらえると助かるんだけど、頼めるかい?」


「ああ、任せろ」


 庭に出て、西側に積まれていた薪を下ろすと、斧でそれを割っていく。朝の空腹時に少しキツいが、この後ありつける朝食のことを考えると、力が湧く。


 母をなくしてから、父や、少し大きくなった頃には、妹が料理するようになったのだが、教える人間がいなかったせいか、妹の料理の腕前は、微妙である。

 昨日も思ったが、リネーアの料理は絶品である。干し肉もきっと、貰った肉を自分で塩梅して干したのだろう、とても美味しかった。

「ああ、沢山割ってくれたんだね、助かるよ。さあ、朝食にしよう?」

 割った薪を抱えてリネーアの後ろを歩く。

 ふと、彼女から香った匂いに既視感を覚えた。


「いい匂いがするな」

「うん?、ああ、ミルクを使ったスープなんだ、栄養もたっぷりさ」


 振り返ったリネーアの髪からも同じ匂いがした。


 ああ、あれはあの魔女の…


 思い出して思った。彼女は髪が茶色かった。リネーアは金髪だ。別人だろう。大体、あの頃、今のリネーアと同じ年頃だった女は、少なくとも今は40は越しているはずだ。


「どうしたんだい?」


 テュコは首を横に振った。


「なんでもないさ」


 食事を済ませると、リネーアが、ちょっと来て、と部屋の奥に通された。彼女が使う浴室のようだ。狭いながらタイル張りにしてあり、使いやすそうだ。


「その髭、剃ってあげるよ、むさ苦しいし」


 女性の家に、なぜそんなものがあるのか、詮索するのは野暮だが、髭剃りの用意がされていて、もうもうと湯気をあげる洗面器にカミソリを漬けて、顔に塗った石鹸の泡ごと、無精髭は、スイスイと剃り落とされていく。最後に蒸しタオルで顔を拭われて、実に半月ぶりくらいに髭を落とした顔が鏡に映っていた。


「いい男じゃないか」


 リネーアは目を細めると、ものを片付けていく。その手が慣れているので、

「そうやって誰かの世話をしてきたことがあるのか?」


 思わず聞いた。ものを片付ける手が一瞬止まったが、リネーアは笑って、そうだねぇ、と言った。


「まあ、こんな歳だしね、そういう人も何度かいたよ」


「結婚はしないのか」


「私みたいなのと添い遂げられる人はいないよ。その時その時の恋人でいいと思うよ」


 汚れた水を流すと、洗面器を洗い上げて、布でキュッと拭いた。


「さあ、コーヒー入れよう。それを飲んだら、今日も沢山働かなくちゃ」


 洗面所から出ようとした、リネーアの手を掴んだ。本当に、思わず、だ。


「なんだい?」

「俺は子供の頃、魔女だと言われていた女の所へ毎日通っていた。ものすごく可愛がって貰ったんだよ」


「…へえ、そうなの」


「おかしいことなんだけど、リネーアとその人が似てるんだ、髪の色は違うけど」

 青い目はテュコを見つめて、少し潤んだ。


「そうかい、その魔女とは、どう別れたんだい?」


「ある日、その家から居なくなった。ただ、いつも俺のために空けておいてくれた引き出しに、これがあった」


 胸元から取り出した鍵を見せた。

「呪い《まじない》が、かかってるね」

「呪い?」

「ああ」

 リネーアはそれを手に取った。そして目を細めると、テュコを見つめた。


「これを、しばらく預からせてくれるかい?」


「お守りにしてきたんだが」

「ちゃんと返すよ、そうだね、今度ハロウィンの日に、もう一度うちに来てくれる?」


 リネーアは蕾が花開くように笑った。


 それに見とれてしまって、テュコは頷くことしか出来なかった。





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