りんごの森でお茶会を

伊崎 夕風

第1話 りんごの森

 森の入口に1台の古ぼけた馬車が入っていく。馬車には一人の男が乗っていた。橡色つるばみいろの帽子と似た色のくたびれたローブ。もみあげのところから顔半分を覆う豊かな髭、と言いたいところだが、無精髭が。帽子から覗く髪は焦げ茶色で、瞳の色はもう少し明るい。少し鷲鼻気味の鼻は、横から見るとスッキリ高く、身体付きはがっちりとしていて、ローブの首元から覗く首元はしっかりとしている。見てくれのくたびれ感よりも、ずっと若い男だ。


 ガダガダと音を立てる馬車の振動に、腕がだるくなり、男はため息をついた。


「なんだってこんな遠い森まで…あっちもこっちも、注文受けすぎなんだよ、ったく…」


 馬車の荷台には、布がかけられていて、中には野菜、果物、穀物、日用品、来る途中寄った水辺で、妹への土産になるかと撃ち落とした鴨の肉が血抜きした状態で乗っていた。


 先日、日付を指定の上、手紙での大量の物品の注文書に、妹は商売根性を出して、直ぐに返事を書送っていた。全く、あのタフさは誰に似たんだか。


「でもまあ、こんだけ沢山の物頼んでくれたんだから、仕方ねーか」


 チラ、と見た荷台の端には、大量の砂糖と小麦粉、ドライフルーツ。果実のカゴが。


 紅く色づいた木々、緑のままの針葉樹、黄色く染まったイチョウの木はチラチラと葉を落とし始めていた。木漏れ日が膝元を通り過ぎていく。土と枯葉、木々の香りが胸に入ると、長い道中に、ぼんやりした頭がスッキリとしてきた。小川が流れているのか、微かな水音が聞こえる。大きな木の枝にリスが登ったり降りたりして追いかけっこしているのを、細めた目で眺めた。鳥がさえずり、海を渡ってきた蝶が下草と一緒に生えている花の周りを忙しそうにヒラヒラと舞う。


 良い森だ。初めて入る森だったが、こんな森の奥に誰が住んでるんだ?と男は、不思議に思った。村からは適度に離れているし、この道は石畳が引かれているとはいえ、誰がこの森の木々を手入れしているのか不思議なほど、下生えの草は刈り取られ、余計な枝が落とされてる。


 視界の端に、これまで緑の木々、色付いた黄色や朽葉色の錆びたような中に、赤く染まった物が見えた。風にさわやかな甘い香りが混じる。


「実?…リンゴか」


 住所を確認して成程、と思った。

 リスアニア地区、リンゴの森、とある。


 もしや、と思い至った。


 数年前、どこぞの森に、魔女が一人住み着いた、とどこかで噂を聞いたのだ。人の口はさがなく動くもので、ものを腐らせる魔法をかけた、だの、嫌がらせに雨を降らせた、など、悪い話を聞けば、気立ての良い魔女で、病気の子供の看病を手伝ってくれた、畑の作物の育て方を教えてくれた、とそんな噂まである。


 今回は、こんなに沢山の食料をどうするつもりなのだろう。りんごの木があちらこちらに枝を伸ばしていたが、その周辺は日が当たりやすいように木が切られていて、木の1本1本にりんごも、種類の違うものがなっていた。


 黄色い肌のりんご、真っ赤なもの、深みのある真紅、赤子の握りこぶしほどの小さな実。


 やがて、爽やかなローズマリーや花の終わったラベンダー、セージやタイムなどのハーブの畑を横切り、少し角を左に曲がったところにひっそりのその山小屋は建っていた。こぢんまりした小屋は、住んでいても、まあ、1人か2人だろう。レンガ積みの部分と、丸木を積んだ所があった。屋根の煙突からは、煙が柔らかくゆらゆらと立ち上ってる。小屋の隣には納屋が建てられていて、馬が1頭繋いであった。


 さっきから甘い香りがするのは、菓子を焼いているのか、肉を使ったスープの香りもする。男は、テュコは、さっき食事したばかりだと言うのに、その美味しそうな匂いに食欲が湧いた。馬車を止めて、家の戸を叩くと

「お届けものだよ!」

 声をかけた。中から、はーい、と女の声がした。若いとも年寄りとも違う中年の女か、とテュコは思った。

 ギィ、と音を立てて、その古ぼけた木の戸は内側に開いた。そこに立っていたのは、思っていたよりもずっと若い女だった。緩やかにうねる金色の髪を、器用に編んで後ろでまとめて、その首筋は、ほっそりとしており、抜けるような白い肌をしていた。こちらを見上げる瞳は碧眼。湖に映る空のような色だった。


「あ、あんたがリネーアかい?」


「そうだよ、雑貨屋さんのテュコだね?待ってたよ、頼んだもの、中に運んでおくれ」


「おう」


 もう少し、としかさの女が出てくると思っていたので、あんなに若くて綺麗な女が現れると思わなかった。確かに見た目は若いのだが、話し方や瞳の落ち着きが、本当はもっと年齢が上なのではないかと思わせていた。だがあの抜けるような肌の白さは、若者独特の透明感だった。


 テュコはかぶりを振った。若い女に絆されてたら、妹にまた、どやされる。


「運んだよ、確認してくれるかい?」


 声をかけると、女はそばまでやってきて顔を顰めた。


「生臭いんだけど、この袋の下に血がついてない?」


「ああ、さっきカモを仕留めたんだ、もしかしたらそれかも」


 テュコの言葉に女はため息をついた。


「こっちに袋があるから、詰め直すの手伝って。下の方の砂糖は返品するよ」


「待ってくれよ、中身は大丈夫だよ」

 テュコは慌てた。こんなところまで運ばせておいて、返品など、冗談じゃない。


「子供たちに配る菓子を作るのに、汚れのあるものを使いたくないんだよ、もしおかしな霊に取り憑かれたらどうする?私はここで生きて行けなくなるんだよ?」


 その言葉には鋭さがあった。真剣な目をしていた。ただ気分で返品を迫ろうとしている人の目ではなかった。


「わかった、言う通りにする」

 テュコは引き下がった。こちらにも落ち度はある、仕方ない。


「悪かったね」

「いや、悪いのはこっちだ」

 砂糖をリネーアの言う通り、彼女の用意していた袋につめかえると、底の方にあった砂糖はそのまま荷馬車に戻した。

 少し気まずいまま、代金を受け取る。


「ああ、そうだ、これ、良かったらひと休みする時にでも食べて」


 リネーアは、布に包まれたものを広げると、焼き菓子が入っていた。

「きっと疲れがマシになるよ、道中気をつけて帰ってね」

 リネーアが、菓子を包み直しながらそう言ったところで、森の入口の方から小さな足音が聞こえた。2人はそちらへ顔を向けた。


「リネーア!リネーア!」

 叫びながら、茶色い髪の男の子が、つんのめりながらかけて来た。歳は8つか9つ位の。


「どうしたんだい?」

「母ちゃんが、死んじゃう!助けて!」


 屈んで男の子を抱きとめながら、リネーアは眉を寄せた。そしてこちらを振り返った。


「ねえ、その馬車で街まで送ってくれない?この子の母親お産なんだよ、ちょっと気になってたんだ。どう?」


「ああ、どうせ街まで出るつもりだったんだ、ついでだし乗っていけよ」


 困った時はお互い様だ。


「いま、火を始末してくるから、ここで待ってて」


 リネーアは急ぎ足で小屋へ戻ると、スープを煮ていた火を落とし、戸締りをして、荷物を抱えて戻ってきた。男の子は下を向いて泣きそうな顔をしていた。


「私はこの子と荷台に乗るから」

「ああ」

「森を出たところの川を下ってすぐの街だよ」

「よし」

 テュコは馬車を出した。荷台に並んで座った男の子の肩を優しく擦りながら、リネーアは言った。


「大丈夫、無事に産まれるよ、何となく逆子じゃないかと思っていたんだ。お母さんにもそれは伝えてある、準備してるはずだ、何とか手伝ってみるよ」


 やがてやってきた街は、田舎の割に賑やかで、男の子の家は、街に入ってすぐの、路地を曲がったところにあった。


「ありがとう。お礼をしたいんだけど、また連絡させてもらうから…」


「ああ、いいって、俺も街には用事があったから」


「そうかい?、じゃあ、急ぐから」

「ああ、坊主、いい子が産まれるように祈っとくよ」

「うん!」


 男の子は、リネーアと手を繋いで家へと入っていった。その二人の後ろ姿に既視感がした。なんだろう、と思いながら、テュコは気にしないことにした。



 街の食事を出してる店で、馬車と荷物を預かってもらい、長椅子に座ってしばらくの間仮眠をとった。起きたあとは、炙った肉を挟んだサンドイッチを昼食変わりに頬張って、葡萄酒を1杯引っ掛けると、気持ちよくなって来た。リネーアから貰った菓子を、ひとつつまむと、口に放り込んだ。ワインの風味とも合う不思議な菓子だったが、なるほど、疲れが抜けて元気が出てきた。


「魔女、か」


 呟いた時、隣にいた親父がこちらを見た。


「兄さん、リネーアの所に行ったかい?」


「あ?ああ、さっき頼まれたもの届けに」


「リネーアをロンの所へ送ったのはお前さんか?」


「ああ、そうだけど?」


「今さっきな、赤ん坊生まれたみたいだ。リネーアは産婆さんと一緒に出産を手伝ったんだと、あの人はいい人だ。わしも孫が病気した時に世話になった」


 先程の、袋についた血の跡を見て、眉を寄せた、リネーアの顔を思い出した。

 あの男の子に、頼みの綱のように頼られ、町の人にも好印象。それでもあんな怯えるような顔をさせてしまうのは、どんな出来事が、これまで、あの人に訪れたのだろう。


 テュコは、リネーアのだ、と親父さんに菓子を分けてやり、もう一度坊主、ロンという男の子の家の前に寄ってみた。すると、その先の道を、リネーアは家に向かって歩いていた。馬車をその隣まで走らせると、声をかけた。


「もう、生まれたんだってな」

「ああ、あんたかい。ちょっと心配したけど、母親に伝えていたことを本人が覚えていてね、その通りに用意もしてあったかららすぐに対応出来たよ」


 リネーアは、ほっとした顔をしていた。


「乗ってけよ、通り道だし、家まで送ってやるよ」


 歩きながら、こちらを見たリネーアがこちらを見て、口角を上げた。


「じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 馬車を止めてやると、リネーアは馬車に乗って、テュコの横に座った。


「月の終わりのハロウィンに、家で子供たちにお菓子を振る舞う予定なんだ」


「だからあんなに?」

 大量の小麦粉やら砂糖やら、1人で消費するのは無理だろうと思っていたが、そういうことだったのか、とデュは納得した。


「ふふっそう。ここに引っ越してきて3年、ようやく信用が出来たからね。子供だけで家に遣いに出したりもしてくれるから、思い切って声掛けたんだ」


「お前さんは、魔女だって聞いたけど?」


「さあ、どうだろうね。女ひとりで、森の中に住んでいたら、そんなふうに言われても仕方ないかもね」


 すました顔をして顔をして、イエスともノーとも取れる言い方でかわされた。


「あんたにとったら魔女ってどんなもんだい?」


「え?」


「牛乳にカビ生やしたり、子供をかどわかしたり、そういうものなのかい?」


 リネーアは、含み笑いをしながら、テュコを見た。


「そんなもんじゃねえ、普段は優しい顔してるが、自分の立ち向かうものに対峙した時は、それは恐ろしい姿を現すものだよ」


「…へぇ」


「まあ、チビの頃に見ただけだがな、俺は命を救われた側だ、魔女のみんながみんな、悪魔と取引するような輩ではないってのは、わかってるよ」


「ふーん」


「それに、そんな魔女に子供が懐いたりするもんか、子供は意外に賢い」


 チラリと隣を見ると、こちらを見ていたリネーアが、ため息をついて前を見すえた。


「安心してるところ、足をすくうかもしれないよ?」


 リネーアの言葉に、テュコは眉を上げた。そしてカラッとした声で笑いだした。


「あんたは、そんなことしねえな。そんなやつなら、さっきの砂糖、たっぷり値切って全部買取ってるよ」


 リネーアは、見透かされたことを恥じたのか、少し赤くなって口をとがらせた。


「女性に聞くのは反則かもしれないけど、お前さんいくつなの?」


「…127歳」


「そうかい、27歳か、俺の2つ下だな」


「ちょっと、端折らないでくれるかい?」


「わかってる、わかってるって」


 テュコは笑って言った。意外と冗談も言える魔女なんだな、と思ったのだ。慌てている様子が可愛いようにも思えて、なんだか楽しかった。











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