銀色の彼女に贈る物語
ヴィルヘルミナ
銀色の彼女に贈る物語
夏休み直前の、いつもと何も変わらない月曜日の朝だった。
駅に向かって歩きながら何気なく空を見上げると、青い空に浮かぶ白い雲を背景に、きらりと銀色の何かが光る。風船か
流れ星なら願い事でも唱えるところか。くだらないと思いながらも、何かおもしろいことが起きればいいのにと願うと銀色の物体はいきなり視界から消えた。一体何だったのかと思っても興味は次へと移る。日々の情報は多すぎて、いちいち気にしていたら消化できない。
朝の通学時間、駅の混み具合は酷い。イヤホンから耳に流れる音楽に合わせて、疲れた顔をした人々の間をすり抜けるのは日常。最小限の動きで最大限の利益を得るのが最上の選択だという風潮に乘っているふりをするだけ。
人の流れに逆らいながら、銀色の髪の女が歩いてくるのが見えた。長い銀髪と白いワンピースが揺れている。俺と同じ歳ぐらいにしか見えないが、この時間に学生服という訳でもないから、年上なのかもしれない。
近づいてきた銀色の髪の女は、突然俺の腕をつかんだ。驚いて青い瞳を覗き込むと、ふわりと優しい花の匂いが香る。
「は? 何するんだよ!」
知り合いでも何でもない。綺麗な顔をしているのに変な女だ。俺よりも背が高いことにもムカついて、その手を振りほどく。何か言いたげな女を振り切って、俺は駅へと駆け込んだ。
◆
教室で授業を受けながら、俺は銀色の髪の女のことを思い出していた。もしも、あの女の話を聞いていたら何かが始まっていたのかもしれない。ボーイミーツガールで始まる非日常。日常から抜け出すチャンスを逃してしまったのかと夢見る俺を、冷めた気持ちで自嘲する。
窓の外の青い空を流れる雲は緩やかで、動画の倍速視聴に慣れた目には静止画に見えてしまう。
何も起こらない平和な日々が幸せなのだと教えられてきた。与えられた課題をそつなくこなし、最新流行に乗り遅れないようにチェックを欠かさず、溢れる情報を丸呑みする日常。刺激的な情報は多いのに、過激になればなるほどつまらないと退屈を感じるのは何故だろう。
掴めなかったチャンスは忘れるのが最善。そう考えても、どうしても銀色の髪の女のことが俺の頭から離れなかった。
◆
学校からの帰り道の公園で、俺は銀色の髪の女に捕まった。夕焼けが銀の髪へと淡く色を落として、不思議な色彩を帯びている。
朝からずっと俺を待っていたのだろうか。非日常へのチャンスが来たと淡い期待が心の中に沸き上がる。
「何の用だ?」
俺の問いに彼女は自分の名を名乗り、人を探しているのだと言った。俺の期待は見事に打ち砕かれ、残念な気持ちを隠しながらとりあえず話の続きを聞く。
「人探し? ……名前は?」
返ってきた名前に俺は驚いた。彼女が探している人物は、俺が密かに書いている物語のヒーローと同じ名前だった。
『貴方はあの人の物語を書いているのでしょう?』
誰にも知られていないヒーローの名前を言われたことで、俺はうろたえた。親友にすら俺が物語を書いていることを教えてはいない。誰にも見せる予定のない物語のヒーローは俺の理想の分身だった。そんな夢物語は恥ずかしくて人に見せられない。
『すべての物語は、この宇宙のどこかの世界で起きていることなの。物語を書く人々は、それを何らかの形で受信して、自分の物語として出力している』
俺には彼女の言葉がよくわからなかった。子供の頃、ノートの切れ端に書きはじめた物語は、高校一年になった今ではノート二十冊分になっている。俺の分身の物語がどこかの異世界で実際に起きていることだなんて、信じられるはずもなかった。
『物語を受信して、きちんとした文章にできる人もいる。言葉の断片でしか表せない人もいる。それは詩や歌という形になっているの』
一つの物語は広大な宇宙の中、無数にある世界のたった一人だけが受信できるようになっている。彼女が探す人物の物語を俺が受信して書いているということらしい。
「……名前と顔しか知らないって、どうやって探すんだ?」
『だから貴方が書いた物語を見せて欲しいの。もっとあの人のことを知りたいの』
彼女専用の船に乗って異世界を渡りながら探しているうちに、偶然俺を見つけたと彼女は微笑む。
俺は彼女の青い瞳の中に、静かな熱狂を見た。その瞳で追いかけられるヒーローに密やかに嫉妬する。
「わかった」
そんな目を見たら、断れない。
『お礼は何にすればいい?』
「礼なんていらない。俺は誰かが自分の物語を読んでくれるだけで嬉しい」
彼女は納得できないという顔をしたが、ノート一冊を読むごとに感想を聞かせてもらうということで納得してもらった。
◆
夏休みの図書館の自習室で、俺は彼女にノートを手渡す。
「子供の頃の字だから、読みにくいかもしれない」
拙い文章でつづられた物語だというのに、彼女はとても喜んだ。
彼女が熱心に読んでいる間、俺は必死で物語の続きを書く。読者が隣にいるという奇妙な緊張が、書く速度を上げる。
午前中に用事を詰め込んで、午後になると図書館へと走って彼女と過ごす。夜は物語の続きを書く。慌ただしい俺を、忙しい両親と親友は猛勉強していると誤解していた。
流行のチェックが滞って、クラスメートと話題が合わなくても焦りはなかった。わからないと素直に言えば、意外とそれで事足りる。おもしろそうだと思えば教えてもらえばいいと割り切った。日々の時間は限りがあるし、自分がやりたいことをやっているという充実感は何物にも代えがたい。
彼女からのノート一冊ごとの感想は、思いがけない視点や新しい発想をもたらしてくれた。次々と先の展開が、形となって見えてくる。
頭の中に浮かぶ光景を、俺は自分の文章で表現していく。正直に言うと俺の頭の中にある物語は奇想天外過ぎて、実際に起こっていることだとは思えない。
読者と作者と、二人が並んで物語を作っているような感覚は新鮮だった。それは夏休みの間、毎日続いた。
◆
夏休みの終わりが見えてきたある日、ついに物語のストックが切れ、彼女は俺が書く物語を覗き込んで読むようになった。早く書かなければという焦りと、ふわりと香る花の匂いが無駄に鼓動を跳ね上げる。バレないようにと願いつつ、文字を書く。
やがて物語が一つの区切りを迎えた。ヒーローは一つの冒険を終え、また次の冒険へと向かっていく。
「これで、今のところは終わりだ。まだ続きは書くから、ストックが出来たら連絡するよ」
俺は内心残念に思っていた。毎日の図書館での待ち合わせは、ある意味デートのようなものだった。何とかして次の機会を作りたいと必死で考える俺に向かって、彼女は無邪気な笑顔を見せた。
『ありがとう。でも、これで終わりでいいの。貴方の書いた物語で、私はあの人のことをたくさん知ることができた。だからこれからすぐに探しに行くことにする』
彼女の青い瞳は、未来への希望に輝いている。俺は彼女を止められるはずもない。……俺は彼女のヒーローにはなれなかった。
『貴方の書いた物語は、とっても面白かった。もっと続きが読みたいと思うもの』
「そうか。ありがとう」
俺が素直に礼を返すと、お礼を言うのは私の方だと彼女は微笑んで俺の両手を握った。その手は柔らかくて、とても温かい。
『本当にありがとう。貴方に会えてとっても嬉しかった』
彼女の笑顔は銀色の光の粒になり、はじけて消えた。
後に残されたのは、俺一人。公園のベンチに座って空を眺めていると、夕焼けが徐々に宵闇に染まっていく。この光景の美しさと切なさは、倍速では味わえない。
星の数以上に数え切れない異世界の中で、たった一人を見つけ出す。それはとても難しいことだろう。それでも、彼女はきっとあきらめない。物語を書く俺を見つけ出したのだから、ヒーローを見つけることもできるだろう。
いつか彼女がヒーローを探し出したら、俺が書く物語の中に彼女が現れるのだろうか。それは、少し楽しみなことでもある。
夜空の中、上昇していく銀色の何かが見えた。あれはきっと、星々と異世界を渡る彼女の宇宙船。
「頑張れよ」
俺は消えた彼女にエールを贈る。
――そうして俺の恋は、誰にも告げることなく静かに終わりを迎えた。
銀色の彼女に贈る物語 ヴィルヘルミナ @Wilhelmina
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