義兄の助言
あてがわれている自室に戻る。
部屋の奥は、岸壁に張り出した露台になっていて、潮風が通る。眼下は海で、打ち寄せる波が岸壁に当たって白く砕け散るさまが見える。崖には緑の蔓が網の目のように這い、そのところどころについた白い花の芳香が、潮の匂いにほのかに混じる。
一方部屋の中には、木箱のような寝台と、同じく木の文机がある。この離れを与えられて初めて見た寝台というものに、最初なかなか慣れなかったのはもはや懐かしい思い出だ。文机の上には葉っぱを栞がわりにした書物が読みかけてあり、床にもくすんだ色合いの書物や巻物が広がっている。
波の音が遠く聞こえる静けさの中、床を片づけたカヤは、続けて手早く荷造りを始めた。壁に立てかけていた朱塗りの弓を手に取って弦の張り具合をたしかめ、矢筒の矢の本数を数える。依頼があればすぐ発てるように、必要なものはいつでも寝台の脇にまとめてあるから、支度にそう時間はかからない。あとは出がけに干し魚などの保存食を補充すればいいだろう。
「カヤ、いい……?」
小さな声に振り返ると、開いたままの扉の陰から、
それで納得したのか、はたまた観念したのか、小さく礼を口にしながら円座の上に正座した義兄が、カヤを見上げて、ふっと表情を引き締めた。
「――あのさ。都を
カヤが無言で促すと、義兄は普段と違い淀みない口調で続けた。
「もともとあのあたりは近年妖が増えてたらしい。それを片っ端から消し飛ばしてたのが蛇の目の符術師だった。単純にそれがいなくなって、増加に退治が追いつかなくなったのと、あとは呪詛」
「呪詛?」
「蛇の目の符術師からの、じゃないよ。都に、呪詛を行った痕跡がある。呪詛のときに発生する毒気も、妖の大好物だからね。おおかた、山の澱み場に惹かれて集まってきた妖の一部が、手近な都に流れたんだと思うよ」
一度生じた澱み場には、その瘴気を
「都で行われた呪詛の毒気が悪鬼怨霊を引き寄せた――すなわち今の都の惨状は自業自得だと。……しかし、こう言ってはなんですが、呪詛はよくあることでは?」
人が多く集まる場所において、呪詛の類は行われないほうが稀だ。けれどそのたびにすべての場所が、今都が文で訴えてきているような有様になるわけではない。
「そだね。でも今回は半端な呪詛じゃない。都中の術師総出で呪ったんじゃないかってくらいの規模だ。当然発生する毒気も多くなって――気ってのは類を呼ぶからね。呪詛の毒気が周辺の毒気を引き寄せて、それを糧とする連中には垂涎の餌場になったんじゃない」
そう、皮肉げに口の端をゆがめる義兄は、長の前では意識を向けるのも嫌だと騒いでいたのに、かなり詳細に「
しかしそれでは、とカヤは首をかしげた。
「仮に蛇の目の符術師を退治したところで、都の問題は解決しないのでは?」
「うん、しない。でも、巡り巡ってましにはなっていくと思うよ。蛇の目を倒して彼がいる山の澱み場を浄化すれば、それに引き寄せられて都に流れてくる妖は減るだろうし。あと……」
少し言葉を選ぶようにしてから、義兄が続けた。
「現状は、符術師も含めた都人が『これは蛇の目の符術師の報復だ』って思い込んでいることで、災いを引き寄せてる部分もあるから。自分で自分を呪ってる感じ。心頭滅却すれば火もまた涼しとは言うけど、逆も
「つまり結局のところは都の依頼通り、蛇の目の符術師を倒せばいいわけですね」
短くまとめてカヤがそう言えば、
「……まあ、うん。そういうことなんだけど……」
義兄は困ったように眉を下げた。
「今回のはめんどくさいよ。よくある、その地に巣くってる強い妖や悪霊を倒せば、その地の穢れや瘴気も晴れていく案件とは違う。仮に蛇の目を退治したところで、彼が根城にしているらしい、山の澱み場は浄化されない。あの澱み場は蛇の目によって生まれたわけじゃなく、また別の因縁で遙か昔に生じたものだから。蛇の目によって深刻化したのはまあそうみたいだけど。
――そしてたぶん、山の澱み場をどうにかしないかぎり、蛇の目は倒せない。因縁でぐるぐる巻きにされてるから、仮に殺したところで死体に澱み場のどろっどろの情念やら実体のない妖悪霊やらが流れ込んで復活する。それを蛇の目の符術師と呼ぶか、哀れな
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