朽葉色の導き

「あなたがカヤか」


 まっすぐに視線を向けられて、思わず小さく息を呑んだ。だってこのときにはもうだれも、一番関わりの多い乳母でさえ、まともにカヤの顔を見ることはなくなっていた。


 そしてとたんに、すうっと、まるで熱が引くように、身体から重さだるさが消えたのがわかった。少年の眼に吸い取られていったようだった。


「……術師、さま?」


 都の符術師ふじゅつしだろうか。あんなに頼れぬと言っていたのに、とうとう父は呼び寄せたのだろうか。そう思いながら尋ねたカヤに、予想とは違う答えが返ってきた。


「私は游宮ゆうみやのヒイラギ。あなたがカヤだな」

「ゆう、みや?」

幻島げんとう游宮。この都から見て南東の、翡翠の海にぽっかり浮かぶ小さな森の島だ。住んでいる者のほとんどがなんらかの術使いであることから、術師の島とも呼ばれている。人里で厄介な妖関連事件が起きたときの切り札にして禁じ手――最後に頼られる場所だ」


 その説明で、カヤにはわかってしまった。


「父上に頼まれて、いらしたのですね。……僕の、処分に」


 少年の、切れ長の目がわずかにみはられた。


「僕は……父上の、助けになるはずだったのに。そのために生まれたのに、こんなだったから。不気味で、鬼子で、妖憑きかもしれなくて……父上を、もっと困らせることしか、できなかったから」


 本当は、助けたかった。望まれた通り、父の力になりたかった。初めて対面したときの、胸をかれたような表情を覚えている。祈るような声を覚えている。隣にあって、役に立ちたかった。自慢の息子でありたかった。強く険しいその目の奥に悲哀と餓えを隠した父の、支えになりたかったのだ。

 だけれどそれは叶わなかった。カヤはとうてい、役立つものになれなかった。どころかきっと、父を悩ますばかりだった。だからとうとう、見切られてしまったのだ。


 膝の上に置いた手を、ぎゅっと固く握りしめた。対面にいる少年の、萌黄色の指貫袴さしぬきばかまを、じっと見つめて口をつぐんだ。うっかり身じろぎしようものなら、嗚咽がこぼれそうだった。泣きたいのは、カヤではないのに。


「――あるいは」


 低く、ひとりごちるように、少年がつぶやくのが聞こえた。


大臣おとどは私に、息子を預けると言われた。都の外へ、つれていってくれと」


 息を呑み、カヤは静かに、目を伏せた。つとめてゆっくり息を吐き、いっしょに言葉を吐き出した。


「……わかりました」


 わかってしまうか、と、少年がつぶやいた。淡々としたその声はほんの少しの憐憫を含んで、小さな痛みが伝わってきた。だからカヤは顔を上げて、不格好にでも笑ってみせた。

 そんなカヤをしばらくじっと見ていた少年が、唐突にまた、口を開いた。


「……異物とされる少数派が余人に認められるには、力を示す必要がある。暴力ではなく有用性を」


 目の前のカヤを見ながらも、どこか遠くを見ているような瞳だった。


幽世かくりよまで感知するほど過敏なあなたの感覚は、日常の暮らしには無用のものだ。無用どころか枷になる。だが異状の危機にあっては、そのさとさが役に立つ。己の身体の外のことまで我がことのように感じ取れる、その鋭さは力になる。生まれ持ったその特性に振り回されるのではなく、うまくつきあっていきたいと望むなら、取っかかりとなる知識は、游宮があなたに授けよう」


 ぱちりと瞬いたカヤの前で、唯一あらわな少年の目が、試すように細められた。


「その先はあなたが決めることだ。己の性質とのつきあい方を覚え、知識と修練で武装して、術師となった者もいる。一方で、より良い自分の探求の果てに妖と化した者もいる。……当人が望むなら、後者もひとつの道だろう。もっともそれで退治依頼が舞い込んだ場合、游宮は躊躇なく退治に動くが」


 どうする、と問うてくる目に、カヤは。


「……つれていって、ください」


 そう、答えた。


「役に立つものになる方法を、教えてください」


 ――たとえもう決して、父の期待にこたえられることはないのだとしても。

 つねに凛と背筋を伸ばして、まっすぐ立っていられるだけの、心と身体がほしかった。

 うずくまって嘆くだけの、無力な子どもから変わりたかった。


   ◇


 游宮の長は世襲ではない。そもそも游宮で生まれる子どもより、拾われてくる子どものほうが圧倒的に多いので。

 長と言っても、島外から持ち込まれる依頼の振り分け係程度のもので、そうありがたがるものでないとは、当の本人の談である。

 事実、游宮において住まう者の間に明確な差はなく、望めばなんでも学ぶことができた。

 少しだけ年嵩としかさの子が言った。


「ぐずぐずうじうじしてんなよ。ここに来ることができた時点で、おれたちはそうとう恵まれてんだ」


 その通りだと思った。游宮には、目を合わせるとのしかかってくるものも、しがみついてくるものもいなかったし――たまにいるけれど即座にかえされているのだとは、後から知った――森と海に囲まれた空気は、ひどく息がしやすかった。外部の刺激に弱いのはここでも変わらなかったけれど、自分の芯を意識するための、ただ息を吸って吐くことのみに集中する修行を始めてからは、前ほどどうしようもなく寝込む回数は減った。そうして少しずつ増えた、まともに動いていられる時間を、これまでの空白を埋めるように、学ぶことに費やした。


 ある程度自分の身体を使いこなせるようになってくると、いわゆる武術にも手を出した。弓が相性が良いようだったけれど、もっと良いものもあるかもしれないと、槍も、剣も、ひととおり試した。游宮にはどの道の先達も揃っているのが、本当に、恵まれた環境だと思った。


 けれどそうして強くなったとしても、胸の内にはいつだって、幼い自分がうずくまっていた。


 だれが知らずともカヤだけは、自分がひどく汚いものに思えたことを覚えている。本質は、何一つ変わっていないことも知っている。


 だからこそ、游宮に寄せられる妖退治の依頼は率先して受けにいった。最初のうちは長も、おまえにはまだ早いと問題にもしてくれなかったが、やがて複数で赴く依頼のうちの一人に入れてもらえるようになり、そんな数々の経験がたしかに身についた頃には、一人でも依頼を流してもらえるようになっていた。


 ――普段は化け物だ鬼子だと排斥しておいて、困ったらその化け物の力で助けてくれなんて都合がいいよね、と義兄あには言う。それで良いのだと、長は言う。

 カヤは。


(助けてほしいと言われるのなら、助けに行く)


 だって助けを求められるということは、役に立つと思われているということだ。

 助けてほしいとすがられるたび、自分に価値がついていく気がする。自分の中のぽっかり空いた空洞に、たしかなものが積もっていく気がする。


 だから、依頼にこたえ、化け物から助けた結果、化け物を見るような目で見られようが、あきらかに因縁極まる危うげな依頼が持ち込まれようが。

 カヤには、助けてと伸ばされた手を振り払う選択はないのだ。


 ――(『とりのやかた』のおとどがしんだよ」)。

 ――(『はなのやかた』のおとどへの、うらみのあまりおんりょうになって、へびのめのふじゅつしに、たいじされてしまったってさ)。


 ――一番役に立ちたかった相手が、もうこの世にいなくても。




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