鳥の令息

 北の都の最高位は都主みやこぬしだが、そのすぐ下に四大臣と呼ばれる役職がある。

 中でも、儀式を司る花の大臣おとどと、軍事を司る鳥の大臣おとどは、長年覇を競い合っていた。


 しかし、鳥の大臣の支配下にあった城仕えの符術師ふじゅつしが、対妖戦の主力とはいえ、その本質は兵士ではなく祭司であるとして花の大臣の管轄に置かれて以降、鳥の大臣の勢力は弱体化した。


 その変革を成したのが、次男を城仕えの符術師としていた、当代の花の大臣だった。


 跋扈する魑魅魍魎を平定する力を有していたことでほかの人里と一線を画し、周辺の里に支配力を行使するようになった都において、妖退治の主戦力である符術師たちの長であることは、都主の座を除いては、何にも勝る権威であった。長年にわたり受け継いできたその座をかすめ取られた鳥の大臣は、怒り憤り、それ以上に焦り恐怖した。先行きに暗雲が立ち込め、使用人たちの顔も暗く陰った鳥の大臣の屋敷、そこに、待望の跡継ぎとなるべくして生まれたのが、カヤだった。


 カヤの姉にあたる、鳥の大臣の姫君たちは、それぞれほかの有力な貴族のもとへ嫁ぐなり婚約するなりしていたが、花の大臣の一の姫が次期都主の妃に定まったことと比較しては、鳥の大臣は歯噛みしていた。ことあるごとに、出し抜かれたと言って憎んだ。そうして鬱屈した空気が常となっていた屋敷が、カヤの誕生によって、一転祝宴に沸いたという。


 けれどそれも、わずかな間のことだった。


 鳥の大臣の北の方は、カヤを産んでから寝付くことが増えた。まるで肩の荷が下りたようにみるみる衰弱していって、一月のちには儚くなった。


 忘れ形見となったカヤには乳母とたくさんの侍女がつき、大事に大事に育てられた。


 強面で苛烈な鳥の大臣に対し、北の方はおだやかで優美な人で、それまでは、かつて次期都主の妃となるべく教育されていた三番目の姉が、一番彼女に似ていたという。

 ――ですが若様はそれ以上に、亡きお方様にそっくりでいらっしゃる。ご成長の暁にはきっと、絵巻のような殿方になられましょう――と、乳母や侍女は涙ながらにカヤを褒めそやし、その将来に期待をかけた。


 物心着いてからはじめて対面した父は、カヤの顔を見て一瞬、はっと胸をかれたような顔をした。


 しかし父はすぐにその表情をぬぐい去り、噛んで含めるように言った。


 ――「良いかカヤ。おまえは立派な男になって、わしの跡を継ぐのだ」。


 けれどカヤは、しょっちゅう寝込む子どもだった。


 寝付くたび、乳母や侍女たちは蒼白になり、大騒ぎになって、薬師が呼ばれた。呼ばれ、治せず、また次が呼ばれ、けれど治せず。


 ――「もしや、花の大臣の手の者が、若君を呪詛しているのでは」。

 ――「だとしたらどうすれば。呪詛を祓える符術師は、もはや全員、花の大臣の手の内です」。


 かつて鳥の大臣が次期都主の妃にと期待をかけていた三の姫は、急な病で儚くなった。大臣はそれを、花の大臣方の呪詛のせいだと信じていた。そして今回も、と。

 心配し、憤る周りの険しい顔をやめさせたくて、幼いカヤは声を上げた。

 ――「ちがうよ」。

 ――「うずくまってる大きなひととか、じっと立ったままこっちを見ているひととか、からだはぜんぶもやもやなのに、目だけがはっきりしているものとかがね。目が合うと、すーってこっちにくるの。それにぎゅっとされると、疲れて、苦しくなったり、頭が痛くなったりするの」。

 ――「……若様?」


 こちらを振り返った侍女の、瞳に浮かんだ動揺に、そのとき気づくべきだったのだ。


 ――「……そのようなものが見えるのですか?」

 ――「見えるよ? ほら、今もそこで見てる」。

 ひっ、と短い悲鳴を上げて、侍女がその場を飛び退いた。そして、得体の知れないものを見る眼で、カヤを見た。


 ――「聞いたか。鳥の若君の話」。

 ――「お身体が弱い一方で、この世ならざるものを見ているらしいな。鳥の大臣は、花の大臣側の呪詛だとおっしゃっているそうだが」。

 ――「呪詛ならとうに儚くなっていそうなものだ。あれはむしろ……」。

 ――「しっ! めったなことを……!」

 噂が広がるにつれ、まるで紅葉が散るように、カヤの周囲から人が消えていった。


 人里を脅かす妖と戦い、呪詛を、瘴気しょうきを祓う符術師は、都の力として重用される。けれど、紙一重なのだ。都の符術師の異能は、先達から由緒正しい教えを受けて、修行を積んだ果てに会得した力だからこそ認められる。人の枠組みの中で、妖から人を守るため、養成された能力であると。ゆえに、だれから教えられたわけでもないのに生まれつき幽世かくりよを見て、あたりまえのようにその様子を口にする子どもは、人々からすればやはり不気味で、鬼子なのだった。そもそも都の符術師が相手取るのはたいてい、はっきりとだれにも見える形で現世うつしよに現れている妖か、現世に媒体のある呪詛で、完全に不可視の幽世のモノを感知できるのは、そのモノとの相性にもよるが術師の中でも一握り――とカヤが知ったのは、ずいぶん後のことだったが。


 表向きは呪詛を祓うためとして、カヤの部屋を中心として、屋敷中が煙るほどの香が焚かれた。カヤ自身は酒で、塩で、その他よくわからない植物や札で清められ、滝にも打たれた。


 それでも、皆には見えないものが見えるのは変わらず、寝込みがちなのも変わらなかった。濃くなるのは香の煙だけで、カヤの周囲はどんどん閑散とした。


 自分が汚いものになったようだった。


 かつてのように構われることもなくなって、日の当たらない、離れ座敷の布団の上で、日がな一日、膝を抱えて過ごした。


 変化は、五つのときだった。

 父がひそかに游宮ゆうみやの長を屋敷に呼び寄せ、カヤの身を託した。

 たしか秋口のことだったと思う。

 昼にはまだ早い、白っぽい日の差す壷庭つぼにわを見るともなしに眺めながら、薄暗い座敷の奥で、カヤは布団に横たわっていた。その日はいつにも増して具合が悪くて、熱っぽい頭と重だるい身体を持て余しながら、ぼんやりしていた。


 ぼやけた意識の一方で過敏になっている感覚が、土を踏む足音をとらえた。鼻先が、知らない香りを嗅ぎ当てた。


 外の人だ、と反射で思った。同時に、見られてはいけない、とも。鳥の大臣の跡継ぎの、こんな姿を見られては、父の立場がまた悪くなる。


 這うようにして布団を出て、衝立ついたての陰へ隠れたカヤに、軽い足音が近づいて、やがてふっと影がかかった。空気が揺れて、さっき嗅ぎ当てたのと同じ、とうに終わった新緑のような香りがした。


 観念して、おそるおそる視線を上げた。切れ長の目より下を鶯色うぐいすいろ面布めんぷで隠した、それでも怜悧とわかる風貌の、朽葉の狩衣の少年が、カヤの目の前に片膝をついていた。



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