七  游宮の少年

都の嘆願

「――堕地おち?」


 ちちちち、と、どこかで鳥が鳴いている。


 縁側の向こうに広がる中庭は、燦々と降る日差しを浴びた、したたるような緑で溢れていた。当代のおさの好みで増やされた庭木の数々が、いまだ若い色合いながらどれも確実に成長し、競うようにつるむようにしなやかに枝葉を伸ばしては、ひどくあざやかに息づいている。


 四隅を柱で区切っただけの開放的な座敷の中に、緑の息吹を多分に含んだ初夏の風が通っていく。風が揺らした几帳きちょうの陰、青い畳の座敷の上座に人形のように座した長が、重々しくうなずいた。


「さよう。我らで言うところのよどだな。とうとう嘆願がきおったわ」


 見よ、とばかりに投げ出されたのは、蛇腹様の折り目がついた、一通の長い文だった。文末に紅く目立って見えたのは、北の都の都主みやこぬしの印。一言断りにじり寄って、カヤはその文を手に取り開く。お決まりの時候の挨拶すら端折はしょって始まった文中には、今の都の窮状が、切々と綴られていた。


「……かの都が、たったひとりの術師を殺すため、躍起になっていたことを知っているか」


 流麗ではあるものの、切羽詰まった心情の透ける筆跡を目で追うカヤの耳に、長の声がすべり込む。一瞬文から視線を上げて、カヤは長にうなずいた。


「ええ。蛇の目の符術師ふじゅつし、でしょう」


 都人の心胆寒からしめた炎の大妖・絡繰灯龍からくりどうろうを、単身退治してのけた、不世出の若き符術師。


 しかし絡繰灯龍亡きあと、彼の運命もまた暗転する。まず彼に恋着した姫君が、報われぬ想いのあまりに妖と化した。いみじくもその姫は、都の符術師たちの長にして最大の権力者であった花の大臣おとどの掌中の珠で、そんな姫を妖となるまで追いつめた挙げ句討ち果たしてしまったかの符術師は、大臣の憎悪の的となった。そこへさらに、かの符術師最大の庇護者であった前都主の病死が重なり、彼を守るものはなくなった。精鋭ぞろいの討伐隊を幾度となく踏み散らかした絡繰灯龍という明確な脅威が消え失せて、平穏が戻った都において、そんな大妖を単身平らげたかの符術師こそが、次なる脅威に違いなかった。代替わりした新都主はそんな蛇の目の符術師を恐れ、花の大臣は憎悪を募らせ、そしてかの符術師は、一転追われる側となった。都を離れたかの符術師にはかつて絡繰灯龍に向けられたのと同規模の討伐軍が差し向けられ、その軍は、かの符術師を匿ったかどで彼の郷里を攻め滅ぼし、追い立て追いつめ、ついには彼を、多勢に無勢で討ち取る、かと思われていたが――。


ことごとく討ち取られたのは討伐隊のほうだった。蛇の目の符術師は、山のやしろを根城として、まだ生きている。ばかりか、妖と化して、瘴気しょうきを生んでいるらしい。その瘴気に侵されてかつての社は堕地となり、堕地となったそこから次々妖悪鬼が生まれては、日夜都に襲来し、さんざ仇なしているそうだ」


 淡々とした長の言葉を聞きながら、カヤは再び文へと視線を落とす。そこにいわく。――都の空には魑魅魍魎が、地には瘴気が満ちている。人が屋敷に閉じこもり息を潜める一方で、妖悪鬼が大通りを我が物顔でり歩く。率先して対処に当たるべき符術師たちは、瘴気に当てられ次から次へと体調を崩し、新都主に花の大臣もずっと寝付いているらしい。譫言うわごとに、蛇の目の符術師の報復だと口走っているとか。

 喘ぐような文の最後は、どうか游宮ゆうみやの優れた術師を派遣して、妖と化した蛇の目の符術師を退治してほしいと締められていた。


 読み終えてカヤが顔を上げると、じっとこちらを見ていたらしい長の視線と目が合った。


「……哀れなものだろう。くだんの絡繰灯龍が猛威を振るっていたときにさえ、かたくなに我らの手を借りようとはせなんだものを。あからさまな妖より人が転じた化生のほうがよほど恐ろしいらしい」


 文をきちんと畳み直して脇に置き、カヤは改めて長を見た。


「派遣依頼を受けるのですね」

「受ける」


「……いやあの、養父上ちちうえ。さくっとおっしゃいますけれど」


 この場にいる最後の一人――カヤから少し間を空けた左にずっと座ってはいたものの、これまでひたすら沈黙を保ち、息さえ潜めているふうだった青年が、ようやくぽつりと口を開いた。


「これ絶対めんどくさいやつですよ」


 長が鼻で笑った。


「よくあることであろう。わざわざ海を越えて持ち込まれる妖退治の依頼が、面倒でなかったことなどそうないわ」

「いやまあそれはそうなんですけど、私今、あっちのほうへ意識向けたくないですもん。濃くて重たい情念が、どろっどろに絡み合ってる」

「遠く離れた都にまで瘴気が及ぶほどの澱み場が発生しているというのだから、さもあろうな。――なればこそ、依頼は受ける」


 人形のように表情の変わらない長は、断固とした口調で言い切った。


「異端だ鬼子だ妖もどきだと、普段どれだけ忌み嫌われていようとも、我らはいざというときに頼れる存在でなければならない」


 左の青年が軽く唇を噛んだのを、カヤは黙って横目で見やった。游宮ゆうみやに流れてきた者の中には、故郷で迫害を受けていた者も少なくないが、この義兄あにはとりわけひどかったらしい。


「人間にとって有用な、強き者として。そうであればこそ游宮は、今の立場を維持してこられたのだから」

「……わかってる。わかってますけど、……ああ、いやだ怖いー! そっち方面敏感だって、怖いもんはやっぱり怖いー!」


 ああああ、と頭を抱える義兄に、カヤは膝を向けた。


「ご安心を、義兄上あにうえ。都には私が参ります」

「えっ」


 義兄が顔を上げる奥で、長がひとつうなずいた。こちらは最初からそのつもりだったらしい。


「カヤに任せる」

「かしこまりました。すぐに支度いたします」

「えっ、ちょっ、ちょっと待って。助かるけど、嬉しいけど……いいの?」


 カヤが無言で目を向ければ、義兄はためらうように視線をさまよわせたあと、畳を見てつぶやいた。


「……だっておまえ、あの都の生まれじゃないか」

「ご心配なく」


 言い置いてカヤは立ち上がった。


「私は大丈夫です。――生まれ故郷に、たいした思いはありませんから」




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